kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

参院選、共同通信調査で「比例は自民」が31%に上昇 &「崩壊の時代」・山本太郎などなど

 参院選、選挙中に野党への支持が増すどころか後退し、逆に自民や維新の勢いが増すという世論調査結果を共同通信が出してきた。下記は共同の配信を報じた中日新聞の記事。

 

https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019071402000051.html

 

「比例は自民」上昇31% 参院選、トレンド調査

 

 共同通信社は12、13両日、参院選有権者動向を探る全国電世論調査(第2回トレンド調査)を実施した。比例代表の投票先は、最多の自民党が前回調査(6月26、27日)と比べ2・2ポイント増の31・0%に上昇した。2位の立憲民主党は7・2%で1・8ポイント落とし、自民、立民の差が広がった。選挙区での投票先を「与党系候補」とした回答は0・9ポイント増の32・2%。「野党系」は1・5ポイント増えて21・8%だった。

 安倍内閣の支持率は46・5%。前回より1・1ポイント減ったが、不支持率も3・8ポイント減り40・3%だった。安倍政権下での憲法改正に「反対」との回答は1・3ポイント増の51・4%。「賛成」は0・8ポイント減の34・2%だった。

 比例投票先は「まだ決めていない」が37・4%。自民、立民に次いで公明党5・6%(前回と同じ)、日本維新の会4・4%(前回比1・2ポイント増)共産党2・9%(0・5ポイント減)、国民民主党2・5%(0・9ポイント増)、政治団体「れいわ新選組」1・1%(今回から選択肢に追加)、社民党0・8%(0・4ポイント減)と続いた。

 金融庁の金融審議会報告書を巡る老後資金2000万円問題について「争点だと思う」と答えたのは46・1%で、前回より4・0ポイント減少。「思わない」46・9%とほぼ並んだ。

 10月に消費税率10%へ引き上げる政府方針に「反対」は3・2ポイント増の54・3%になった。「賛成」は3・9ポイント減の40・8%。安倍政権の経済政策アベノミクスについては、「見直してほしい」が62・0%と高いままだった。「継続してほしい」は2・4ポイント増えたものの29・1%にとどまった。

 

中日新聞 2019年7月14日 朝刊)

 

 日曜朝の某「リベラル」番組は、対韓輸出規制の話から始めて「風をよむ」で芸能関係者の訃報を大きく扱うなどの惨状を呈しているが、そういう空気の国ではこういうトレンドになっても不思議はない。

 この機会だから、私が最近ずっと考えていることを以下に書く。

 現在の安倍政権を「野党が倒す」というか、野党への支持が増えて選挙で与党が負けることによって政権が倒れる可能性はほとんどなくなった、そう私は考えている。観念したのは昨年春、『夕刊フジ』までもが政権はもう保たないと判断していったんは政権批判に走ろうとした、財務省が公文書の改竄や隠蔽を行った件を受けても内閣批判は指して強まらず、『夕刊フジ』も1週間ほどのちにはもとの野党叩き、中韓叩きの路線に戻った頃だった。この件を境に、「リベラル」系メディアも野党も、安倍政権に大きな打撃を与える「弾丸」が撃てなくなり、年金問題にせよ消費税増税にせよ、政権支持率低下にはいっこうにつながらなくなった。このことは「批判する言説が絶え果てた『崩壊の時代』」がいよいよその完成形に近づいたとも表現できる。2012年から翌年にかけての坂野潤治の予言が成就したと言おうか。

 だが「崩壊の時代」全体としてはどうだかわからないが、少なくとも安倍政権はそう遠くない未来に終わる。といっても、政権が野党や有権者に倒されるのではなく、外交で行き詰まるか、さもなくば健康問題で退陣を余儀なくされる場合しか今のところ思い浮かばないが。

 そして、安倍政権が終わったあと、次の政権はそのどうしようもない後始末を強いられる。現在の政権の施政には、安倍晋三の個人的な嗜好が多分に反映されているから、どんなに安倍に近い人物が後継に座ろうが修正を余儀なくされるし、その過程で「安倍政権とはいったい何をやっていた政権なのか」と人々が呆れずにはいられない事態が続発することは絶対に間違いない。

