kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今度は「朝日叩き」を批判した池上彰の「処世術」

例によって「朝日(新聞)叩き」を全開にしている『週刊文春』に連載されている池上彰のコラムを立ち読みした。右翼週刊誌である『週刊文春』など、よほどのことがない限り買わないから、どこかこのコラムを取り上げたブログがないかと思って探したら見つかったので、以下に紹介する。

この記事は削除されました。 ( その他政界と政治活動 ) - 北京老学生・日本から台湾へ - Yahoo!ブログ(2014年9月18日)

池上彰】の威を借りようとした『週刊文春』等に厳しい叱責??


18日(木曜日)はハイエナ週刊誌、『週刊新潮』と『週刊文春』の発行日。
今や、これら両誌は、すっかり『朝日依存症』になってしまったようで、『朝日』の文字を入れないと広告が組めないようだ(引用者注:元記事に画像あり)。

特に症状が深刻なのは、『週刊文春』のほうだ。
この雑誌は、『朝日依存症』ばかりでなく、『池上彰依存症』でもある(引用者注:元記事に画像あり)。

先週などは、このように、池上先生の威光を最大限、利用した広告を打っていた。
前にも書いたように、これは池上彰先生が、『週刊文春』に有難くも?2ページのコラムを執筆してくださっているというだけの話である。

特に、『朝日バッシング』特集号のために特別に『独占記事』を書いてくださったというわけでもない。
当然、池上先生のコラムは、今週号も掲載されているから、今度の号でも大きく取り上げているかと思いきや、一転して、これだけの扱いに過ぎない(引用者注:元記事に画像あり)。

しかも、『朝日新聞だけが悪いのか』という見出しでは、あまり、『週刊文春』に肩入れしてくれているようにも見えない(引用者注:元記事に画像あり)。

それでは、池上先生は今度の号にどのような原稿を書かれているのか?
今回のコラムは、何と、<『罪なき者、石を投げよ』>という新約聖書の文章からの引用のタイトルである。
『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい』というヨハネ福音書の言葉らしい。

そして、原稿につけられたイラストを見ると、『この女』ならぬ『朝日新聞のビル』に石を投げつける集団(ヘルメットに角棒のスタイルではないが、なんとなく、昔の学生運動みたいな男たちの影が書かれている)が描かれている。
さらに、池上先生らしき姿の人物が、『止めなさい』と彼らを制止しているようにも見える。

さて、今回の原稿の中で、最も印象に残った部分を抜粋して、引用してみると、次のようになる。

<(略)朝日新聞は、私の連載原稿を掲載しない…という判断をしました。これに対する各マスコミの非難は大変なものでした。
非難は当然とはいえ、その輪に加わっていた新聞社は、みんな「石を投げる」ことができるのでしょうか。

私は、かつて、ある新聞社の社内報(記事審査報)に連載コラムを持っていました。
このコラムの中で、その新聞社の報道姿勢に注文(批判に近いもの)をつけた途端、担当者が私に会いに来て、「外部筆者に連載をお願いするシステムを止めることにしました」と通告されました。
(略)後で新聞社内から、「経営トップが池上の原稿を読んで激怒した」という情報が漏れてきました。
(略)
新聞社が、どういう理由であれ、外部筆者の連載を突然止める手法に驚いた私は、新聞業界全体の恥になると考え、この話を私の中に封印してきました。
しかし、この歴史を知らない若い記者たちが、朝日新聞を批判する記事を書いているのを見て、ここで敢えて書くことにしました。その新聞社の記者たちは、「石を投げる」ことはできないと思うのですが。


朝日新聞は、自社を批判する週刊誌の広告の掲載を拒否しました。これもまた批判を浴びています。
この報道を見て、「そんなに朝日のことを批判できるのかなあ」と思った「週刊現代」の関係者もいるのではないでしょうか。

かつて「週刊現代」の新聞広告が、新聞社から長期にわたって掲載を拒否されたことがあったからです。
(略)
この時期、「週刊現代」は、その新聞社の経営トップに関する記事を立て続けに掲載していました。まさかそれで広告掲載拒否になったなどということは、ありえないと思うのですが。

朝日の社内では、社の方針がおかしいと多くの記者が声を上げ、幹部はコラムの掲載を決断しました。そこで、思い出すのは、私が所属していた放送局(明らかにNHKを指している−−引用者注)での出来事です。

1981年2月、当時の「ニュースセンター9時」が、ロッキード事件から5年になるのに合わせて特集を組みました。このとき、三木武夫元総理のインタビューが、当時の報道局長の指示で放送直前にカットされるという事件がありました。

