kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

新元号「令和」とは、付和雷同せよと命令するつもりか(怒)

 3月9日にこの日記で予想した通り、安倍晋三は新元号には予想通り「安」の文字を入れずに国文学から選んできやがった。

 

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 しかし「令和」とは恐れ入った。なんてタカビーな元号なんだろうか。まるで付和雷同せよと安倍晋三に命令されているみたいで、滅茶苦茶むかつく。もっとも、私はもともと元号反対派だから、元号に対する敵愾心をかき立ててくれて良かったというべきかもしれない。

 でも、国文学から採ったと言っても、もとが万葉集中の歌の漢文で書かれた序文だというのでは、さらに遡れば漢籍に行き着くのではないかと思ったが、案の定そういう指摘がされているようだ。

 毎日新聞の記事*1によると、複数の漢学者らから、中国の詩文集「文選(もんぜん)」にある「仲春令月、時和気清」の句の影響を受けているとの指摘が出ているとのこと。

 さらに、同じ記事によると、水上雅春・中央大教授は、江戸時代に「令徳」の元号案が出た際、「徳川に命令する」という意味にも読めることから幕府が撤回させた、と不採用の経緯を指摘しているそうだ。

 そりゃそうだろう。「令」の字から連想するのはまず「命令」であり、「指令」「号令」「法令」「軍令」「律令」など、強制の意味に使われることが多い字だ。「和」を強制するとなると、同調圧力だか「忖度」だかを命令されているかのようで、滅茶苦茶気分が悪い。

 しかも「令和」は「りょうわ」ではなく「れいわ」と読む。「零」や「冷」を思い起こさせるし(「零和」なんてゼロサムみたいだ)、「令和元年」を略すると「令元」、すなわち新保守主義新自由主義政治の開祖の一人であるレーガンが思い出されて、これまた気分が悪いことこの上ない。

 やはり元号は断固として廃止すべきだ。

初の「和風元号」の出典となった「万葉集」の「初春令月、気淑風和」との文言について、複数の漢学者らから、中国の詩文集「文選(もんぜん)」にある「仲春令月、時和気清」の句の影響を受けているとの指摘が出ている。
初の「和風元号」の出典となった「万葉集」の「初春令月、気淑風和」との文言について、複数の漢学者らから、中国の詩文集「文選(もんぜん)」にある「仲春令月、時和気清」の句の影響を受けているとの指摘が出ている。

令和の出典、漢籍の影響か 1~2世紀の「文選」にも表現

令和の出典、漢籍の影響か 1~2世紀の「文選」にも表現

令和の出典、漢籍の影響か 1~2世紀の「文選」にも表現