kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

前回衆院選から2年も経たないのに「解散風」が吹く異常さを誰も指摘しない「崩壊の時代」

 改元前後の10連休のしわ寄せが仕事にきて、昨日(5/23)まで忙しかった。私の仕事の場合、休みが多い月だろうが少ない月だろうが仕事量は一定で、今月も他の月と仕事量が変わらないので、改元前後の天候が不安定だった時期に10連休があってもありがた迷惑だった。

 安倍政権の「働き方改革」なるものは、「もっと休め、でも仕事は減らさない」というのがどうやら基本思想らしく、いかにも「経産省政権」的な発想だ。山本太郎財務省前で抗議集会をやったらしいが、私は財務省攻撃をする一方で安倍政権を露骨に応援する菊池誠を連想した。山本太郎の場合は財務省だけではなく安倍政権をも批判はしているものの、同政権の経産省的な性格に対する批判は、経産省が推進する原発に対する姿勢を除いて不十分であるように見える。

 最近テレビのニュース番組を見ていて腹が立つのは、政権が吹かそうとしている「解散風」を受け身でとらえるばかりか、それを増幅するような姿勢が目立つことだ。ここ2,3年帰宅が遅くなって、報道ステーションではなく「報棄て」以上にすっかり気迫のなくなったNews23を見ざるを得なくなることが多い。この番組は来月から星浩を除いてキャスター陣を総入れ替えするらしいが、その星浩は12年前の2007年には、当時テレビ朝日で日曜朝10時からやっていた田原総一朗司会の『サンデープロジェクト』によく出演していた。あの当時の星には、選挙の争点はマスメディアが設定するんだ、という姿勢を露骨に示していた印象がある。当時の星は50代前半で、朝日新聞の幹部記者としてブイブイ言わせていた(死語)ものだった。

 2007年の参院選でマスメディアが設定した争点は「消えた年金」問題だった。5月にこの問題が争点に設定されるや、同年4月の都知事選での石原慎太郎勝利以降に内閣発足時からの支持率下落基調から上昇・高止まり基調に転じていた第1次安倍内閣支持率が一転して再び下落に転じ、参院選惨敗につながった。これに『サンデープロジェクト』が果たした役割は大きかった。同年6月17日の放送を見終わった直後に、この日記に下記記事を書いている。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 現在は当時とは一転して官邸がマスメディアを支配している。特にNHKが露骨で、岩田明子の宣伝放送など、その内容は朝鮮中央テレビのアナウンサーが語る内容と寸分違わない。そういえば昨年末に同テレビのリ・チュニ(李春姫)氏の引退が報じられたが、その後のアナウンサーについては全然知らないしネット検索でもわからなかった。後任の人は、もしかしたら岩田と同じくらいの年齢で同じような口調なのではないかと勝手に想像している。

 なにしろ岩田は、ある時NHK解説委員を集めて議論させる番組で、「良い独裁と悪い独裁がある」と言って「良い独裁」体制を賛美したところ、さすがに他の解説委員から「あなた、そんな国に住みたいですか」と嫌味を言われたことがあったらしい。それくらい狂信的な人間が重用されるのが今のNHKなのだ。NHKの人事は、いかに安倍政権に近いかどうかが価値基準とされているらしく、板野裕爾の専務理事復帰については、あの籾井勝人でさえ懸念を示したほどだという。籾井は安倍によってNHKに送り込まれ、NHKを安倍の宣伝放送局にした元凶だが、その籾井よりももっと露骨に政権にすり寄るのが板野という人間であるらしい。

 もはや選挙の争点を設定するのはマスメディアではなく安倍政権になってしまっているが、マスメディアは前回の衆院選からまだ1年7か月しか経っていない今の時期に衆院解散が話題になることの異常ささえ指摘できずにいる。

 私が思い出しているのは2005年の小泉純一郎による「郵政解散」だ。小泉が衆議院を解散したのは2005年8月で、その前の衆院選からは1年9か月しか経っていなかった。小泉が衆議院を解散する直前に、確か『サンデー毎日』だったかで、小泉は衆議院の解散を考えており、解散すれば必ず勝てると踏んでいるとの観測記事を立ち読みした記憶があるが、まさか負けるに決まっているそんな博打を打つはずはなかろう、こんなの飛ばし記事に決まっていると思ったものだ。だが小泉は本当に衆議院を解散した。当時の民主党代表・岡田克也は「勝てる」と思ったに違いなく、岡田がガッツポーズをしたこともよく覚えている。しかし、小泉は「抵抗勢力」を公認せず刺客を送るという「刺客作戦」に出て、これが大当たりして自民党の圧勝をもたらした。『サンデー毎日』の記事は、小泉が解散する前に小泉の意図と選挙結果を言い当てていたのだった*1

