kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

参院山口補選、江島潔を倒せ

今日、当ダイアリー、『きまぐれな日々』ともにアクセス数が少しだけ増えた時間帯があったが、参議院の山口選挙区補選に江島潔が立候補したためである。


http://www.asahi.com/politics/update/0411/SEB201304110002.html

参院山口補選が告示 4氏が届け出 夏の参院選の前哨戦


 第2次安倍政権の発足後初めての国政選挙となる参院山口選挙区の補欠選挙(被選挙数1)が11日告示され、自民党の江島潔、共産党の藤井直子、幸福実現党の河井美和子、無所属の平岡秀夫の4氏(いずれも新顔)が立候補を届け出た。山口は安倍晋三首相の地元。与野党ともに夏の参院選の前哨戦と位置づけ、総力戦で臨む。28日に投開票される。

 今回の補選は自民党参院議員の衆院へのくら替えに伴う。自民党は今回の補選勝利で政権運営に弾みをつけ、6月の東京都議選、夏の参院選での勝利につなげる構えだ。

 野党各党では、平岡氏は党籍がある民主党の公認を得ず、無所属での立候補を選んだ。野党勢力の結集を図る狙いで、民主、社民、みどりの風の推薦・支持は得た一方、衆院の野党第2党の日本維新の会みんなの党などと共闘する見通しはいまのところ立っていない。

朝日新聞デジタル 2013年4月11日10時27分)


普通に考えれば江島潔圧勝の選挙である。だが、安倍晋三の地元・下関における江島潔の評判は極めて悪い。江島は下関市長を4期務めた経歴を持つが、有権者を平気で騙す、目的のためには手段を選ばない人間で、考えられないような選挙を繰り返してきた。

Wikipediaには下記の記述がある。

経歴

山口県下関市生まれ。東京都立戸山高等学校東京大学工学系大学院修了。

1991年の下関市長選挙に無所属で、1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧山口県第1区から日本新党公認で出馬したが、いずれも落選。1995年、下関市長選挙に再び無所属で出馬し、現職の亀田博市長を破り初当選を果たした(亀田は2003年に下関市議に転出)。この時の下関市長選では安倍晋三自由民主党及び反自民の「市民連合」の双方から支援を受けたが、当選後は親自民の立場を鮮明にした。また選挙戦で掲げた「国民健康保険料の値下げ」「沖合人工島埋め立て計画の見直し」等の公約を反故にする。1999年の下関市長選では、前任の亀田博に加え古賀敬章(前衆院議員。江島が落選した第40回衆議院議員総選挙において旧山口1区で当選)が出馬したが、江島が再選を果たした。2003年に3選。

2005年、新設合併に伴う下関市長選に立候補。山口県議会議員を辞職して出馬した中尾友昭の猛追を受けるが、2515票の僅差で中尾を破り、4選。

2009年2月、市長時代、安倍首相がかつて勤務していた神戸製鋼が『奥山工場焼却施設』(110億円)や『リサイクルプラザ』(60億円)といった下関市の大型公共事業を次々と受注した。江島市長と安倍首相が親しいことから『癒着ではないか』という批判が噴出、特定の企業優遇に反発した地元中小企業経営者と市民派らが連携した。自らが妻を訴えた離婚訴訟もあって、女性層が離反、下関市議会において5選不出馬の意向を表明し、同年3月26日をもって退任。市長退任後は倉敷芸術科学大学生命科学客員教授を務める。

2012年12月、2013年4月28日に行われる予定の参議院山口県選挙区補欠選挙自由民主党公認候補となる。


要するに初当選の時には市民派の仮面をかぶって有権者を騙して当選し、選挙が終わるや否や、かぶっていた仮面を脱ぎ捨てたわけだ。

さらにWikipediaには書かれていないが、再選を果たした2期目の市長選では、安倍晋三事務所を介して暴力団が選挙に関与したとされる。その際、暴力団が安倍事務所側からの謝礼が少ないことに腹を立てて、安倍事務所に火焔瓶を投げ込んだ事件はあまりにも有名と言いたいところだが、少数の「アンチ安倍晋三」の人間にしか知られていないのが残念なところだ。この事件に関しては、朝日新聞に記事が載ったし、月刊『現代』2006年12月号に魚住昭青木理がルポを書いている。

