kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

『Web論座』掲載の原武史「米国は皇室に深く入りこんでいる」(聞き手・石川智也)を読む

 今月に入ってウェブ論座に載った中島岳志や藤生明の記事には私は全然感心しないけれども、同じウェブ論座の今日(5/11)付の原武史の記事は本当に良い。記事はインタビュー形式で、聞き手は朝日新聞の石川智也記者。

 

webronza.asahi.com

 

 幸いにもウェブ論座編集部が無料記事にしてくれている。以下、特に注目した部分をピックアップして引用する。

 

「リベラル」が天皇に期待するのは筋違いも甚だしい

 (前略)

 ――少し別の角度から、天皇が果たしてきた役割を考えたいと思います。明仁上皇と美智子上皇后日本国憲法の遵守の姿勢を明確にし、戦後民主主義とともに歩んできたとの印象が国民に共有されています。いわゆる「リベラル」側の人たちにもふたりへの共感は広がり、安倍政権の横暴を抑制するために、あるいは改憲を阻止するために、その防波堤機能を期待する声すらあります。

 ふたりの行動にはイデオロギーが希薄ですが、発言は寛容性を備えており、リベラルな知識人からもおおむね好感と称賛をもって迎えられています。知識人のなかにも、いまの皇室を民主主義の守護者のように思っている人は多い。

 しかし、民主主義を機能させるという本来政治が果たすべき役割を天皇上皇にしか期待できなくなっているとすれば、極めて危うい状況です。内閣や国会を介さずに現在の政治のアンチと天皇がつながるのは、昭和初期の青年将校が抱いた超国家主義の理想に近い。「リベラル」が天皇にそうした権力や権威を期待するのは筋違いも甚だしい。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050600003.html?page=2

 

アメリカは皇室に深く入り込んでいる

(前略)

 ――平成の天皇論の多くも、「和をもって貴しとなす」を地で行った天皇の振る舞いに注目した内向きのものだったと言えるかもしれません。しかし実際には、天皇は海外では相変わらず先の戦争の清算の問題と切り離しては見られていない。そのことに自覚的だったのはむしろ現上皇かもしれません。

 行幸のもう一つの柱である「慰霊の旅」ですね。国外の目という視点では、僕が注目しているのはその訪問地です。上皇明仁は確かに言葉では植民地支配や戦争への反省に踏み込んでいます。でも国外で訪れた激戦地は沖縄、硫黄島サイパンパラオ、フィリピンと、1944年以降に日本が米軍と戦い負け続けた島々ばかりです。柳条湖、盧溝橋、南京、武漢重慶パールハーバー、コタバルといった、1931年以降に日本軍が軍事行動を起こしたり奇襲攻撃を仕掛けたりした所には行っていないんです。

 日本の戦争の全体がむしろ隠蔽されていると僕は思っている。

 ――それは、対アメリカという要素が突出しているということですか。

 そういうことです。上皇上皇后が結婚後の1960年9月に最初に訪問した国はアメリカですが、これはアイゼンハワー大統領が来日できなかった代わりです。最初からアメリカとの関係が重視されている。

 上皇明仁は戦後、アメリカからやってきたヴァイニング夫人に教育を受けましたが、「アメリカ」は皇室に深く入り込んでいるわけです。それは言うまでもなく、戦争放棄とセットで天皇制を温存した憲法の設計者だからです。(後略)

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050600003.html?page=3

 

時代に合わない男女差別で成り立っている

(前略)

 上皇明仁は「おことば」で「国民」と「象徴」のあるべき関係を述べましたが、ここでの「国民」とは、いったい誰のことを指しているのでしょう。例えば在日韓国朝鮮人や、天皇・皇后の行幸啓前に公園や路上から排除されるホームレスなどは、含まれているのでしょうか。

 ――近代国家が想定している「国民」はそもそも血統や民族ではなく社会契約論的なものです。しかし、万世一系と「血」の純粋性を拠にする以上、天皇は多様化する社会の統合や包摂を担うメカニズムにはなり得ず、逆に排除の論理になりかねません。

 そうです。言葉を交わさなくてもお互いに「日本人」と確認し合える存在、伊勢神宮剣璽とともに動く天皇を見るだけで、沿道で涙する人たちにしか通用しない。そういう「生き神」を社会統合の原理にしてしまえば、外国をルーツとする人たちは閉め出されてしまいます。

(中略)

 ――重要な事実ですが、昭和天皇から10代遡ると、皇后から生まれた天皇昭和天皇以外一人もいません。昭和天皇は訪欧後に女官制度を改革し、一夫一婦制にこだわりましたが、明仁上皇は第五子でようやく生まれた男子だった。男系は侍妾や側室を持つことで成り立っていたとも言えます。でも、側室制度など旧宮家の皇族復帰以上にあり得ないオプションですね。

