kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

象徴天皇制の存続を危うくする「男系天皇」への固執と宮中祭祀の「血の穢れ」のタブー

 安倍政権が天皇の代替わりを口実に政権浮揚を図って設けた10連休も今日で終わり。春にはよくあることだが天候の急変などもしばしばあって、10連休なんかにしてもらう必要は全然なかったと思うが(その分明日からの仕事へのしわ寄せがある)、世間では改元に浮かれている人たちの方が目立った。安倍内閣支持率もまた上がるかもしれないし、まあろくでもなかった。

 連休中嫌でも考えさせられたのが天皇制だが、一部で評判をとった4月30日のNHKスペシャルは、テレビをつけていたもののほとんど真面目に見ていなかった。昭和天皇を第124代などと数えていた時点で見る気が失せたのだった。

 だが、ネットでの「リベラル」派の間では、下記水島宏明・上智大学教授(元日本テレビディレクター)の記事が高い評価を得ている。記事には千件以上の「はてなブックマーク」もついている。

 

news.yahoo.co.jp

 

 記事の冒頭に掲げられた「日本の象徴天皇制は自然消滅する」という見出しは、番組に登場した古川貞二郎・元官房副長官の言葉だが、実はこれは最近の私の持論と同じだ。ただ、私は(象徴)天皇制の自然消滅が望ましいとする立場だが、古川氏(及び著者の水島氏)は象徴天皇制の自然消滅を危惧する立場に立っているようだ。ただ、鍵を握るのが皇位継承だとの指摘には同意する。以下、記事の最初の方は飛ばして、その核心部分から引用する。

 

(前略)番組では天皇が行う宗教的な儀式などを撮影した映像をふんだんにつかって天皇の宗教行事の歴史的や経緯や変化などを伝えていた。

 その上で、番組の圧巻な部分は、「皇位継承」についての取材である。

 戦前の皇室典範も戦後の皇室典範も「男系男子」(男親の系譜で生まれる男子)を天皇継承の条件と定めている。これまでの歴史では女性の天皇がいた時も、「男系」(父親か祖父などが男性)の天皇であって女系はいなかった。

 この問題をめぐる取材が非常に深い。

 戦後に新しい憲法が発布されて、天皇は「象徴」という立場になり、宮家も11が廃止されて51人が皇族から民間人に身分が変わった。この

 取材班は、新憲法が発布された日に三笠宮崇仁親王昭和天皇の末弟)が皇室典範の草案を審議していた枢密院に提出した皇室典範改正をめぐる意見書を掘り起こしたが、そこで三笠宮は以下のように書いている。

「今や婦人代議士も出るし、将来、女の大臣が出るのは必定であって、その時代になれば今一度、女帝の問題も再検討」するのは当然だと。

 進歩的な思考の持ち主だった三笠宮は、天皇にも基本的人権を認めて、場合によって「譲位」という選択肢を与えるべきとも書き残していた。

 けっきょく、三笠宮の意見書は枢密院で検討された形跡がなかったが、その後、小泉政権で「女性天皇」「女系天皇」の問題が検討の対象になる。

 平成13年(2001年)、当時の皇太子ご夫妻(現天皇皇后両陛下)に女子(愛子さま)が生まれたことで平成17年(2005年)、小泉政権皇室典範に関する有識者会議が発足して、10ヶ月間、委員はいろいろな資料を元にして議論を進めたという。その中で委員が知った意外な事実があったという。

 これまでの125代におよぶ天皇のうち、約半分が「側室」(第2夫人、第3夫人など)の子と見られているという。戦後は「側室」という制度はない。過去400年間では側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇、124代の昭和天皇、125代の前天皇(今の上皇陛下)の3人のみで、側室の制度がない現在においては「男系」の伝統の維持は難しいという声が多くの委員が認識したという。

 けっきょく、この有識者会議では男女の区別なく「直系の長子(天皇の最初の子ども)を優先する」という最終報告を出し、翌年(平成18年=2001年)、政府は「女性天皇」「女系天皇」の容認に舵を切った。