 だがそれはかなり先の話だ。現在の最大の課題は2つあって、1つは改憲や労働環境の今以上の劣悪化に代表される、さらなる「崩壊」を安倍晋三にやらせるのを阻止することであり、もう1つは安倍政権が終わる前後の時期に日本社会が受ける衝撃をいかにして緩和するか、言い換えれば、もはや不可避になってしまったハードランディングをいかにソフトランディングに近づけるかだ。

 私がいかに「野党共闘」に対する批判を持っていても、いざ選挙になったら1議席でも自民や維新の議席を削るための「戦略的投票」を考えるなどの「蟷螂の斧」をふるうのに血道を上げる動機はそこにあるだけであって、選挙で野党が勝ったり、そこまでは行かなくとも「躍進」したりするのではないか、などという期待はここ数年持ったことがない。そんな具合だから、私は選挙だの解散だのの話になると、正直に言えば「選挙なんてもういいよ、やらないでくれ」と思う。

 だから、よく聞かれる「安倍首相に野党が解散を迫らないのは『本気度』が足りないからだ」という物言いには全く賛成しない。そ何度選挙をやったって安倍自民党が勝つだけだという理由以上に、そもそも総理大臣の解散権濫用こそが問題なのであって、それを辛抱強く説くことこそ「崩壊の時代」において政権に対抗する政治家に求められることだ。それをやらない人間はマックス・ウェーバーの言う政治家の要件を満たしていない。私はこのように堅く信じている。

 下記にウェーバーの『職業としての政治家』の有名な言葉を挙げておく。

 

 政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。

岩波文庫版『職業としての政治家』105頁)

 

 これができない「こらえ性のない」政治家、作ったり壊したりばかりしている政治家は、ウェーバーの言う「政治家の要件」をそもそも満たしていない。これを書きながら私が念頭に置いているのはいうまでもなく小沢一郎だが、現在の「野党共闘」にもそれがスタートした時期に小沢が深く関わったことは疑う余地がない。小沢は一方で「野党共闘」を進めながら、他方で自らもかつて在籍した野党第一党を分裂させる「希望の党」設立にも深く関与したのだから、その罪の深さは想像を絶している。万死に値するとはこのことだ。

 「崩壊の時代」はまた、その小沢が関与した野党時代のもろもろに対する総括も求められる時代だと思うのだが、「野党共闘」、「立憲民主党」、「山本党(元号政治団体)」のいずれもその「ファイナルアンサー」ではあり得ず、過渡的な混乱が今後も続くことは避けられないと考えている。

 そうは言っても投票しないわけにはいかない。それは気の重い作業であり、国政選挙に浮かれる気分などもうとっくの昔に消え失せているというのが正直な心境なのだ。

 

 以下、「野党共闘」の軍師といわれる共産党政治学者・こたつぬこ(木下ちがや)氏のツイートからいくつか拾う。

 

 

 現在、「MMT右派」内で内ゲバをやらかしていると聞く上念司が、その腹いせなのかどうかは知らないが、共産党と山本党に関するデマをばら撒いているらしい。これは、後述の田中龍作ブログのデマ記事に乗っかった形にもなっている。

 

 

 なお、上記ツイートから引用されたこたつぬこ氏自身のツイートに、

共同トレンドをみると、共産党の比例がれいわに吸われているのは事実でしょうね。

と書かれているが、それに対応する部分は最初に引用した中日新聞記事に、赤字ボールドドアと青字ボールドを対比させて示した。自民と維新が伸びている一方で立民と共産は後退し、今回から共同通信が選択肢に加えた「×××(山本党。この日記では禁句なので伏せ字にした)」が投票先として1.1%の数字を叩き出している。しかしこれは、6月22,23両日に朝日新聞が行った世論調査に示された数字(比例での投票先として山本党を挙げた人は1%だった)と全く変わっておらず、選挙期間中に山本党への支持が拡大しているとは認められない。この朝日の世論調査については以前取り上げた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 つまり、共同通信世論調査結果は、共産(や立民)が「×××に食われた」のではなく、単に共産や立民が伸びていないどころか後退の気配すらあることを示す以上のものではないのではないか。

