10年前には香川県民だったが、いつの間にか香川県民時代よりその後の東京都民時代の方が長くなった。現在、近所に「はなまるうどん」の店舗があって時々行くが、丸亀製麺は近所にはないので行かない。数日前、N国党の党首と会談して批判されている玉木雄一郎が何やら何やら「参戦」したらしいことは聞いた、というかネットで見たが、私は玉木が大嫌いなので、奴の動画など見に行く気にもならなかった。
「丸亀製麺」*1の炎上。でも、丸亀製麺が「香川県」とも「丸亀市」とも関係のない会社だということは疾うの昔に周知の事実となっていたのでは? だから、何で今更? と思った。
当初「亀坂製麺」(丸亀の亀と坂出の坂を合わせた店舗名)と名乗っていた丸亀製麺の香川県1号店は香川肩民時代の自宅から3kmくらいのところに2007年にできた「イオンモール高松」の2階だか3階だかに開店した当時から知っていて、何度か食べたこともある。まあショッピングモールに入るうどん屋だったらこんなものかな、というのが当時の感想で、まさか兵庫県(当時)を本拠地にしていたチェーン店だとはその頃には知らなかった。知ったのは東京に移住してからかもしれない。
今回の「炎上」騒ぎの発端になったのは「麺通団公式サイト」の「団長日記」、つまり田尾和俊氏の日記だそうだが、田尾氏はある時期から私が長年敵視していた「宿敵」たる故勝谷誠彦とつるみ出したので、それ以降敬遠していた。丸亀製麺が兵庫県発祥なら勝谷もまた兵庫県尼崎市出身であって、尼崎を含む阪神間(及び神戸市東部)は大阪文化圏に属するのだから、麺は柔らかくて腰が弱く、その代わりにだしにはこだわりの強い大阪のうどんをアピールすべきところ、すぐに時流に乗りたがる勝谷が讃岐うどんの宣伝に余念がなかったことに腹を立てていた*1。
とはいえ「炎上」騒動になったのだからと当該の「団長日記」を見に行った。
http://www.mentsu-dan.com/#diary
以下引用する。
2019年9月14日(土)
(前略)関テレ(関西ローカル)の『ウラマヨ』というブラックマヨネーズの冠番組で丸亀製麺の特集をやっていて、丸亀製麺の社長がスタジオで、ブラマヨをはじめ出演者を前にこうおっしゃっていた。
***
「田舎が香川なんですよ。ちょうど讃岐うどんブームというのが起き始めましてね。名もない小さな製麺所にですね、県外から車で食べに来ているわけです。入り口からお茶碗持って皆さん並ぶわけですわ。そして、恭しく、釜からうどん入れてもらって、醤油だけつけて食べるんですよ。たったそれだけなのに行列ですよね。お客さんは商品のために来てるんだと。だから手作り、できたて、しかも目の前でというのが大事かなと思って、そのコンセプトで作ったのが丸亀製麺」
***
VTRから起こしたのでほぼ間違いなくこうおっしゃっていて、それを聞いたブラマヨをはじめとする出演者の人たち全員が「そうだったんですかー」という感じで番組はそのまま流れていったのだが、ブームの火付け集団(笑)であり、その後つぶさに現場をフィールドワークしてきた麺通団の団長の私が断言する。
それはウソです。
「田舎が香川」に突っ込む人もいるだろうが、そこはどうでもいい。そこじゃなくてその後の話。ブーム発祥以来20数年、私は讃岐うどん巡りブームの現場において、「入り口からお茶碗持って皆さん並んで恭しく釜からうどん入れてもらって醤油だけつけて食べる」などというシーンは一度も見たことがないですよ(笑)。
揚げ足を取るようで申し訳ないが、全国ネットでそんないい加減なことを言っちゃいけません。まず、「入り口からお茶碗を持って客が並ぶような店」とは要するに「飲食業の許可を取っていない製麺所」のことであるが(飲食許可がないから客に飲食のためのサービスができない)、そんな店は当時700軒以上あったうどん屋の中でほんの数軒しかなく(表に名前が出てたのは「道久」と「橋本」と初期の「池上」ぐらい)、しかもそういう店はいずれもマニアしか行かないような激レアの超穴場だったから、一見の県外客がそんな店で「県外から車で食べに来て、入り口からお茶碗持って並ぶ」などというシーンが見られたはずがない。
次に、客がそういう店に持って行くとしたら「丼」かせいぜい大きめのお椀であって、決して「お茶碗」ではない(笑)。