江島は2003年に3期目の市長選に当選したあと、Wikipediaにもあるように2005年に新設合併に伴う下関市長選に立候補して当選したが、これも江島の4選は絶望とまで見られた危ない選挙だった。当時の様子を記述したサイトの記事より引用する。


http://kanmontuusin.morrie.biz/item/317

下関市長選、現職の江島潔氏が辛くも制す
2005年03月28日 00:30 すいか


下関市長選挙は27日に投票が行われ、即日開票の結果、旧下関市長の江島潔氏が辛くも制した。確定得票は、江島潔氏が4万5983票、中尾友昭氏が4万3468票、松原守氏が2万6838票。当日有権者数は23万8549人で、投票者数は11万7608人。投票率は49.30%だった。

今回の選挙は豊関地域1市4町の新設(対等)合併により新たな市が設置されたことから、公職選挙法の規定により行われた。候補者は新市発足により失職した江島潔・旧下関市長ほか、下関市区選出の元山口県議会議員・松原守氏(民主・連合の会)と中尾友昭氏(新政クラブ)。両氏は市長選に出馬するために県議会を辞して江島氏に挑んだ。

下関市安倍晋三自民党幹事長代理を擁し、堅牢な自民党支持基盤として知られる。このため、候補者全員が自民党に推薦願いを提出し、政党選挙にはならなかった。自民党の推薦は安倍氏の後援会の支持を受けた江島氏が獲得したが、自民党員や保守層の支持は最後まで割れたまま推移した。それぞれが政治家として支持者を多数抱えることから、三者がまともに組み合う激しい選挙戦だった。

江島氏が接戦を制したのは、3期10年の実績に対する支持票をすべて集めた一方で、批判票が中尾氏と松原氏に分散したためだ。票数で圧倒しながら候補者を一人に絞り込めなかった批判層は、自滅したといってよい。

今後、下関市は江島氏の下で10月の中核市移行を目指す。


普通に考えれば、自治体の合併に伴うといっても、下関市長が圧倒的に有利なはずだ。しかも地元の大物代議士で、当時は前年(2004年)の参院選敗戦の責任をとらされて自民党幹事長から同幹事長代理に降格されていたとはいえ、それでも「ポスト小泉」の一番手と見られた安倍晋三がバックにいる。そんなアドバンテージを持っているはずの現職の下関市長が、対立陣営の分裂に助けられて、現市長の中尾友昭(林芳正系列ともいわれる)に2515票の僅差にまで追い詰められた。

このていたらくだから、2009年の市長選で江島が中尾友昭に勝つ見込みなどあろうはずもなく、安倍晋三はとうとう江島に見切りをつけて他の候補者に乗り換えて中尾友昭を退けようとしたが失敗し、中尾友昭が市長選に勝った。中尾市長は先月、再選を目指した2期目の下関市長選でも、安倍晋三系列とされる西本健治郎を破って再選を果たした。安倍晋三の権勢はなぜかお膝元の下関で、決して盤石とはいえないようだ。

参院の補選では林芳正系列といえど江島潔に与するだろうし、過去衆議院の山口2区の補選と本選の両方で現山口県知事の山本繁太郎ノーパンしゃぶしゃぶの顧客名簿に載っていたことで知られる元官僚)を破った平岡秀夫といえど江島に勝てる可能性があるとは考えにくい。

だが、そうはいっても上記のような悪行を重ねに重ねた江島潔を国政に送り込む愚かな選択だけは、山口県有権者にはしてもらいたくない。