 

 共産と立民の「野党共闘」もこんな調子だが、山本太郎の応援団も実にひどい。ことに田中龍作のブログ記事は最悪だ。以下に2つ例を示す。

 

tanakaryusaku.jp

 

 以下引用する。

 

 今回の選挙で最も割を食っているのが共産党であり、辰巳コータローだろう。

 党は野党共闘優先のあまり「共産らしさ」を失い、辰巳は立憲が擁立した人気弁護士に票を食われ、苦戦を強いられている。

 街宣現場で支持者が辰巳を叱咤激励した。「山本太郎さんのように腹をくくって下さいよ。巧みな戦術を学んでくださいよ。もう後がないんですからね」。

 この支持者(書道教室講師・女性)はこれまで比例は共産党に投票してきたが、今回は山本太郎に入れるという。

 山本はきょう11日、大阪市内(京橋、梅田)で辰巳の応援に入った。追及の名手同士のコラボとなった。

 「大阪に今日入った理由は、辰巳コータローさんを絶対に国会に戻さないとダメですよと皆さんに言う為です」。山本は開口一番言った。

 「辰巳コータローさんは権力側に嫌われる追及力(中略)こういう方は絶対に残って頂かなきゃいけない」。

 山本は「比例は れいわ に」と言わなかった。辰巳陣営からは「言ってもいい」と言われていたそうだ。

 言わなかった理由を山本に尋ねると「言わない方がいいだろうと思ったから」。

 共産党の度量の大きさにも敬服するが、先を見すえた山本の配慮にも舌を巻く。

 「比例は れいわ に」と言わなかったことで、共産党に貸しを作ったのである。

 「れいわ」の政策は、その哲学において共産党とよく似る。

 山本は辰巳に「消費税廃止で共闘できますよね」と釘を刺すことも忘れていなかった。選挙後の共闘体制をすでに視野に入れているのだ。

 梅田の街宣会場には籠池夫妻の姿があった。

 森友疑惑の隅々までを知る辰巳は、約1千人の聴衆に訴えた―

 「森友事件は終わってないんです。(中略)国家の私物化です。国の予算は安倍さんのものでも、アキエさんのものでも、トランプ大統領のものでもない。国民一人一人に使う為の国の予算なんです」

 「どうか皆さん、私を国会に送り返して頂いて森友事件の徹底究明をさせてください」。

 籠池夫妻は森友疑惑に話が及ぶと、しきりに声援を送った。

 籠池氏は「二人(辰巳、山本)とも真の保守だ」と目を細めた。

 諄子夫人共々、選挙区は辰巳に、比例は山本に投票するという。(敬称略)

   ~終わり~

    ◇
山本太郎を犬死にさせてはなりません―

弱者のために戦う山本太郎の革命を、田中龍作は最後まで見届けます。(後略)

 

出典:http://tanakaryusaku.jp/2019/07/00020478

 

 この記事は今日になって初めて読んだが、こたつぬこ氏の逆鱗に触れたのはこの記事だったようだ。なるほど、そりゃこんな記事を読んだら共産党系の人は激怒するだろうなあと思った。これは、先の衆院選大阪12区補選を思い起こさずにはいられない記事で、あの時も籠池の応援をめぐってオザシン・ヤマシン系と共産党系の間に諍いが起きた。結局、あの「本気の野党共闘」は共産党系無所属候補への共産党支持者の基礎票を大きく削る結果に終わった。

 私が昨日の時点で読んでいたのは下記の記事だった。

 

tanakaryusaku.jp

 

 以下引用する。

 

(前略)山本は「ゴリゴリの保守である」と自己分析する。「アジアに対する安全保障を声高に叫ぶよりも国民の生活と尊厳を守るのが真の保守」という思想だ。自民党の中に共感者がいても不思議ではない。

