kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎の行動をずっと「小沢一郎の怨念」が縛っていたのではないかとの仮説

 何やら静岡選挙区で国民民主党陣営と立憲民主党陣営との間に妙な争いが持ち上がっていて、スズキの鈴木修が国民民主党候補を支持しているとかいう話も聞こえてくるが、鈴木修といえばあの極右の城内実が無所属候補として立候補し、自民党前職だった(同じ極右の)片山さつきと争った2009年衆院選でも城内を応援した人間だから、そんな奴が応援する民民の候補に肩入れする気には私には全くなれない、とだけ書いておく。

 この件では「民民 vs. 立民」の対立構造になっているが、それ以上に今回目立つのは、「山本太郎 vs. 『野党共闘』」の対立構造だ。「野党共闘」の軍師とも目される木下ちがや(こたつぬこ)氏の記事に、目を引く文章があった。

 

imidas.jp

 

 以下、私の目を引いたくだりを引用する。

 

(前略)沖縄の選挙戦で分裂の傷を徐々に癒しつつあった野党連合ではあるが、2019年5月までその姿は、国民の目には揉め事を繰り返す弱小勢力としか映っていなかった。野党連合の支持者には閉塞感が広がった。この閉塞感と、安倍政権がもたらす憂鬱さこそが、「第三極」ポピュリズム台頭の土壌となったのだ。4月の大阪ダブル選挙で圧勝した日本維新の会の躍進と、同月に立ち上がった山本太郎率いる「れいわ新選組」の登場である。参院選ではこの2つのポピュリズム政党が議席を伸ばし、野党連合はまたも沈没するのではないか。このような見方に、マスコミは「6月末まで」は傾いていた。

(中略)

 野党連合がリベラルに転回しながら結束を固めていくなかで、立憲民主党もまた変化した。拙著『「社会を変えよう」といわれたら』(大月書店)でも論じたように、枝野率いる立憲民主党は、結党当初、希望の党から排除されたことで「アウトサイダー」の地位を得、民進党の負のイメージを払拭することで躍進を果たした。この過程で枝野はポピュリストの衣を纏い、扇動家としての地位を固めたかに思われた。

 しかし、立憲民主党野党第一党になったため、「アウトサイダー」ではなくすべての野党をまとめ上げる「公器」としての役割を担うことになった。扇動家としての突出は、立憲民主党そのものの求心力は引き上げるものの、野党間では遠心力が働くというジレンマが生まれる。「アウトサイダー」から「公器」へ。立憲民主党がこのジレンマを解消していくプロセスで、ポピュリストのカードは枝野から山本太郎に引き渡された。山本太郎現象」とはまさに、この立憲民主党の変形プロセスの産物に他ならなかった。

 ポピュリストから「低姿勢」に転じた枝野は、野田佳彦率いる旧民進系無所属議員のグループを「緩衝地帯」に据え、国民民主党との距離を測りつつ、地域レベルのネットワークの広がりに乗じて野党間をとりまとめていった。「立憲民主党と国民民主党との確執」「共産党と連合との確執」が盛んに喧伝されていたにもかかわらず、参院選1人区の野党一本化が予想以上にスムーズに進んだのは、水面下でこのような戦略転換がなされていたからである。

 こうした持久戦のなかでつくりあげてきた野党連合がやっと姿を現したのが、6月19日の国会党首討論だ。この討論では、立憲民主党枝野代表、日本共産党志位和夫委員長が年金不足、年金不安を解消するための具体的な提案を行い、国民民主党玉木代表が安倍総理を挑発するという役割分担がなされていた。虚を突かれた安倍総理は不規則答弁を繰り返した。硬軟織り交ぜながら批判とともに具体的な提案を国民に投げかけるというこの連携プレーは、野党がこれまで以上の結束で参院選に挑むことを予感させた。

 ただそれは予感にすぎない。野党連合が、この安倍政権の危機を利用して好機に転じることができるかどうかは、これまで積みあげられてきた地域ネットワークの力が、十分に引き出せるかどうかにかかっているからだ。いま問われているのは野党連合のリーダーシップと、民主主義の再生を願う人々がどれだけこの選挙戦に――ネット上だけでなく――直接足を運び、参加するかである。(後略)

 

出典:https://imidas.jp/jijikaitai/c40-130-19-07-g695

 

 正直言って、この分析には過度の楽観と「我田引水」が感じられて同意できない箇所が多いのだが、一昨年の衆院選の頃とは、反自民陣営内に働く力学がずいぶん変わったことは間違いないと感じられる。それが「野党共闘」の中枢部と山本太郎陣営との亀裂につながったのではないかというのが、私がこの記事で言いたいことの一つだ。

 「ポピュリズム路線」に走ってきた「野党共闘」にとって特に大きな挫折だったのは、先の衆院選大阪12区補選での、直前まで共産党参院議員だった「無所属候補」の惨敗だ。「無所属候補」は、なんと共産党支持層の4分の1を逃がして供託金を没収されてしまう大惨敗を喫した。民主集中制共産党ゆえ表面にはなかなか出てこないが、惨敗を受けても表向き「共闘」を続けるぞと叫び続けるしかない幹部の言葉とは裏腹に、内部では敗因の分析作業がなされてきたであろうことは想像に難くない。

