kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ソフトバンクが広島に勝った日本シリーズを見て思いついた「プロ野球改革私案」

年々プロ野球を見る時間が減っている。

今年は6月中旬にヤクルトが交流戦で「謎の快進撃」をしていた頃、神宮球場で行われた週末のオリックス戦を見に行こうとして当日券が売り切れていて入れず、代わりに見に行ったヤクルトの交流戦終戦となったソフトバンク戦、これは雨天中止になった試合の予備日で平日開催だったので客席も適度に空いていて天気も良く快適だったが、試合には負けた。先発のブキャナンが不調で6回まで3失点した劣勢を、6回裏の集中打で4点を取って一気に逆転したのだが、8回にリリーフの近藤が上林に再逆転の2ランを浴び、最後は抑えの森を満塁まで攻め込みながら抑えられての惜敗だだった。オリックス戦に入れていれば勝ち試合だったのにと少し残念だったが仕方がない。ヤクルトの代打陣は貧弱で、森から逆転サヨナラ打を打てるとは到底思えなかったし、その通りの結果になった。交流戦では運良く*1最高勝率を記録したものの、ソフトバンクとの地力の差は歴然だった。

スタンドで観戦したのは上記の1試合のみ。これはここ数年ずっとそうで、毎年交流戦の時期に神宮のヤクルト主催戦か千葉のロッテ対ヤクルト戦のどちらかを1試合見に行くだけだ。

テレビ観戦はもっと少なく、基本的に日本シリーズだけだが、特に今年は第1戦の9回裏以降と第2戦、第6戦しか見なかった。しかも第2戦では大差がついたので途中から音声だけ聞きながらテレビ画面に背を向けてパソコンのディスプレイに向き合っていた。

セ・リーグ覇者の広島とパ・リーグ2位のソフトバンクの初顔合わせとなった今年のシリーズは、第1戦が初戦としては32年ぶり、あの西武と広島が第8戦まで戦った1986年以来の引き分けとなり、パ・リーグ本拠地最後の試合である第5戦も32年前同様、再度の延長戦の末サヨナラになったが、違ったのは32年前には3連勝後に4連敗を喫した広島が、今年は1勝したあと4連敗したことだった。広島は一昨年の日本シリーズにも日本ハムに2連勝後4連敗しており、さらに大きく遡って1975年にも阪急に2引き分けを含む勝ちなしの4連敗をしているので、これで出場した8度の日本シリーズで4連敗の全パターン(ストレート負け、1勝後、2勝後、3勝後)を経験したことになる。しかも広島は昨年のクライマックスシリーズでも1勝後4連敗している。とんだジンクスができてしまったものだ。なお、書きたくないが読売は4連勝の全パターンをとっくに記録している。思い出せるだけでストレートは2002年(対西武)、1敗後は1973年(対南海)、2敗後は2000年(対ダイエー)、3敗後は1989年(対近鉄)だ。他にもあるかもしれないが調べる気が起きない。

上記で、ホークスが2度読売に4連敗を食っているが、このチームは今回で18回出場した日本シリーズで9回優勝している。しかしその内訳は、読売とは10回対戦して1勝9敗なのに、読売以外の球団とは8回対戦して全部勝っている。このジンクスを広島も破れず、ついにセの6球団はすべて(1959年に一度だけ4連敗を喫した読売も含めて)日本シリーズでホークスに屈した(阪神は1964年に南海に、2003年にダイエーに、2014年にソフトバンクにそれぞれ負けた珍記録を持つ唯一の球団だ)。

にっくき読売云々はともかく、近年は日本シリーズでも交流戦でもパの球団がセを圧倒するようになっている。2003年以後の16年間で、実にパの13勝3敗だ。ちなみにその間パで負けたのは日本ハムだけで、読売に2度、中日に1度負けている。2007年の中日はリーグ2位だったから、同年にクライマックスシリーズの制度が始まって以来、セ・リーグで同じ年にレギュラーシーズンと日本シリーズの両方に勝った球団は未だに読売しかない。

これはもう、両リーグの力の差を認めるしかないだろう。

アメリカでも、昨年と今年にドジャースが連続してアメリカンリーグの優勝チームに屈していることからもわかるように、近年アメリカンリーグの優勢が目立つ。パ・リーグとの共通点といえばDH(指名打者)制度だ。アメリカンリーグでは1973年、パ・リーグでは1975年から導入された。Wikipediaに面白いことが書いてあるので以下に引用する。