次に、「恭(うやうや)しく」というのは、蕎麦やラーメンと違って「緩い」ことが最大の特徴である讃岐うどんの世界とは真逆の感覚であって、讃岐うどんの現場を知る者が使う言葉では絶対にない。ご本人が「恭しく」うどんをもらったのかもしれないが、「名もない小さな製麺所」は押し並べて店の人と客との垣根がないのが普通なのだから、特にブーム当初には「皆さん(客)が恭しく釜からうどんを入れてもらう」などというシーンが当たり前のようにあったはずがないし、少なくとも私は見た記憶がない。
次に、そういう「客に飲食サービスを提供できない店」は玉売りが主であるから、うどんをもらいに行くと基本的に「締めてセイロに載ったうどん玉」をくれるのであって、「持って行った丼に釜からそのまま取った麺(水で締めていない釜あげ麺)を入れてもらう」などという店は、麺通団団長の私でも見た記憶がない。
さらに、釜から取ってもらった「釜あげ麺」に「醤油だけつけて食べる」などというメニューも、私は見たことがない。それは「醤油うどん」のことを指しているのだろうが、醤油うどんは「醤油をかけて混ぜて食べる」ものであって、「醤油をつけて食べる」という表現は讃岐うどんの世界では聞いたことがない。
さらに、百歩譲って「醤油をつけて食べる」という表現がただの言い間違いだったとしても、麺がおかしい。醤油うどんの麺は基本的に「水締め麺」であり、社長のおっしゃる「小さな製麺所」で釜からそのまま取った「釜あげ麺」に醤油をかけて食べるような店はほとんどない。そんな食べ方は、製麺所なら常連さんが頼んで出してもらうような「わがままな注文」の食べ方であり、ブームの後で「わざと釜あげ麺を使った醤油うどん」(「釜醤油うどん」?)を出す一般店も数軒出てきたが、それも極めて希な例であるから、一見の観光客がおいそれと目にできたはずがない。
よって、先の社長のコメントは一般論としても間違いだし、体験談として言ったのなら(そこはスルッとぼかしていたが、流れは体験談風に話していた)、それはウソのストーリーである。
加えて「お客さんが目の前で手作りするできたて商品のために来ている」というコメントも、「讃岐うどん巡りはレジャーとして当たった」というブームの本質から言えば、明らかに的を外した見立てである。
以上から推測するに、あのコメントの「体験談」も「ブームの見立て」も全て、おそらく丸亀製麺が今、全国ネットのCMでバンバン流している「丸亀製麺は全ての店で粉から作る」というコンセプトをサポートするために後付けで加えたウソのストーリーとロジックではないかと思う。そして、もしそうだとすれば、それは「自分たちの主張を正当化するために事実を曲げて伝える」という、どこかの新聞がやっているような非常によろしくない行為だと言わざるを得ないのである。
まあ、成功者が自分のストーリーを美化したり盛ったりするのはよく聞く話だけど、それにしても、いかに関西ローカルとは言え天下の関テレの有名な番組で、誰も知らないと思って「香川ではあり得なかったシーン」を「自らの体験談」としてしゃべれるというのはどういう了見か。誠実な情報発信をモットーとしてきた私(笑)にはちょっと理解できないが、まあ「世の中にはそういう人もいるんだ」ということを学習させていただいたということで、とりあえずこの件に関して我々「誠実な讃岐人と讃岐うどん応援団」としてはただ一つ、「讃岐うどん巡りブームの歴史のウソを全国ネットで広められるのは非常に不本意だ」とだけ申し上げておく。
「団長の田尾氏も讃岐人なら兵庫県民の勝谷なんかとつるまなきゃ良かったのに」と思わないでもなかったが、「入り口からお茶碗を持って客が並ぶような店」なんかほとんどない、というくだりに始まる丸亀製麺批判は、まあ仰る通りだとは思った。
ただ、その稀有な例として「初期の『池上』」*2が挙げられていたので、おおっ、と思い、そこからネット検索にはまり込んでしまった。「池上」こそはわが行きつけのうどん屋だったからだ。自宅からはイオン高松よりもっと近かった。2004年頃からよく行くようになり、翌年からは2週間に1度くらい行っていた。しかし残念なことに、高松空港近くに移転するために閉店してしまった(2007年1月)。
当時の様子を伝えるブログ記事(2006年9月15日=敬老の日)をネット検索で見つけたのでリンクを張っておく。