 私は、衆院大阪12区補選で共産党が大量の基礎票を逃がしたのは、「私たちは共産党を支持しているのであって『野党共闘』を支持しているのではない」という共産党支持者の強い思いがあったからだろうと推測している。さらに言えば、共産党参院議員を無所属で出馬させる案を考えたのは小沢一郎だといわれているのだが、「野党共闘」そのものの原動力も小沢だった可能性がきわめて濃厚だ。身も蓋もない言い方をすれば、共産党幹部が小沢の口車に乗って始まったのが「野党共闘」ではなかったか。で、その小沢を突き動かしているものは何かと言えば、それはかつての自民党内及び旧民主党内の政敵に対する私怨だ。つまり、端的に言えば共産党と「野党共闘」は小沢の私闘に利用されてきた。共産党支持者たちは、はっきりそのような認識ではないにせよ、「野党共闘」の怪しさを薄々と感じ取り、それで無所属候補が大量の基礎票を逃がしたのではなかったかと思うのだ。

 で、山本太郎について言えば、彼は自由党と袂を分かって新党を立ち上げた時、本当は共産でも立民でもない独自路線を行かなければならなかったのだが、実際にはそうはしなかった。そう私は見ている。表向きは独自路線を行くかと見せつつ、実は共産党にすり寄って立憲民主党を攻撃しようとした。その山本を動かしたものは、まるでフロイト精神分析理論における「超自我」のように山本の思考を支配した小沢一郎の怨念ではなかったかと私は思うのだ。

 そのもっとも顕著な表れが、麻生太郎への問責決議案の採決を棄権した際に自らのブログに書いた記事だった。しかしそれは、上記木下ちがや(こたつぬこ)氏らを含む共産党系の人たちからも強い批判を浴びた。

 Twitterを見ていると「山本太郎信者」(ヤマシン)には、「小沢一郎信者」(オザシン)から転向した人たちが圧倒的に多い。彼らヤマシンの呟きを見ていると、やたらと目につくパターンがある。それは「共産党はなぜ山本太郎ではなく立憲民主党を選ぶのか」という嘆き節だ。その理由は山本太郎自らが「野党共闘」から離れて行ったからだろうが、としか私には思えないのだが、彼らにはそんな簡単なことさえもわからないようだ。私は山本太郎が選ぶべきは共産でも立民でもない独自路線だと書いたが、もっと書けば、「野党共闘から離れたのであれば、小沢一郎がずっとやり続けたような、共産党と同党の支持者を利用するような真似はもう止めろ」と言いたい。しかし、山本太郎共産党支持者たちの反発を散々招いたあげく、最後には「最後通牒」かと思わせる下記のツイートをこたつぬこ氏に出させてしまった。

 

 

  上記は、直接にはこの記事の冒頭で触れた静岡選挙区での民民と立民の候補者間の軋轢に関するツイートだが(「静岡新聞のスクープ」はその件に関する報道)、ツイート中にある

「野党分断」「自民と机の下で手を握っている」などという事実無根の中傷

をもっぱら発してきたのは「ヤマシン」「オザシン」の諸氏だった。そして山本太郎自身も、当初は彼らが望む通りの言動を繰り返してきた。

 山本太郎が最初大阪入りした時には共産の辰巳孝太郎候補だけを応援したが、二度目には同じ日に辰巳候補と立民の亀石倫子候補の両方を応援したとのことだ。このことからも、山本太郎自身は批判を受け入れる度量も理性も持った人であることはわかる。いや、そういう表現よりもむしろ、山本太郎には「風を読む」能力があると評するべきかもしれない。つまり、「ヤマシン」や「オザシン」の望む通りに行動しても良い結果にはつながらないことを認識する能力が、山本太郎には間違いなくある。

 しかし、これまで山本太郎の行動を事実上縛りつけていた小沢の「怨念」からの解放は未だ十分にはなされていないのではないだろうか。

 もちろん「野党共闘」自体には問題山積であって、それらは私もずっと批判してきたことなのだが、残念ながら今回の一連の山本太郎の行動で本当に買えるのは、「特定枠」を2つも使用したことだけだったと言わざるを得ない。もちろん山本太郎陣営が打ち出した経済政策も一定程度買えるのだが、残念ながら消費税に対する戦術の誤りなどによって相殺されてしまった。

 結局、「野党共闘」にせよ、「希望の党」に弾き出された結果誕生した「立憲民主党」にせよ、本当にあったかどうかももはやわからなくなりつつある「山本太郎現象」にせよ、小沢一郎を抜きにしては考えられないものであって、「平成」の時代にずっと続いてきた小沢一郎の呪縛がまだ残っているともいえる。

 私は、小沢一郎の影響を無化するところまでいかなければ、今後の日本が良い方向に変化することは絶対にあり得ないと考えている。だから「野党共闘」も立憲民主党も「山本太郎現象」もみな過渡的なものだとの認識だ。

 小沢一郎を象徴するのが新自由主義衆院選小選挙区制だ。そうした諸悪の根源を乗り越えない限り、日本に未来はない。