kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「薔薇マークキャンペーン」と「野党共闘」は多数派形成の努力を怠り、身内で馴れ合っているだけではないのか

 昨日(5/10)の記事のコメント欄より。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

id:redkitty

統一地方選で少しだけですが楽しみにしていたのに、こちらの地元まではさっぱり聞こえてこなかった薔薇マークキャンペーン。呼びかけ人をざっと眺めるに、おともだちどうしの印象。そんたく仲間とまではいわないけれど。この人たちに政治運動はできるのか、そもそもその意志はあるのかと思ってしまっています。

 

 私は「そんたく仲間」と言い切ってしまって良いと思います。彼らに政治運動を真剣にやる意志があるかは甚だ疑問です。

 なぜなら、民主制においては政治とは多数派形成のプロセスであるはずなのに、彼らはそれよりも身内の人間関係(の維持)に重きを置いている(ようにしか見えない)からです。

 実は「薔薇マークキャンペーン」と同じ体質を持つ政治運動がもう一つあります。それは「野党共闘」です。

 先の衆院大阪12区補選で明らかになったのは、今の「野党共闘」の合言葉が「本気の野党共闘」なるものだったことです。語るに落ちるとはこのことで、「野党共闘」を構成する者がどれだけ「野党共闘」に忠実であるかで仲間の価値を測る、そう自分たちから宣言してしまっているわけです。

 これでは無党派層の支持など得られるはずもありませんし(事実、メディア各社の出口調査によれば、無党派層宮本岳志候補に投票した人は1割未満でした)、それどころか「共闘」の一方の中核をなす共産党(他方の中核は小沢一郎)の支持者のうち4分の1が他の候補(多くは右派新自由主義者樽床伸二)に流れるなど、身内の票さえ確保できない惨敗でした。現在の「野党共闘」は、小沢一郎共産党、それに小沢・共産のそれぞれと親密な政治学*1たちによる「馴れ合いの場」と化してしまっています。

 同じことが「薔薇マークキャンペーン」にもいえます。彼らは、特に反安倍・反自公勢力のうちボリュームの大きい旧民主・民進系の人たちを説得することに失敗しているように見えます。

 私はTwitterをやっていないので気づかなかったのですが、旧民主・民進系のTwitterアカウントのうち、フォロワー数が5桁に達している「アルファアカウント」(というのだそうです)には、「反・反緊縮」に走る人たちがいて、彼らは「薔薇マークキャンペーン」に対するアンチになるとともに財政再建志向を強めています。そして彼らの主張が旧民主・民進支持系のうち良心的と思われる人たちまでをも説得することに成功してしまっているという頭の痛い状態を招きつつあります。ボリュームとしてはほんのわずかであるに過ぎない山本太郎及びその支持者たち*2と馴れ合っているだけでは、キャンペーンの前途は明るいものには絶対なりません。

 「薔薇マークキャンペーン」の主唱者たちは、いったい何のために政治キャンペーンをやっているのか。自らの理念や政策を広めて多数派を形成することではないのか。それよりも身内の人間関係を優先させていてどうする。そんなキャンペーンだったら、やらない方がまだましだ。そう言いたくなります。「野党共闘」についても同じです。

 現在の「薔薇マークキャンペーン」及び「野党共闘」の惨状に対しては、以上のように論難せざるを得ません。

*1:小沢一郎に近い学者としては山口二郎共産党に近い学者としては中野晃一や木下ちがや(こたつぬこ)各氏の名前が挙げられる。

*2:そのボリュームの小ささは、少しまでまで存在した自由党政党支持率を思い起こせば明らかだろう。