そうそう、こんな列ができていた。近くのスーパーの駐車場やら川の土手やらに県外ナンバー*3の車がズラリと止まっている。これが高松空港の近くへの店舗移転に追い込まれた原因だろう*4。私は自転車で行っていた。ブログの画像に値段表があるが、当時うどん2玉に卵をつけて170円だった。帰りにはマルヨシセンターという名前のスーパーやらヤマダ電機やらに寄ることが多かった。2006年4月にパソコンを買った時もうどん屋からの帰りで、そのパソコンを使ってブログを始めたのだった。
このお店が移転のために閉店したのが2007年1月末で、イオン高松に亀坂製麺(現丸亀製麺)が開店したのが同年4月末。しかし、両店を比較の対象として意識したことは一度もなかった。亀坂製麺と同じレベルのうどん屋など讃岐にはいくらでもあって、亀坂製麺はその有象無象の中の一つでしかなかったのだ。
たとえば下記「日経ビジネス」に興味深い記事がある。
以下引用する。
トリドールホールディングスが運営するうどん店チェーン「丸亀製麺」に対して、一部のブログで「讃岐うどんに対するリスペクトが全く感じられない」などと批判があり、ネット上で「うどん論争」として話題となっている。
論争を巡っては、讃岐うどんブームの仕掛け人とされる「麺通団」ウェブサイトの14日付の「団長日記」で、「丸亀製麺のビジネスとしての自らリスクをとったチャレンジとその成功に対しては高く評価している」と前置きしたうえで、「丸亀製麺は香川県の会社でもなく香川県でうどん店や製麺業をやっていた実績もないのに『讃岐うどん』を名乗り、『讃岐うどんチェーン』として全国展開を始めた」「讃岐うどんの歴史や文化、技術、そして魂をないがしろにするようなことは、なるべく控えてほしい」などと訴えた。この内容がツイッターなどで拡散し、ネット上で賛否が巻き起こった。
丸亀製麺を運営するトリドールホールディングスは兵庫県が発祥で、現在は東京・渋谷に本社を構える。同社のホームページによると、香川県には高松市に2店あるのみ。香川以外では海外225店を含む国内外1000店以上を運営している。「本場である香川発祥の企業でもないのに讃岐うどんの看板を掲げてもうけてよいのか」というわけだ。同社は「ネットで話題になっている記事をはじめ、私どもはすべてのお客様のお声を真摯に受け止め、より多くの方々に喜んで頂けるように努めてまいります」とコメントした。
ただ、丸亀製麺に対する本場の視線は意外にも温かい。香川県丸亀市の広報担当者は「丸亀製麺さんとは良好な協力関係にある」と話す。「(トリドールホールディングスの)粟田貴也社長は、市の文化観光大使として、PRをしてもらっている。また、全国の店舗内に丸亀市のポスターを張ってもらっており、昨年の西日本豪雨で市の象徴だった丸亀城の石垣が崩落した際、社長からは補修のための支援金1000万円の寄付をいただいた。うどん作りのチャリティーイベントも開いていただき、収益は市にすべて寄付してくれた」と語る。
地元からも丸亀製麺の貢献を評価する声が出ている。7月2日を「うどんの日」と称して催しを開くなど、讃岐うどんブランドの向上に取り組んでいる「本場さぬきうどん協同組合(高松市)」の大峯茂樹理事長は、「丸亀製麺は、本来の讃岐うどんの麺を提供しているとまでは言えないが、讃岐うどんを全国的に有名にしたという貢献は一部ある」と一定の理解を示した。
そのうえで「今、『讃岐うどん』をうたって、ドリンクで有名になっているタピオカ由来のでんぷんを利用してコシを出しているうどんが増えている。確かに、タピオカのでんぷんを少量使うことはあるが、大量に使うのは讃岐うどんではない。そのようなうどんはサービスエリアなどでたくさん出されていて、それよりは自家製麺を使用している丸亀製麺の方がまだましだ。一番の問題は、丸亀製麺以下のうどんがたくさんあること」と憤る。
そもそも、こうした表示は許されるのか。大峯理事長によると「讃岐うどん=うどん」としての認知度が高いため、国内では名称の使用制限はない。ただ、景品表示法に基づく「生めん類の表示に関する公正競争規約」によると、商品名に「名産」「特産」「本場」「名物」などと表示する場合、讃岐うどんは「香川県内で製造されたもの」「食塩が小麦粉重量に対し3%以上」「熟成時間2時間以上」などと厳しい基準がある。しかし、逆に言えば、「名産」などと表示しなければ、こうした基準をクリアしていなくても「讃岐うどん」として販売してもよいということになる。
