kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

なんと、あの「安倍晋三の手下」江島潔が山口県の参院補選に出馬へ

第2次安倍晋三内閣発足に伴って、数年間消息を聞かなかった人物が次々に表舞台に復帰しようとしているようだ。この記事で取り上げる江島潔もその一人である。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130115/elc13011513380000-n1.htm

参院山口補選、安倍首相が江島氏に公認証

 安倍晋三首相は15日午前、4月28日投開票の参院山口補選に立候補する予定の江島潔元下関市長に党本部で公認証書を手渡した。

 補選は自民党岸信夫氏が昨年12月の衆院選で山口2区にくら替え出馬したことに伴い実施。今年初の国政選挙で、安倍首相のおひざ元でもある。野党の公認候補はまだ決まっていない。

MSN産経ニュース 2013.1.15 13:35)


江島潔とは何者か。第1次安倍内閣時代、「きまぐれな日々」で何度か取り上げたことがある。例えば下記記事。

 江島潔は'82年、東京大学大学院を修了後、プラント建設の大手の『千代田化工建設』に入社。その後、'83年2月、現夫人の智子(47歳)と結婚した。この結婚式の媒酌人が安倍晋三の父で、自民党元幹事長で元外相の安倍晋太郎(享年67)と妻・洋子(78歳=注:岸信介の娘)だった。
 江島の父、江島淳(享年59)は下関市出身の参議院議員で、安倍晋太郎と同じ自民党の派閥、清和会(現・町村派)に所属した。江島淳は東京大学卒業後、国鉄に入り、'80年に参議院議員に転身。'87年に死去した際の葬儀委員長は当時、自民党総務会長の安倍晋太郎だった。
 つまり、江島潔のバックボーンには父の代から、安倍ファミリーが存在したといっても過言ではない。
 江島は'91年、下関市長選に立候補し落選。'93年には衆院選に挑むものの、これも次点で落選。'95年、ようやく下関市長に初当選を果たした。なお、安倍晋三衆院選に出馬し、初当選したのはこの2年前のことだ。

(「週刊現代」 2006年12月16日号 『官製談合告発された 下関市長と安倍晋三「疑惑の関係」』より)

この'95年の市長選で、江島は、当初「反自民」の市民派を装った選挙運動をしながら、当選と同時に態度を豹変させ、安倍事務所に直行、市民派の支援団体に絶縁状を叩きつけたことは、以前のブログの記事で紹介した。

それにしても、江島は、衆議院議員になれずに落ちこぼれかかって、卑劣な手段を使ってようやく下関市長になれた、「穀潰し政治家」と評するべきだろう。

江島の選挙運動には、安倍とのつながりが噂される、工藤会系の暴力団までもが関与したとされる。'99年の市長選では、暴力団が安倍側からの謝礼が少ないことに腹を立てて、安倍事務所に火焔瓶を投げ込んだ事件については、月刊「現代」12月号の魚住昭さんと青木理さんの記事が取り上げているし、弊ブログでもその記事を紹介したことがある。

工藤会系の暴力団が絡んだとされる'99年の市長選では、対立候補古賀敬章氏(53歳)に対し、誹謗中傷のビラが撒かれたという。「週刊現代」によると、当時の関係者は次のように語っているという。

 小山(注:事件に絡んで逮捕された、元建設土木会社役員・小山佐市被告)は当時のことを親しい知人にこう語っているという。
「安倍事務所とは長い付き合いだった。安倍晋三とも何度か会っている。安倍側と"古賀敬章潰し"について話をした」
 古賀陣営の元幹部によると、市長選の期間中に中傷ビラが幾度となく、有権者に撒かれたという。
古賀敬章在日朝鮮人
北朝鮮金正日の手先>
といった過激なタイトルの怪文書は、断続的に郵送などの手段で大量に撒かれ、古賀のイメージ・ダウンに少なからぬ影響を及ぼした。古賀は今もって憤りを隠せない様子で、こう語る。
「まさに、民主主義を否定する誹謗中傷に満ちた悪質な選挙妨害だった。怪文書は作者不明のまま警察に訴えたが、今日まで何の返答もない。権力を意のままに操るためなら手段を選ばない者の意図を感じてならない、異常な選挙だった」
 江島の選挙に安倍事務所が協力し、それに暴力団まで関与していたのは事実だ。が、事の委細は依然、明らかになっていない。

