kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

竹村健一か谷沢永一か

 危うく気づかずに流してしまうところだった。

 

 前のエントリに続いてもう一度引用する。

 

sumita-m.hatenadiary.com

堺屋氏は1980年代に、渡部昇一谷沢永一深田祐介ともに、サンピンイチスケと呼ばれていた。堺屋氏が逝って、サンピンイチスケは全て黄泉の国の住人となった。というか、深田祐介が2014年に他界していたことを今頃になって知った*3

 

 ところが、はてなキーワードには

1980年に創刊された青春出版社の雑誌『Big Tomorrow』で、若者向けに上手な生き方指南をおこなってよく読まれた四人の評論家のこと。渡部昇一堺屋太一竹村健一深田祐介で、「一」をピンと読むところから名づけられた。と書かれている。

 さっき、あれっ、竹村健一ってもう死んだんだっけ、と思って調べてみたら生きていた。それで気づいた。

 こういうのは複数の流儀があることが多いからどちらが「正しい」かとかいうのは意味がないだろう。

 谷沢(たにざわ)永一については、谷沢を関東では「たにざわ」と読まない、元中日ドラゴンズ谷沢健一(千葉県出身)のように「やざわ」と読ませると、ほかならぬ sumita-mさんが書かれていた記憶がある。谷沢永一は大阪出身だった。確か1980年から『週刊朝日』巻末のコラムを、東京出身の百目鬼恭三郎(当時朝日新聞編集委員)と週替わりで執筆していたが(コラムは「おきゃがれ あほかいな」と題されていたと記憶する)、2人とも「ド右翼」だったことに呆れ返った思い出がある*1

 また、竹村健一がフジテレビの「報道2001」に最後に出演した時にこの日記に記事を書いた。これもよく覚えている。

 

kojitaken.hatenablog.com

今日のフジテレビ「報道2001」で、竹村健一がテレビのコメンテーターを引退した。77歳だが、近年は経済問題の討論についていけないなど、衰えが目立っていた。

竹村は、長年にわたって右翼的コメンテーターの代表格だったが、昨年、従軍慰安婦問題への安倍政権の対応を批判したり、最近では英「エコノミスト」誌の「Japa"i"n」と題した日本の経済政策批判特集に抗議した民主党の岩國議員を評価するなど、さしものオールド・ライトも世の中の急速な右傾化についていけなかったのか、まともな意見も口にするようになってきていた。

ご苦労さまといいたいところだが、番組で最後に竹村へのメッセージを送ったのが、ナント石原慎太郎だった。これにはドッチラケ。石原こそ「老害」の象徴だ。一刻も早く引退してほしい。

 

 上記は2008年3月30日の記事だが、その2週間前にも竹村健一に言及していた。

 

kojitaken.hatenablog.com

フジテレビの「報道2001」で、あの竹村健一が良いことを2つ言った。
まず第一。ゲストの菅直人に対して、竹村健一が、「民主党参議院で多数を取ったおかげで、これまで政府・自民党がいい加減なことをずいぶんやってきたことがわかった」と前置きしながら、民主党に妥協を求める注文をしていた。竹村の主張の後段はともかく、従来の自民党政治をデタラメぶりを批判したことに注目したい。

もう一つはさらに注目すべきだ。英「エコノミスト」誌の「Japain」という日本経済をバカにした記事が現在注目されていて、「構造カイカク」派はこの記事の尻馬に乗って新自由主義の方向に世論を誘導しようとしているのだが、竹村は、民主党岩國哲人議員が「エコノミスト」誌に抗議したことを紹介、これを絶賛したのだ。岩國議員の所属を「民主党」と言った時にちょっと口ごもったのは、本当は野党の政治家なんか褒めたくないんだけど、という竹村の心の揺れが感じられて苦笑させられたが。

それはともかく竹村は、これは「国旗が焼かれたに等しい」記事であり、こういう記事が書かれた時は断固として反論しなけばならないと言っていた。その通りだと思う。

竹中平蔵一派の代表格である大田弘子は、年明け早々、「残念ながら、もはや日本は、経済一流と呼ばれる状況ではない」などとほざいて、田原総一朗らマスコミ人は一斉にこれに飛びついて、「カイカク」離れをしようとしていた福田内閣民主党を袋叩きにしたが、大田や田原らと比べたら、竹村健一のほうがよほどまともだ。

 

 今のネトウヨ(「安倍信者」)がこれらの発言を耳にしたら竹村健一を「パヨク」認定するに違いないし、逆に2008年にはあの竹村健一ですら民主党に一定の期待をしていたことは今から見れば驚きだ。

 蛇足だが、谷沢永一竹村健一の名前を掛け合わせたら谷沢健一になるんだね!

*1:まだ『朝日ジャーナル』が存在した頃、朝日新聞社新左翼の読者に対しては『朝日ジャーナル』、右翼の読者に対しては『週刊朝日』でそれぞれ機嫌をとっていた。但し、『ジャーナル』の方はのちに筑紫哲也を編集長に起用するなどして「リベラル」向けの誌面に変わった。