 

 ところがこの動きに猛反発したのが男系の伝統を重視する人たちだったと、2006年3月に日本会議が行った「皇室の伝統を守る1万人大会」の映像が登場する。日本会議の関係者の映像がNHKスペシャルのような正統派ドキュメンタリー枠で登場するのはかなり珍しいが、NHKのスタッフは今回、番組制作にあたってこうした団体も正面から取材して放送している。

 当時の平岩赳夫衆議院議員日本会議国会議員懇談会会長=当時)は演説で以下のように語っている。

「連帯と125代万世一系で、男系を守ってこられたご家系というのは日本のご皇室をおいて他にはありません。守らなければならない伝統や文化は断固守っていかねばならない」

 さらに國學院大學名誉教授の大原康男さんもインタビューで「女系はいまだかつてない、まったく別の王朝が生まれること」などと説明するが、けっきょく2006年秋に秋篠宮ご夫妻に長男の悠仁さまが誕生したことで棚上げとなって議論が見送られた。

 

 記事には誤記が多い。赤字ボールド部分の「平成18年」は2001年ではなく2006年だし、「平岩赳夫」は、いうまでもなくかつてこの日記における主要敵の1人だった平沼赳夫の誤記だろう。しかし男系天皇にこだわる平沼ら極右の思想は、NHKが「天皇陛下の祖先」だとかニュースで抜かしていたらしい天照大神が女性とされていることを思えば全くの理解不能だ。

 記事の冒頭に掲げられた、元官房副長官古川貞二郎の言葉はこのあとに出てくる。以下引用を続ける。

 

 だが、有識者会議の委員の一人だった元官房副長官古川貞二郎さんが以下のような言葉を述べるのである。

「私はね、不本意ながら、本当に日本の象徴天皇制は自然消滅するのね、そういう言葉は使いたくないけれど、そういう可能性が高いんじゃないかというふうに心配しますですね。これは。というのはお一人。いずれ悠仁親王殿下おひとりになられる。

 本当に国民が理解し支持するという案で、この象徴天皇制を継承する議論をし、取り組みをしないと、私は後生に非常に悔いを残すことになりはしないだろうか、というふうに思いますね」

 確かに、これまで125代の天皇のうち、側室から生まれていない天皇が3人しかないのであれば、側室という制度がなくなった以上、「女性天皇」を認め、「女系天皇」を認めない限りは、古川氏の言う通りで「自然消滅」してしまう可能性が高い。

 「男系」を維持すべきと訴えてきた(日本会議系の)人たちは「ある案」に期待を寄せていると、番組で紹介している。

 それは旧宮家の子孫を皇族に復帰させることで、男系が続く家の男子が女性皇族と結婚するか、皇族の養子になってもらう、という案だという。いずれにせよ、本人にその意思がなければ実現できないため、NHKの番組取材班は旧宮家の人たちに「質問状」を送って、皇族に復帰する気持ちがあるかどうかを尋ねたところ、全員が「この件はコメントをさし控えたい」という反応だった。

 番組では「仮に復帰する意思があったとしても皇室典範の改正は必要」とナレーションで説明。

 「女系」に反対する急先鋒だった平沼赳夫衆議院議員にもインタビューしている。

平沼赳夫元議員)

「やっぱり悠仁親王に男の子がたくさん将来お生まれになることが望ましい。」

(ディレクター」

「一般の我々にしても、女の子がずっと生まれるというのはある。天皇家だけ例外があるのかというとそれも・・・」」

(平沼、しばらく無言で考えた後で)

「誰も結論は出ないでしょうけどじっと待つしかないな。それを信じながら」

 右派の大物議員で現政権にも少なからぬ影響力を与える人物でさえ「じっと待つ」「信じる」という他にこれという妙案がないという。

 そうであればこそ、100年先、200年先でも継続するような仕組みを国民全体でどうやってつくるのか議論することが必要なテーマであるはずだ。

 

