kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

堺屋太一死去

 堺屋太一が死んだ。つい最近テレビで見た記憶があるから急死だったんじゃないだろうか。中日新聞の訃報記事を以下に引用する。

 

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019021102000061.html

 

堺屋太一さん死去、83歳 作家「団塊の世代

 

 「団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが八日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。八十三歳。大阪市出身。通夜は十六日午後六時から、葬儀・告別式は十七日午後一時から東京都港区南青山二の三三の二〇、青山葬儀所で。喪主は洋画家の妻池口史子(いけぐち・ちかこ)さん。

 東大経済学部卒業後、一九六〇年、通商産業省(現経済産業省)に入省。七〇年開催の大阪万博の企画を担当し、沖縄開発庁(現内閣府)出向中には沖縄海洋博も手掛けた。七八年退官。

 在職中の七五年に石油危機をテーマにした「油断!」で作家デビュー。第一次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた七六年の同名の小説では、この世代が社会に与える影響をいち早く予測した。

 九八年七月から二〇〇〇年十二月まで小渕内閣森内閣で、民間人閣僚として経済企画庁長官を務めた。第二次安倍内閣では内閣官房参与に就任した。

 八五年には脱工業化社会を予言した「知価革命」も出版。歴史小説も多く「峠の群像」や「秀吉」はNHK大河ドラマの原作になった。

 官僚主義の弊害を厳しく批判し、道州制など地方分権推進論者でもある。

 大阪市長などを務めた橋下徹氏が率いた「大阪維新の会」のブレーンとして、大阪府・市の二重行政を排する「大阪都構想」を支持。民間の外国人雇用協議会の会長も務め、外国人労働者の雇用拡大を提言していた。

 中日新聞 2019年2月11日 朝刊)

 

 この人には昔からあまり良い印象は持っていなかったが、上記記事の末尾近くにある通り、晩年に「大阪維新の会」のブレーンになったので、印象がさらに悪化した。

 今年の年初に読んだ小松左京の下記の本に加藤秀俊の解説がついているが、それに堺屋の名前が出てくる。

 

やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記 (新潮文庫)

やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記 (新潮文庫)

 

 

 以下、解説文から引用する。

 

「万国博を考える会」発足のきっかけになった「次は大阪で国際博か?」という新聞記事は、おそらく当時の通産省の池口小太郎、のちの堺屋太一が観測気球として書かせたものだろう。実際それに小松さんが飛びつき、梅棹、加藤、仁木と四人で準備が始まった。

小松左京『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』(新潮文庫,2018)373頁)

 

 小松さんの文章を読むと、あの視察旅行の前まで、サブテーマ委員会で役人相手に大立ち回りをした様子がうかがえる。サブテーマ委員会は、テーマを実際にどのように展示し結びつけるかを議論する場であり、枢要なポジションだ。小松さんは触れていないけれども、ここで一番議論になったのは、「テーマ館」をめぐる議論であった。われわれは当然ながらテーマ館が必要だと考えていたが、通産省サイドはそもそも想定していない。小松さんは、なぜテーマ館が必要なのか、大演説をぶった。ここで通産側の担当者である池口小太郎と微妙な関係が生まれる。もちろん表立って喧嘩はしないけれども、小松さんは相当神経をつかっていたと思う。

(同376-377頁)

 

  この文章を読みながら、「つまらない役人」としての堺屋太一像が浮かび上がってくるよな、と思ったのだった。
 
 以下は、『Living, Loving, Thinking, Again』からの引用。
 

sumita-m.hatenadiary.com 

(前略)かつて津村喬*2が堺屋を、プロレタリア文学でもブルジョワ文学でもない、官僚による官僚のための〈テクノクラート文学〉の創始者と評していた筈。〈テクノクラート文学〉の担い手としての(隠れた)代表作は田中角栄名義の『日本列島改造論』ということになるのだろうか。
ところで、堺屋氏は1980年代に、渡部昇一谷沢永一深田祐介ともに、サンピンイチスケと呼ばれていた。堺屋氏が逝って、サンピンイチスケは全て黄泉の国の住人となった。(後略)

 

 「サンピンイチスケ」は知らなかったのでネットで調べてみた。以下、「はてなキーワード」から引用。

 

1980年に創刊された青春出版社の雑誌『Big Tomorrow』で、若者向けに上手な生き方指南をおこなってよく読まれた四人の評論家のこと。渡部昇一堺屋太一竹村健一深田祐介で、「一」をピンと読むところから名づけられた。

出典:三ピン一スケとは - はてなキーワード

 

 渡部昇一竹村健一と同じ括りなら印象が悪かったはずだと納得。『Big Tomorrow』なんか立ち読みしたこともない。たぶん「三ピン一スケ」というのも「二キ三スケ」のもじりに違いない。「二キ三スケ」に言及した「はてなダイアリー」の記事を以下に記録しておく。

 

満州国を実質支配した「二キ三スケ」 - furueの日記(2006年6月18日)より

 

二キ三スケ

満州国を実質的に支配していた、5人の日本人実力者たちに対する蔑称

東條英機関東軍司令官)

星野直樹(国務院総務長官)

鮎川義介満州重工業開発株式会社社長)

岸信介総務庁次長)

松岡洋右満鉄総裁)

このうち、鮎川義介岸信介松岡洋右満州三角同盟ともいう。

 

 そう、「二キ三スケ」とは蔑称だったのだ。

 「団塊の世代」の名付け親で、経済評論家や作家として幅広く活躍した元経済企画庁(現内閣府)長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日、多臓器不全のため死去した。83歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は日本芸術院会員で洋画家の妻史子(ちかこ)さん
 「団塊の世代」の名付け親で、経済評論家や作家として幅広く活躍した元経済企画庁(現内閣府)長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日、多臓器不全のため死去した。83歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は日本芸術院会員で洋画家の妻史子(ちかこ)さん。

堺屋太一さん死去 「団塊の世代」名付け親 83歳

 
 
堺屋太一さん=東京都新宿区で2018年4月26日、藤井太郎撮影

 「団塊の世代」の名付け親で、経済評論家や作家として幅広く活躍した元経済企画庁(現内閣府)長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日、多臓器不全のため死去した。83歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は日本芸術院会員で洋画家の妻史子(ちかこ)さん。

堺屋太一さん死去 「団塊の世代」名付け親 83歳

 
 
堺屋太一さん=東京都新宿区で2018年4月26日、藤井太郎撮影

 「団塊の世代」の名付け親で、経済評論家や作家として幅広く活躍した元経済企画庁(現内閣府)長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日、多臓器不全のため死去した。83歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は日本芸術院会員で洋画家の妻史子(ちかこ)さん。