歴史

MLB

1972年、過度な投高打低状態にあったアメリカンリーグア・リーグ)では12球団のうち9球団が年間観客動員数が100万人を割る状態であった。これを解消するためオークランド・アスレチックスのオーナーだったチャーリー・O・フィンリーらのアイディアによって、翌1973年よりア・リーグで初めてDH制が採用された。DHとして最初に打席に立ったのはニューヨーク・ヤンキースのロン・ブルームバーグであった。

DH制制定以降のMLBではポール・モリターエドガー・マルティネス、デビッド・オルティーズなどDHのスター選手も現れた。2004年、長年DHとして活躍したマルティネスの引退の際にア・リーグはこれを称え、年間最優秀指名打者賞をエドガー・マルティネス賞と改名する事を決定した(しかし2010年、マルティネスがアメリカ野球殿堂入りの対象者となった際には、野球記者の投票は36.2%しか集まらなかった)。同年1月に招集されたMLB特別委員会で、以後のMLBオールスターゲームではア・リーグナショナルリーグナ・リーグ)のどちらの本拠地での開催であってもDH制を採用することが決定した。

NPB

当初、阪急ブレーブス高井保弘が代打で多くの本塁打をマークし、1974年に毎日新聞アメリカの記者の「あれだけの選手というのはもったいない、日本もアメリカに倣い指名打者制度を導入すべき」という趣旨のコラムが掲載されたことがきっかけで議論され、人気低迷にあえいでいたパシフィック・リーグア・リーグの成功を参考に1975年から採用した。日本で最初にDHとして打席に立ったのは日本ハムファイターズの阪本敏三であった。採用初年度はリーグの平均打率(.247→.254)と投手の完投数(197→302)がそれぞれ向上し、平均試合時間の5分短縮にも成功したが、肝心の人気向上には繋がらなかった。

日本選手権シリーズでは1985年に初めて採用され、阪神タイガース弘田澄男が初めてDHとして打席に立ったセ・リーグ選手となった。このときは、隔年で全試合採用の年と全試合不採用の年とに分けるという方式がとられ、そのルールに従い、翌1986年は採用せずに実施された。その後、パ・リーグ本拠地球場での採用を毎年続けることに規定が改められ、1987年よりパ・リーグ代表チームの本拠地の試合で採用されている。

オールスターゲームでは1983年に初採用されたが、セントラル・リーグが投手を打席に立たせて最後まで抗議の意思を示したため1年で中断。その後セ・リーグが態度を軟化させて1990年からパ・リーグ所属チームの本拠地球場でのみ両リーグが採用するようになり、1993年から全試合に採用されている。

2005年に始まったセ・パ交流戦では日本シリーズの例に倣い、当初からパ・リーグ所属チームの主催試合でのみこの制度が採用されている。なお2014年についてはセ・リーグ球団が主催する試合では指名打者を使い、パ・リーグ球団の主催では指名打者を適用しない9人制と通常とは異なる方式を採用して行われた(詳細後述)。

オープン戦は導入初年度の1975年は、パ・リーグ所属チーム同士の対戦でしか指名打者制は使えなかった(パ・リーグ所属チームの主催試合でも相手がセ・リーグ所属チームの時は使えなかった)が、2年目の1976年からは、パ・リーグ所属チームの主催試合であれば相手に関係なく使えるようになり、さらに1979年からはセ・リーグ所属チームの主催試合でも試合前に両監督の合意があれば、相手に関係なく(セ・リーグ所属チーム同士の対戦であっても)指名打者制が使えるようになった。

ファーム(二軍)の公式戦では、イースタン・リーグでは2008年までは一軍がパ・リーグに所属するチームのホームゲームのみで採用されていたが、2009年からは全チーム全試合で採用されるようになった。また、ウエスタン・リーグでも2013年より一軍がパ・リーグに所属するチームのホームゲームに加えて、阪神タイガースのホームゲームでも採用されるようになった。この結果、2013年以降は中日ドラゴンズ広島東洋カープのホームゲームを除いては全試合で指名打者制が採用されている。

二軍の教育リーグではオープン戦と同様にセ・リーグ同士のチームが対戦する場合も含めて採用されている。

日本の野球では、スコアボードに出場選手を表示する際、それぞれの選手に守備番号が付されるが、指名打者を起用する試合においては、投手は本来の「1」ではなく「P」と表示されることがある。また特にパネル式のスコアボードを採用している球場(2004年以前の宮城球場他)では、選手メンバー表の人数が9人しか掲示できないため、攻撃の時はその指名打者の選手、守備の時はその箇所に投手の氏名と表示を入れ替える場合がある他、過去の後楽園球場や平和台野球場のように、チーム名を表示する箇所に投手名を掲示するパターンもあった。

