kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「巨人、大鵬、卵焼き」のフレーズは堺屋太一考案だったのか

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130119-OHT1T00234.htm

「巨人、大鵬、卵焼き」生みの親・堺屋太一氏も絶句…大横綱大鵬死去

 大相撲で史上最多の優勝32回を誇る第48代横綱大鵬納谷幸喜さんが19日午後3時15分、心室頻拍(しんしつひんぱく)のため都内の病院で死去した。72歳だった。現役時代はライバルの横綱柏戸と「柏鵬時代」を築き、日本が高度経済成長の道を突っ走った1960年代のシンボルになった。輝かしい記録と甘いマスクでスポーツの枠を超えて国民的ヒーローとなり「巨人・大鵬・卵焼き」の言葉も生まれた。引退後は相撲博物館館長などを務め角界の発展に貢献した。昭和の火がまたひとつ消えた。

 「巨人、大鵬、卵焼き」の生みの親・堺屋太一経済企画庁長官(77)は19日、元横綱大鵬・納谷氏の死去の報を聞くと「え、本当に?」と絶句。「72歳は早過ぎる。残念です」とその死を惜しんだ。

 このフレーズは、通商産業省(現経済産業省)の官僚だった1961年ごろ、経済報告の会見で口にしたものだった。「当時は高度成長時代だったが、経済優先だなどと批判もあった。だからマスコミ向けに『高度経済成長はみんなに好まれる。それは巨人、大鵬、卵焼きが好かれるのと同じことだ』って言ったんですよ」と当時を振り返った。

 事前に温めていた言葉ではなく、その場のアドリブだったが、今でも語られる大ヒットになった。「仲間内での冗談を思い出して、ちょこっと言っただけ。ここまで広まるとは思ってなかったが、時代に合っていた言葉だったんでしょうね」。高度成長と、強い人間像が尊ばれた当時の思潮が、流行語を生み出した。

 さらに堺屋氏は「大鵬さんは強いだけでなく、見た目も美しかった。V9の巨人もそうだったが、みんなが同じように憧れる圧倒的な存在が、今はいないんですよ」と話し、現在の日本の現状にも苦言を呈した。「昭和を彩った人がどんどんいなくなる。まさに昭和は遠くなりにけり…ですね」とさみしそうな顔で、古き良き時代を懐かしんだ。

(2013年1月20日06時02分 スポーツ報知)


「巨人・大鵬・卵焼き」が、半世紀前に当時25歳か26歳だったはずの通産官僚・池口小太郎(堺屋太一)が考案したとは知らなかった。堺屋は読売ファンか、それとも阪神ファンかと思ってネット検索をかけたが、何も見つからなかった。プロ野球には特に関心がないのかもしれない。なお、堺屋をブレーンとしている橋下徹は読売ファンである。

堺屋は自身が考案者となったこの言葉が流行して鼻高々だったかもしれないが、読売を好んでいなかった大鵬にとっては迷惑だったに違いない。もっとも、「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が流行したために大鵬がアンチ読売になった可能性が高いが。

ところで、高度成長時代というと「良い時代だった」と振り返られることが多いが、あの時代にもいろいろ悪いことがあった。1つは公害問題で、乱開発が国土をズタズタにした。小学生時代に初めて社会問題を考えるようになった頃、大きな問題になっていたのは公害問題だった。四大公害病(「水俣病」「新潟水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」)が起きていたし、私が住んでいた阪神地方でも、神崎川の悪臭は想像を絶するものだった。同じ頃の東京でも、荒川や隅田川の悪臭はたいへんなものだったと聞く。

それと軌を一にするのは、地震の巣だろうがお構いなしに建てられた原発の数々といえるかもしれない。1972年頃に読んで強い印象を受けたのが星新一ショートショート「おーい でてこーい」(1958年)だった。その後神崎川や荒川や隅田川の悪臭は収まったが、2011年になって東電原発事故が起きた。あれも高度成長時代の「負の遺産」だったといえるだろう。

プロ野球の読売帝国主義も、公害病原発と同根の「高度成長時代」の負の遺産ではないか。読売の9年連続日本一など思い出しただけでもぞっとするし、あの時代のようなプロ野球だけはもう見たくないと思うが、当時は当の読売だけではなく、読売打倒に闘志を燃やしたライバルたち、たとえば阪神村山実江夏豊、それに中日の「燃える男」(現「わしが育てた」のゴーマン独裁オヤジ)星野仙一らも一種の「巨人ファン」だったといえそうだ。村山や江夏のプロ野球解説には明らかにそうした彼らの心情が反映されていたし、星野仙一に至っては現在もなお害毒を撒き散らし続けている。その星野が、やはり高度成長時代の負の遺産といえる関西電力原発のテレビコマーシャルに出演していたのは何やら暗示的だ。

昨日も書いたように、大鵬の現役時代はほとんど知らないが、読売とは違って大鵬を高度成長時代の負の遺産と重ね合わせることは間違ってもできないだろう。相撲は個人競技だからである。大相撲はプロ野球と同じように衰退していったが、団体競技である野球のように、「球界の盟主」とやらがその地位を保つために、全盛期を過ぎてからでも江川卓の強奪に始まってナベツネ渡邉恒雄)の強権的な制度改悪を経て衰退へと向かったのとは、衰退のメカニズムが異なる。

組織が腐っていった点では似ているかもしれないけれど。