kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

矢野顕子、平仮名の元号「きのこ」を推す

 矢野顕子のツイートに吹いた。

 

 

 なぜなら3月19日に下記記事を書いていたからだ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 ちなみに上記記事で故勝谷誠彦をdisりつつ、「あぼ」を新元号に推したのだった。

 勝谷云々はともかく、上記記事に書いた下記の文章がさっそく現実になったことには笑ってしまった。

 

いくら国文学から採ろうが、その国文学の出典となるであろう漢字2文字から中国の影響を排除できるはずがない。

 

 令和の出典の出典が漢籍だったことはもう広く知れ渡っていて、岩波書店もお墨付きを与えている。

 

 

 だから私は

どうしても日本語から採りたいというのなら、元号を平仮名か片仮名にするしかあるまい。

 と書いた。

 

 新元号「きのこ」を推した矢野顕子は偉い! しかも、昨日から元号が変わったと思い込んでいた元号に関する無関心というか「元号パッシング」の姿勢なんか、もう最高だね!

 

 付録を2つ。

 

hiroseto.exblog.jp

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 以下後者から引用。

 

ただ、goodという意味での「令」は現在では令息、令嬢、令夫人といった敬意表現に僅かに残っているだけで、多くの日本人や中国人が「令」という漢字から連想するのは、政令、法令、命令、禁令といった熟語だろうか。命令ばっかりする社会。そういう連想もしてしまう。

 

 そういえば、昨夜のNews23(これも気持ち悪いばかりの新元号奉祝番組だったが)でも幕末に二度候補に挙がった「令徳」が「徳川に命令する」に通じるとして幕府に拒絶された史実を紹介していた。「令徳」が候補に挙がったのは幕末も押し詰まった1861年1864年のことだったらしい。時代が大きく変わる直前には「命令して付き従わせたい」という発想が出てくるのか。「零和」(と変換されてしまうよな、やっぱり)ならぬ「令和」とは、やはり「崩壊の時代」に相応しい元号なのかもしれない。