 つまり、そこまでして存続させる必要があるのかということなんです。

 男系男子が絶えれば天皇制は廃止、という結論と似ていますが、いまの天皇のシステムは、男性皇族よりも女性皇族に大きな負荷をかけて成り立っているものです。血のケガレを避けるための宮中の過酷なしきたりもそうですが、なにより、必ず男子を産むことを求められる。仮に女系が認められても、血統で存続させる以上は子を産まなければ存在意味がなくなる。そういう状況で、悠仁親王の結婚相手にすすんでなろうとする人が、どれくらい現れるでしょう。

 女性・女系が認められていないことも含め、時代に合わない大きな男女差別によって成り立っているものを、どんな正当的な理由で「存続させなければならない」と主張するのでしょうか。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050600003.html?page=4

 

天皇制の矛盾はもっと露呈していく

 ――退位が認められるなら即位拒否もあり得る、という議論が一部にはありますね。天皇には基本権が認められていない、だからその地位を離脱してふつうの人になる権利が認められてしかるべきだ、という憲法学者奥平康弘の問題提起も注目されています。

 天皇の人権が奪われていることだけを強調する人がいますが、僕には違和感があります。天皇天皇の地位につかなければならないという義務はありますが、憲法に規定された行為は極めて限られており、その一方でさまざまな特権を持っています。東京の真ん中で自然に恵まれた広い家に住み、巨大な別荘が3つあり、御料牧場まであるなど、一般の人間が一生味わえない待遇を受けている存在です。

 天皇の人権を言いだすと問題が途端に抽象化され、先ほど指摘したようなジェンダーや女性皇族の人権の問題がどこかに飛んでしまう。

 ――天皇制は憲法の平等原則の例外で、身分制の飛び地と言われています。現実の民主制と共存できても、人権と自由と平等という理念を思想的に突き詰めれば、世襲による君主制と民主主義は相いれないはずですね。

 それを指摘している人はほとんどいませんね。共和制への移行を主張する人も、なぜか天皇に人権がないという問題に矮小化させ、「陛下を我慢と犠牲から解放しなければ」「本当の意味で天皇を敬うためだ」という留保を必ずつけた言い方をする。

 天皇をめぐる言論には、依然としてタブーが存在するのです。

 ――メディアの「開かれた皇室」というキーワードは、キッチンで子どもに弁当をつくる昭和の美智子流か、国民の中へ分け入っていく平成流、あるいは秋篠宮眞子内親王の婚約者をめぐるワイドショー的世界でせいぜい落ち着いてしまっています。でも本当に天皇制を「開いて」しまったらどうなるのか。

 天皇制の矛盾は、これからもっと露呈していくと思います。新聞報道の一部は代替わり儀式に伴う政教分離や皇族減少の課題について指摘していますが、もっと根源的な問題には触れない。メディアがもっと多様な視点を提供しなければ、天皇のあり方を決めるべき主権者の国民のなかに議論は育たないし、タブーはいつまでも残ったままです。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050600003.html?page=5

 

 胸のすく天皇制論であると同時に、代替わりを機に、著者の原武史が従来よりも自らのスタンスを明確に打ち出したようにも思われる。聞き手の石川智也記者も良い。記事中で括弧付きの「リベラル」との表記を見て「おおっ」と思った。記事の2頁目にある

内閣や国会を介さずに現在の政治のアンチと天皇がつながるのは、昭和初期の青年将校が抱いた超国家主義の理想に近い。「リベラル」が天皇にそうした権力や権威を期待するのは筋違いも甚だしい。

という原武史の指摘には特に強く共感する。「昭和初期の青年将校が抱いた超国家主義の理想に近い」主張をする人たちは「ネオ皇道派」とも呼ばれている。

 その代表格が白井聡だろう。その白井について原武史がツイートで言及していることも興味深い。

 

 

 但し、上記は昨日(5/10)のツイートだから、原氏が比較して読んでほしいと書いたのは、同じウェブ論座に昨日載った下記インタビュー記事を指すのだろう(今日の記事はその続編)。下記にリンクのみ張っておく。

 

webronza.asahi.com

 

 昨日の記事には既に30件を越える「はてなブックマーク」がついているが、私は今日の記事の方が昨日の記事よりもっと良かったと思う。また、白井聡のインタビュー(朝日新聞5/10付文化面)については触れない。白井については過去にずいぶん批判してきたので、今さらそれにつけ加えることは何もないと思うからだ。去年白井を批判した記事にリンクを張っておくにとどめる。

 

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