 この「郵政解散」以前の短いインターバルでの衆議院解散となると、1980年5月の大平内閣不信任案可決を受けての衆議院解散に遡る(つまり69条解散だった)。この時には前回の1979年10月からわずか8か月の時点で衆院選が再び行われる異常事態だった。これは史上初の衆参同日選挙となり、この時の選挙とその6年後の衆参同日選挙にともに自民党が圧勝したことが、今回解散が取り沙汰される前例になっている。しかし、1986年の中曽根康弘による「死んだふり解散」の時は、前回の衆院選からは既に2年半が経過していた。さらにこの選挙以降の衆院選は、1990年、1993年、1996年、2000年、2003年といずれも3年以上が経過していた。2005年の郵政解散以降も、2009年の政権交代選挙は任期満了直前だったし、よく「小沢信者」らによって野田佳彦の自爆解散だと批判される2012年にしても、その前の衆院選の3年4か月後、つまり衆院の任期切れが8か月後に迫った時点での解散総選挙だった。これより解散を遅らせれば遅らせるほど自民党議席が増え、民主党及び日本未来の党(笑)の議席が減ったであろうことは疑う余地がない。

 さらに1980年以前に遡ると、その前の衆院選から2年も経たずに解散が行われた例は鳩山一郎政権時代の1955年にまで遡らなければならない。さらにその前の吉田茂になると、この独裁者は4度行った衆議院の解散のうち3度までもがその前の衆院選から2年未満だった。但し、うち2回は69条解散だし、最初の解散は現憲法の施行前だった。つまり吉田茂といえど、前回衆院選から2年未満での7条解散は一度もやっていない。吉田内閣の不信任案が可決されたことからもわかる通り、吉田を批判する者が多数いたともいえる。とはいえ吉田茂内閣は第5次まであり、吉田は5度目の解散も企図したもののさすがに断念・退陣に追い込まれたのだった。時代的にいえば、55年体制が確立した以降は、前回衆院選から2年未満の解散は1980年、2005年と2014年の3度しか行われなかったし、7条解散に至っては2005年の「郵政解散」が55年体制発足以降初めてだったのだ(現憲法施行後から数えても1955年の鳩山一郎以来2度目)。つまり、歴代の総理大臣は総じて解散権の行使に関して、小泉純一郎を唯一の例外として安倍晋三よりもずっと抑制的だったといえる。

 安倍晋三が今回衆議院の解散に踏み切って衆参同日選挙を行うならば、2014年に続く2度目の衆院任期2年未満での解散になり、選挙を行えば当然自民党が勝つだろうから第5次安倍内閣が発足する。第5次内閣まで作る時点で吉田茂に並ぶとともに、前回衆院選から2度までも2年未満で「7条解散」をやってのけた、現憲法施行以後初の総理大臣ということになる。こうなるともはや吉田茂をはるかに上回る「ワンマン安倍」としか言いようのない独裁者だと思うが、不思議なことに安倍を独裁者と呼ぶマスメディアの人間は、前記のように一度「良い独裁」という表現で間接的に安倍を独裁者だと表現した岩田明子以外誰もいない。それくらい安倍批判がマスメディアでタブー化している。本来、ここまで濫用される「7条解散」は違憲ではないのかという問題が提起、議論されなければならないと私は思うのだが、そんな流れには全然ならない。

 だから、異議を唱える者、批判する言説が絶え果てた「崩壊の時代」だというのである。

*1:このように自分から風を吹かせる才能は安倍晋三にはない。だからいつも順風を背に受けて弱い相手を圧倒する選挙で勝ち続けているが、安倍が逆風に弱いことは2007年の参院選や2017年の東京都議会選に示されている。ただ、敵の隙を突く才能なら安倍にもあり、小池百合子の陣営ができあがっていない時点で行った2017年の衆院選はその例だといえる。この時に追い込まれたのは小池百合子のほか、前原誠司小沢一郎だった。