金田正一はDH制が採用された1975年にロッテオリオンズの監督を務めていたが「1975年にDH制が採用された時は嫌だったな。投手交代こそ采配の妙味だ。投手に打順が回った時の代打の使い方もな。自分はそれがうまかったんだが、DH制度では持ち味が消されてしまうんだ」と述べている。


そうか、アメリカンリーグは一頃は「人気も実力もない」不人気リーグだったんだ。そういえば、昔はMLBオールスターゲームは毎年のようにナショナルリーグが勝っていて大差がついていたのを覚えている。しかしある時期から年々アメリカンリーグが強くなり、最近は必ずといってアメリカンリーグが勝つようになって、何年か前についに対戦成績が逆転した。

ところが不思議なことに、日本プロ野球では昔は「人気のセ、実力のパ」と言われており、オールスター戦ではパがセを圧倒するのが当たり前だったのに、日本シリーズになると決まって読売が勝っていた。それが読売V9時代が終わり、パ・リーグの球団が日本シリーズに勝つことが増えたのに、オールスター戦ではなぜかセ・リーグが勝つようになり、対戦成績はむしろ接近してきた。今年はパ・リーグが2勝したが、こういう年はむしろ珍しい。これは、昔ほどパ・リーグの選手が「テレビに映る年一度のチャンス」だったオールスター戦に執着しなくなったことが一因だろうが、それでも「セ・リーグが勝つ」ことが説明できない。

とはいえ両リーグの実力を測る絶好の機会はいうまでもなく交流戦であり、次いで日本シリーズだ。2005年の交流戦開始以来、セの勝ち越しは2009年のただ一度(パの13勝1敗)、日本シリーズでも同じ期間にパの11勝3敗であることから、両リーグの実力差は明らかだろう。

これに加え、上述のDH制の歴史からもわかる通り、日本ではセ・リーグパ・リーグを見下して制度上でも横車を押しまくっていた時期がある。これは読売という「虎*2の威を借る狐」軍団というかスネ夫軍団の思い上がりに過ぎないのだが、こういう「惰性力」にもかかわらず読売を含むイースタンリーグのセ球団やウェスタンの阪神も二軍戦では主催戦でもDH制を採用することになった歴史が面白い。選手の技量を向上させる効果のあるDH制の優位性は明らかであり、あれほど威張っていたセの球団も徐々にDH制の採用を余儀なくされるようになっているのだ。

それなら、両リーグの戦力平準化のためにはセも一軍の公式戦でDH制を採用するしかないという結論が容易に導き出される。

しかし、この結論はあまりにも当たり前でひねりがなく面白くない。そこで一案を考えた。

それは、9人で打順を回す野球の制度を改め、9番打者を廃止する案だ。

そもそも野球は、投手にかかる負担が異様に重く、選手生命も投手は野手より短いという大きな欠陥を抱えるスポーツだ。それを体現しているのがMLBで活躍している大谷翔平であって、彼は肘の故障でついに手術を余儀なくされたが、故障が明らかになってからもDHでホームランを打ちまくった。

それなら投手に打撃の負担を減らすとともに、守備機会がないために運動力が少ないDHを廃止して、少しでも選手にかかる負担を平準化してはどうかと思ったのだ。

この制度だと大谷のような「二刀流」の選手の負担が増えるが、そこは「打撃能力の高い投手」が出場する試合に限って、今年の日本シリーズで打率1割台なのに最優秀選手になった「キャノン」甲斐拓也のような選手を打順から外して大谷を打順に入れれば良い。登板しない試合には大谷も野手として守備をすれば良い。それだと「二刀流」の選手の負担が高くなりすぎるが、そこは自ら望んで「二刀流」をやるのだからそれこそ「自己責任」だろう。

もちろん、これまで「盟主」を僭称してふんぞり返ってきた読売の弊害を廃するべく、両リーグの改編も行う。同一リーグに同じ都市を本拠地とする2つのチームは要らないから、読売とヤクルトは異なるリーグに所属させる。こうすれば以前は読売ファン、現在では広島や阪神のファンの入場に頼っているヤクルトのいい加減な球団経営も多少は改まるかもしれない。

「これはbase ballではなく"yakyuu"だ」という昔からよく言われる「アメリカからの批判」がますます強まるかもしれないが、何もアメリカに倣うことだけが能ではない。

*1:ヤクルトは、たとえば梨田監督辞任直前の楽天と敵地と当たって3連勝したり、それに続く対ソフトバンク1回戦の相手先発が、日本シリーズ後に戦力外が報じられた摂津だったりした幸運に助けられて交流戦で勢いに乗った。

*2:プロ野球では虎は読売ではなく阪神だが、金権補強にかけては読売も阪神も似たようなものだ。