(略)しかし、結局インタビューは放送されず、次の人事異動で、(これに抗議していた−−引用者注)政治部長も社会部長も異動しました。追及の先頭に立っていた社会部デスクも地方に異動しました。それからしばらく、NHK報道局には挫折感と無力感が充満しました。
今回(略)、少なくとも朝日の幹部は、判断の誤りを認め、謝罪するという態度をとったのです。
(略)(朝日に対する−−引用者注)こうした一連の批判記事の中には、本誌を筆頭に「売国」という文字まで登場しました。これには驚きました。

売国」とは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です。
少なくとも言論報道機関の一員として、こんな用語を使わないようにするのが、せめてもの矜持ではないでしょうか。
朝日は批判されて当然ですが、批判にも節度が必要なのです。

(略)活字大好き人間として、新聞界・出版界全体の評判を落とすようなことになってほしくないのです。>


これは、まさしく『正論』である。
(さすがは、池上先生。)

池上彰先生の『威』を借りて、『売国』キャンペーンを繰り広げようとしていた、『週刊文春』もいい加減、目を覚ましたらどうなのか?
(勝手に利用しようとした)池上先生から、逆に『叱責』されて、恥ずかしくないのか?


ブログ主さんは池上彰に拍手喝采を送っているが、私はそういう気分にはなれない。

確かに今回のコラムにおける池上彰の主張は、文句のつけようがない正論だった。池上彰は「国際連合脱退論」などを言い出した百田尚樹などとは違って、「朝日叩き」が行きすぎたと思ったらそれにブレーキをかける文章を書くことくらいはやる。つまり、今後国際社会から安倍晋三以下の極右連中が叩かれた時、彼ら極右連中を批判できるスタンスを確保しておくのである。これが池上流「処世術」というものであろう。また、池上のこうした処世術が、「池上さんは公正中立だ」というイメージ(ブランド力)を構築する源泉である。問題は、そういう「公正中立」のイメージを持った池上彰が、慰安婦問題全体から見たら取るに足らない問題でしかない「吉田証言」を大きく取り上げたことが、今回の「朝日叩き」を招き、日本が国際的に孤立するリスクを高めたことである。つまり、池上彰は「右や左の言論を見て、その真ん中に立ち位置を定めている」のではあるが、それはあくまで右翼化した現在の日本においてであり、世界における池上彰の位置づけは間違いなく「右寄り」なのである。

そうは言っても、今回の池上彰のコラムには、懐かしい話あり、興味津々の話ありで読ませるものではあった。前者はいうまでもなく80年代に「角栄寄り」でずいぶん叩かれたNHK会長の話である。確か坂本という人ではなかったかと思って調べてみたら、坂本朝一という人だった。その坂本の前の会長の小野吉郎も、1976年9月、ロッキード事件で逮捕された田中角栄邸を見舞いに訪れた件で引責辞任に追い込まれた。NHKと時の政権との癒着は、何も籾井勝人安倍晋三のそれに始まるものではないのである。安倍晋三は、小沢一郎の師匠・田中角栄のやり方を見習っただけかもしれない。

また、「興味津々の話」とは、池上彰を社内報の執筆者から外した新聞社とはどこかということで、これはズバリ読売新聞ではないだろうか。私は何の根拠も持っていないのだが、毎日は朝日以上に統制の緩い新聞社だし、「保守」(実際には「右翼」に過ぎないが)をウリにしている産経が「中立」のイメージで売る池上彰に自社の記事の批評を任せるとは到底思えないからだ(『正論』におけるメディア時評を思い出せば明らかだろう)。

こういうところで読者の関心を引きつける技術はさすがではあるが、今回の件においては池上彰自身の責任も重いことを改めて指摘しておかなければならない。

なお、朝日側で大問題だと思うのは、「吉田証言」を大々的に報じた清田治史が「記者時代の話だから」とか何とか言って知らぬ存ぜずを決め込んでいることだ。つまり清田は自分の報道に責任を持っていない。世間の「心情左派」の人たちのうちには、清田治史の報道が「根拠はないとはいっても誤報とまでは決めつけられないのではないか」と庇う向きもあるが、報道に際しては必ず裏を取るのがジャーナリズムのイロハである。清田治史は明らかにそれをやっていなかったから、それが現在右翼を大いに助けているわけである。清田の罪は万死に値するといえよう。帝塚山学院大の教授というのは、朝日記者の代表的な天下り先の一つらしいが、そのこと一つをとっても、清田治史とはとんでもなく悪質な「報道貴族」以外の何者でもなかろう*1

*1:この記事を書いた時には知らなかったが、清田治史は9月13日付で帝塚山学院大を依願退職したとのこと。