 今度は平沼赳夫の名前が正しく表記されている。しかし、「右派の大物議員」は「右派の大物議員」の誤りだ。私としては「右派」ではなく「極右」という言葉を使ってほしいところだが。

 さらに、「100年先、200年先でも継続するような仕組みを国民全体でどうやってつくるのか議論する」こと以前に、このような問題を抱えた天皇制の存廃が議論されるべきだと思うのだ。だからこの記事にはさして共感しなかった。はてブが千件以上もついたことには少なからず驚いた次第。

 これに続く故三笠宮崇仁晩年のコメントは、女系天皇ではなく女性天皇に関するものなので引用は省略する。

 問題の核心の一つは、平沼赳夫が言った「やっぱり悠仁親王に男の子がたくさん将来お生まれになることが望ましい。」という言葉だろう。これと同じ言葉が、宮中祭祀と並んで、皇太子妃時代の皇后雅子を適応障害に追い込んだのではないかと私は考えている。確か雅子は90年代に不妊治療を受けたが2000年に流産し、2001年にようやく出産したが女児(愛子)だった。しかし2003年6月、当時の宮内庁長官・湯浅利夫は定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言した*1。現天皇が雅子の「人格を否定」したと発言した時に念頭に置いていたのは、間違いなくこの湯浅利夫だろう。

 

 雅子を悩ませたもう一つの要因であると推測される宮中祭祀については、ネット検索で『女性セブン』の下記記事を拾った。

 

www.news-postseven.com

 

 以下、記事から宮中祭祀に関する部分を引用する。

 

 だが、雅子さまにはまだ大きなハードルも残っている。それが、皇后としての「祈り」である宮中祭祀だ。美智子さまにとって、宮中祭祀は陛下とともに果たされるべき重要な責務であると同時に、皇太子ご夫妻をはじめ、次代にしっかりと受け継いでいくべきものだ。ところが皇室に嫁がれて以来、雅子さま宮中祭祀に消極的だとされてきた。理由の1つは『潔斎』が伴うことだろう。

「全身を清める潔斎は、雅子さまが女官に全身をさらし、女官の手によって行われます。手順を遵守するだけでもかなりのご負担だったでしょうが、それを他人の手によって受けるというのは、精神的にも大変な面はあったことでしょう」(前出・宮内庁関係者)

 さらに、雅子さまを悩ませた慣例があった。

「宮中では生理を、御所言葉で『まけ』といいます。この『まけ』の際には、血の穢れという概念から、宮中祭祀にはかかわってはいけないとされているのです。雅子さまは皇室に嫁がれて以来、頻繁に生理のチェックをされたことをかなりご負担にお感じになっていたようで、それが巡って、宮中祭祀への見えない隔たりとなってしまったと聞きます」(前出・宮内庁関係者)

 療養に入られて以降、雅子さま宮中祭祀の機会は、皇太子さまと両陛下の名代を務められる場合などに限られてきた。だが皇后となればその頻度は大幅に増える。快復の途上にある雅子さまが、それを理由に暗いトンネルへと戻られてしまうことさえ危惧される。だからこそ、ある皇室ジャーナリストはこう警鐘を鳴らす。

「2016年夏の『お気持ち』で陛下は殯(もがり)という“死の穢れ”に言及されました。生前に退位できれば、殯に関連する行事や儀式の負担を減らせるとお考えになってのことだったのでしょう。ですが、女性差別である“血の穢れ”という考え方が宮中に厳然と存在してしまっている。美智子さまには、伝統として残されたいというお気持ちもあるのでしょう。ただ、雅子さまの今後を考えれば、あえてその“血の掟”にメスを入れることを、残り1年4か月の間に美智子さまがお考えになられてもと思うのですが」

 周囲の協力を得ながら、雅子さまが高い壁を越えていかれることを願ってやまない。

 

※女性セブン2018年1月18・25日号

 

