kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「上級国民」騒ぎの虚しさと「呼び捨て報道」の思い出

 「上級国民」の件は、「リベラル」のみならず右翼からも憤激を買っており、リテラなどは人々のルサンチマンを煽りまくっている*1。だが、私はこの流れに同調する気など全く起きない。

 その理由は、下記『週刊朝日』の記事が指摘しているのと同じだ。

 

dot.asahi.com

 

 この記事で、橋本健二・・早稲田大学教授が

社会活動家の声など一時期よりは建設的な意見が増えてきたが、ほとんどは意味がない。政策の変更を求めることもなく、社会的な公平性を実現するのに役に立っていない。

とコメントしている。また、田中将介記者は記事の終わりの方で

 「上級国民だから逮捕されない」といったようなことをネットでつぶやいても始まらない。

と書いている。その通りだと思う。

 

 この件に関して、「容疑者」の呼称がいつ始まったのかという話題も出ている。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 読売新聞が呼び捨てを止めて「容疑者」表記にしたのは1989年12月1日だという。他紙はどうだったかとのことだが、朝日新聞も同じ頃で、毎日新聞その他も同じ頃だったに違いない。そうは思ったが、同じ件で新たにエントリを上げる場合、情報を追加しなければ何の意味もないので軽くネット検索をかけてみた。手抜きで申し訳ないが「ソースはWikipedia」だ(笑)。以下引用する。

 

「容疑者」の語について

一般的に、日本のマスメディアマスコミ)では「容疑者」(ようぎしゃ)という用語が被疑者の意味で使用されている。これは、「被疑者」が「被害者」と発音が似ており間違える可能性があるため、「容疑者」を用いるとされている。マスメディアでは逮捕または指名手配などで身柄拘束されるかまたはそれがほぼ確実な状態のときに「容疑者」と呼び、身柄拘束されていない限りは「容疑者」は用いず「さん」付けか肩書で呼称しているが、上記のとおり、法律上は身柄拘束されていなくても容疑があれば被疑者である。なお、被疑者(容疑者)が起訴されると、マスメディアでは「被告」と呼ばれるようになるが、本来「被告」は民事訴訟行政訴訟で「訴えられた側」を表すものであり、法律用語としては「被告」が正しい。

以前は被疑者は実名呼び捨てであったが、1980年代半ばから末にかけ、「容疑者」という呼称がテレビ・ラジオや新聞などのマスメディアで用いられるようになった。その理由として、被疑者は無罪を推定されている立場であり、基本的人権の観点から呼び捨ては適正でないことが挙げられる。しかし、「○○容疑者とは言うが、あたかも容疑者=真犯人であるかのように、大々的に報道する傾向がある」と、呼び捨ての頃とあまり変わらない報道姿勢に対する批判も存在する[3]

歴史

なお、学校で使われる公民科教科書では、「~である人物を容疑者(または被疑者)と呼ぶ」などと、容疑者の文字は太字、被疑者の文字は細字のカッコ書きになっている。

  

 そうか、NHKは他のメディアより5年早かったんだ。そういえばそうだったかもしれない。おぼろげな記憶をたぐってみると、NHKが「容疑者」呼称の使用を始めた1984年は、まだ田中角栄が「闇将軍」として大きな影響力を行使しているとされた頃だ。だから、その当時に存在した『噂の真相』(「リテラ」の制作陣にはこの雑誌からの流れをくむ人が多い)などは、NHK角栄を(今の言葉でいえば)忖度したのではないかと書いていたのではなかったか。確かに(現在の「上級国民」の件と同じように)それもあったかもしれないが、呼び捨て報道が不当だったことは争えないだろう。

 さらに関連して思い出されるのが朝日新聞の一連のリクルート事件報道だ。「容疑者」呼称を始める以前の新聞は、記事本文では呼び捨てにしていたが、見出しでは役職名をつけるのが通例だった。たとえば1976年のロッキード事件では、各紙とも「田中前首相を逮捕」だった。この日記では、去年3月23日にこの件に触れたことがある。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 以下引用する。

 

 なお日本で「前首相田中角栄」が逮捕されたのは朴正煕暗殺の3年前、1976年7月27日だった。セミの鳴く真夏のクソ暑い日、夏休みで家にいたが、たまたまその日家に電気工事のためにやってきたおじさんに田中逮捕を教えてもらって驚いた。で、正午のNHKニュースを見ると、間違いなく田中角栄は逮捕され、毎日新聞の夕刊1面は「金権政治の象徴・前首相田中角栄がついに逮捕された。」(記憶に基づいて書いているので正確ではないかもしれない)というセンセーショナルな書き出しだった。

 

 朝日新聞その他は上記毎日のようなセンセーショナルなリード(書き出し)はつけなかったはずだが、その毎日新聞でさえ1面上の黒地白抜きの大見出しでは「田中前首相を逮捕」としていた。

 しかし、1989年のリクルート事件報道当時の朝日はそうではなかった。たとえばNTT前会長(当時)の真藤恒が逮捕された翌日(1989年3月7日)付の一面トップで、「NTT前会長・真藤を逮捕」という黒地白抜きの大見出しで報じた。

 それを見ながら、「被疑者の呼び捨てが議論されていて、もう少ししたら呼び捨てできなくなるかもしれないから、呼び捨てにするなら今のうちとばかりにやってるのかなあ。でもみっともないよなあ」と思った記憶が今も強烈に残っている。実際、上記Wikipediaによるとフジテレビが同年4月から呼び捨て報道を止めているので、真藤が逮捕された頃には議論がかなり喚起されていたはずだ。

 普通なら、もう少ししたら呼び捨てにできなくなるのだったら、それ以前の時期ではあっても抑制的に運用するものなんじゃないかなあと思うのだが、朝日はそうやらなかった。それだけ、自社が主導したリクルート事件報道に思い入れが強かったとともに、事件報道に前向きになって「他社の追随を許さない」ことに躍起になってたんだろうな、と思う。

 しかし、そういう姿勢は、たとえば「野党共闘」陣営内で、いかに自分が「野党共闘」に忠誠を尽くしているかを評価の基準にして争うようなもので、みっともなかったよなあ。そう今でも思うのだ。

 理屈そっちのけの感情論で、人間社会は動いている。この件もその一例だった。