(「週刊現代」 2006年12月16日号 『官製談合告発された 下関市長と安倍晋三「疑惑の関係」』より)


古賀敬章はその後、2009年の衆院選民主党公認で立候補して13年ぶりに国政復帰を果たしたが、小沢一郎と行動を共にして国民の生活が第一、日本の未来の党を経由して昨年末の衆院選で供託金没収の大敗で落選した。

古賀もたいした議員ではなかったが、江島潔もそれ以上にひどい人間であることは、上記引用の『週刊現代』の記事からもうかがわれる。

そもそも、江島潔は安倍晋三にさえ一時見捨てられて下関市長の座を失った人間である。そのこともかつて「きまぐれな日々」に書いた。

ところで、個人的に注目しているのは、3月15日に行われる下関市長選である。この市長選には、あの悪名高い安倍晋三直系の江島潔が出馬を断念したのである。以前にも書いたように、ブログで江島について書いたいくつかのエントリのアクセス数が急に増えたことから、江島引退の一件を知った。

市長選に出馬するのは、友田有前県議(51)と香川昌則前市議(45)、中尾友昭元県議(59)の新人三人であり、このうち安倍晋三の系列に当たるのが友田氏らしい。今回の市長選では、安倍が江島に見切りをつけて友田氏に乗り換えたもののようだ。1月に友田氏が出馬表明をした時には、江島市政の刷新を訴えて地元を驚かせたとのことだが、当初は江島潔も出馬する姿勢を見せていた。江島は安倍晋三に支持を取りつけに行ったものの、あまりの悪政のために評判がさんざんで事前の調査でも当選の見込みの低かった江島は、安倍にこっぴどく叱られ、泣く泣く5選を断念したなどといわれているが、私は地元民ではないので正確なところはわからない。対抗馬は中尾友昭氏もかなり有力だが、今のところ友田氏が最有力とされているようだ。地元で悪政を行った江島と違って、安倍はまだまだ地元下関での人気が高いらしい。一方、中尾友昭氏を自民党林芳正参院議員の系列とする見方がある。つまり、安倍晋三林芳正の鞘当てがあるということらしい。

毎日新聞の山口版に、3候補のマニフェストが掲載されている。地元でもなんでもない当ブログとしては、市長選についてはこれ以上書かないが、私が関心を持っているのは江島潔の動向である。

いくらなんでも、次期総選挙における山口4区からの立候補はあり得ないと思うが、元参議院議員を父に持ち、東京出身で東大の工学系大学院を修了し、38歳にして下関市長になった世襲政治家の江島潔がこのまま終わるとは考えられない。県政に進出し、ゆくゆくは国政入りを狙う可能性が高い。世襲政治家の跳梁跋扈を許さないためにも、今後も監視していく必要のある男だと思う。


上記で言及した2009年の下関市長選は、下馬評に反して安倍晋三系の友田有が落選、中尾友昭が当選して、安倍晋三の凋落を印象づけたものだが、この時にはまさかその3年後に安倍晋三が総理大臣に復帰しようとは悪夢にも思わなかった。

しかし、江島潔の国政進出という当時の予測は当たってしまった。衆院選の大勝で図に乗る安倍晋三は、下関市長もまともに務まらず、一度は自らも見限ったゴロツキ政治家・江島潔を国政の場に送り込むつもりらしい。当選のあかつきには安倍晋三の腰巾着になることは確実だ。

こんな男は何が何でも落選させなければならない、と言いたいところだが、それでなくても自民党が圧倒的に強い山口では、みすみす江島潔を国会議員にしてしまうことは残念ながら避けられそうにもない。