 記事の最後が「雅子さまが高い壁を越えていかれることを願ってやまない」などという偽善的な言葉で結ばれていることは「天皇制万歳」の女性週刊誌の限界ではあるが、そうはいっても宮中祭祀における「血の穢れ」のタブーの理不尽さをよく伝えていることは評価できる。前皇后・美智子にも、前天皇・昭仁との結婚に反対した姑の香淳皇后昭和天皇妃)から受けたであろう圧力ともども「宮中祭祀」への適応は大変なことだっただろうと思われるし、昭和時代後半には「美智子妃は皇室に入ってずいぶんやつれた」というのが定説になっていたことを私もよく覚えている。

 しかし、前皇后は貞明皇后香淳皇后と同じように精神力が強く、最後には宮中祭祀に適応し切ったばかりか、それに力を入れることについて、もしかしたら前天皇に発破をかけるくらいの存在だったかもしれない*2。だから、記事が書かれた昨年初めの時点で残されていた、前天皇の在位期間の「残り1年4か月の間」に前皇后が次の皇后のために宮中祭祀の「“血の掟”にメスを入れ」たりなどしなかったに違いない。だが、誰もが貞明皇后香淳皇后や前皇后のようになれるはずもないし、これまでの経緯から推して新皇后・雅子が前記3人のようになれるとは到底思われない。

 それならばいっそ新皇后は、新天皇と一緒になって「宮中祭祀のタブー」に闘争を挑んではどうか。たとえば原武史の新皇后への「期待」とはぶっちゃけた話そういうことなのではないか。私など、さらに「宮中祭祀をぶっ壊せ」*3と言いたいくらいだ。

 ところが、このところしばしば指摘するように、右翼側からばかりではなく「リベラル・左派」側から新皇后に「前皇后と同じように宮中祭祀を真面目にやれ」と圧力をかける言説が流されている。そういうことを言う人に限って、「新天皇は前天皇ほど真面目に日本国憲法を守る気がない」などと言い出す始末だ。

 私など、神道の行事にほかならない「宮中祭祀」こそ日本国憲法違反であり、前天皇夫妻は日本国憲法を遵守しようという善意を持っていたことは疑い得ないにしても、彼らが実際にやっていたことは彼ら自身の思想心情*4に反することではなかったかと思うのだ。だが、一部にとどまらない「リベラル・左派」の間では、今や前天皇夫妻に対する批判がタブーになっているように思われる。倒錯もいいところだ。

 現状の延長では、平沼赳夫が熱望するような「やっぱり悠仁親王に男の子がたくさん将来お生まれになることが望ましい。」という圧力に加えて、苛酷な「血の穢れ」のタブーに束縛される「悠仁親王妃」は、生き地獄を味わわされるだろう。

 それには、まず現皇后が今まで苦しめられてきたものの正体を白日の下に晒すことが求められるのではないか。そうやっても、別に憲法違反には当たるまい。むしろこれまで現皇后を苦しめてきたものの方が憲法違反に当たる可能性が高い。さらに言えば、前天皇夫妻の意向に忠実に「宮中祭祀を真面目にやる」方がよほど日本国憲法に抵触する恐れが強いのではないか。

 このまま何も変わらなかった場合に将来の「悠仁親王妃」に待ち受けているであろう受難を思えば、宮中祭祀との闘いこそ新皇后の歴史的使命なのではないかと思われる。

 その結果、象徴天皇制が続くか自然消滅に至るかはわからない(最初に書いた通り、私は後者が望ましいと思うが)。しかし、現在の天皇家のあり方が、特に女性皇族の人権を蹂躙しており、それを改める必要があることだけは間違いないと確信する。

*1:https://www.excite.co.jp/news/article/Jisin_1732189/

*2:外部からは窺い知れないので推測にとどまるが。

*3:もちろん小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」に掛けた表現だが、自身が女系家族の生まれだった小泉が女系天皇容認論者であることは周知の通り。小泉を激しく嫌っている私も、女系天皇容認論についてだけは小泉の言い分を認めてやっても良いかと思う。

*4:信条というより心情という言葉の方がぴったりくる。