 「税金はない所から取るな。ある所から取れ」。持論のベースは明確な階級闘争である。共産党が引っ込めたものを、山本は表に引きずり出した。(後略)

 

出典:http://tanakaryusaku.jp/2019/07/00020486

 

 この記事を読んでひどいもんだなあと思ったのだが、その劣悪さは最初に挙げた記事には及ばない。しかし、「ゴリゴリの保守」にして籠池夫妻に応援されるのが「野党共闘」のオルタナティブだとは、なんたる惨状だろうか。

 

 ところで、山本太郎が「ゴリゴリの保守」を自認しているという件について書くと、山本は2013年秋の園遊会で「天皇直訴事件」を引き起こした直後にも、「保守ど真ん中」を自称していた。だから私も山本自身が発したその言葉をずっと真に受けてきた。

 しかし、山本が2011年の東日本大震災・東電原発事故以前に特に政治的な発言をしていた形跡はない。私は山本について、あの原発事故に接して「反自民」に目覚めた人なのではないかと想像している。当初は「脱原発」で売りまくっていたが、リフレへの傾倒を経て*1少し前までは「本気の野党共闘」にのめり込んでいた。今ではリフレに代表される「レフト3.0」(松尾匡の造語?)から「レフト2.0」への「後退」といえるかもしれない「特定枠」の活用で、「レフト2.0」(多様性重視)には理解が深い「リベラル」にその点に関してだけは絶賛された。

 その山本は本当に彼自身が自称する通りの「ゴリゴリの保守」だろうか。実は単なるノンポリなのではなかろうか。私は最近そう思うようになった。というのは、彼には共産や立民の支持層からの批判にも一定程度耳を傾けて自身のスタンスを修正する傾向が顕著だからだ。これは、オザシンやヤマシンたちにとっては残念な傾向だろうが、いわゆる「ポピュリスト」には欠かせない資質だ。

 しかし、ウェーバーの『職業としての政治家』的な観点から見ればどうだろうか。最初の方で引用した

情熱と判断力の二つを駆使しながら堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業

 をこの6年間でやれてきたか否か。彼を今後6年間、これまでに引き続いて参議院議員として送り込むべきかどうかは、この観点からも評価すべきだと私は思う。

 私の結論はこれまでにも何度も書いた。山本党が1議席ないし2議席を獲得して政党要件を満たすことを望む。同時に、元号を用いた名称はその際に改められるべきだ。しかし同時に、山本太郎自身はいったん議席を失うべきだ。今後山本が

情熱と判断力の二つを駆使しながら堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業

ができる政治家になれるかどうか。それが今後の課題だと思う。と同時に、現在山本が自称する「ゴリゴリの保守」から脱却する日がくるかどうかにも注目したい。

*1:余談だが、この界隈では、リフレ派とMMT派との間の確執も目立っているようだ。例えば高橋洋一はリフレ派だが反MMTだが、中野剛志はMMT派だが反リフレ派らしい。自民党で執行部に造反して消費増税反対・積極増税を唱えたとされる西田昌司も中野と同じ方向性で、西田は2013年頃にも似たような主張をしていた記憶がある。私の認識では、ざっくり言って高橋洋一はポリティカル・コンパスで経済軸上の「右派」にあたる新自由主義者で(政治軸上の位置は不明)、中野剛志や西田昌司は経済軸上の「左派」にして政治軸上の「保守」に当たる「保守左派」だろう。山本太郎が自称する「ゴリゴリの保守だ」というのが本当であれば、リフレよりもMMTの方が山本の体質に合っており、だからMMT派にオルグされたのではないかと私は勘繰っている。なお、「薔薇マークキャンペーン」の主唱者である松尾匡には、どうやら高橋洋一らリフレ右派と中野・西田らMMT右派の両方に良い顔をしようとする八方美人的なところがあって、それが「薔薇マークキャンペーン」の主張を参院選の争点化するのに大きな妨げになったのではなかろうか。