讃岐うどん以外にも、「信州そば」「札幌ラーメン」「出雲そば」「長崎チャンポン」「長崎炒麺」「沖縄そば」「名古屋きしめん」「甲州ほうとう」「盛岡冷めん」で、名産などと表示する場合には同様の基準がある。消費者が本場の味あるいは本場に近い味を楽しみたい場合は、商品名に「名産」「特産」「本場」「名物」という言葉が記載されているかどうかが、一つのポイントとなりそうだ。
「丸亀製麺以下のうどんがたくさんある」との指摘は香川県民時代の実感と合っていてよく納得できる。当たり前の話だが、一口に「讃岐うどん」といってもピンキリなのだ。それをブランドに仕立て上げようとする方が間違っているのではないかと、故勝谷誠彦*5の顔を思い出しながら思う*6。今はなぜかタピオカブームらしいから、記事で引き合いに出されたサービスエリアの店も、「讃岐うどんの中でも特に腰が強いタピオカうどん」とかなんとか銘打って売れば良いのではないか。そういや富士吉田市の「吉田のうどん」を一昨年に食したが、腰の強さだけなら讃岐うどんにひけをとらなかった。いりこだしは使わず、つゆに味噌を入れるから味は全然違うが。
それに、讃岐うどんでも腰が強いのは丸亀市を含む西讃のうどんだけで、高松のうどんはそんなに腰が強くないし(前述の池上製麺所はむしろ例外かも)との指摘もある。
以下引用する。
一口に『讃岐うどん』と言っても、どこも同じ味、食感ではありません。日本の都道府県の中で一番面積の狭い香川県ではありますが、その地域ごとに『うどん(麺)』は微妙に違っています。いや、店ごと、製造する製麺所ごとにそれぞれ特徴があるんです。
『讃岐うどん』はコシが強いとよく言われますが、はっきり言って、一番コシが強く美味しいのは西讃地方と言われる一帯の『うどん』の特徴です。私が故郷と呼ぶ丸亀市を中心とした香川県中部地方(中讃)あたりの『うどん』です。綾川と土器川という2つの川の間のあたり、通称“綾川土器川三角地帯”と我々ジモティ(地元民)が呼んでいる「ディープ香川」の『うどん』が一番“世間一般のイメージにある讃岐うどんらしくて”美味しいんです。
このあたりの『うどん』ならどこでも美味しいと考えて間違いないです。まぁ~、地元民は『うどん』に関しては皆さん舌が極度に肥えていて、美味しくなかったら即刻客足が引いて、潰れてしまいますからね。
で、香川県の県庁所在地である高松市あたりの『うどん』は、実はそれほどコシは強くなく、さらに東のほう(東讃地方)に行くと、山梨県名物の『ほうとう』のように柔らかい“煮込みうどん”が主流になります。
(要は、『讃岐うどん』=『コシが強いうどん』は必ずしも正解とは言えず、いろいろあるってことです。)(後略)
記事中に「中讃」という言葉が出てくるが、「東讃」と「西讃」の2つに分ける場合は「中讃」は「西讃」に含まれ、高松市は「東讃」に含まれる。しかし、上記記事のように「東讃、高松市、中讃、西讃」と細かく分ける場合もある。
ところでまた山梨県が出てきたな。そういや「ほうとう」と「吉田のうどん」は好対照かもしれない。
あと、上記記事の引用部分の続きには丸亀製麺の話題が出てくるし、さらには池上製麺所が言及されている。池上製麺所は下記の続編でも詳しく紹介されている。
面白かったのは、池上製麺所を含む「ばあちゃん系」のうどんの話。なぜ面白いと思ったかというと、前記山梨県の「吉田のうどん」は「男が打つうどん」として紹介されていることをうどんを食べた時に知ったからだ。
以下引用する。
強いコシの秘密は、昼食は男性が作るという地域の歴史にあった!
昭和初期から織物の産地として知られ、繊維業を営む家庭が多かったと言われている富士吉田市。当時、織物の機械を動かす重要な働き手であった女性の負荷を減らす為、昼食づくりは男性の役目だったそうです。男性の大きな手で力強くこねて打ったうどんは、仕事の合間の短い時間で食べられ、尚かつ腹持ちが良いとして広く知れ渡るように。これが吉田のうどんの始まりです。
現在でも富士吉田市周辺では昼食にうどんを食べる人が多く、市内だけでも60近い店舗で吉田のうどんを提供しています。強いコシのある太麺と、馬肉やキャベツなどのトッピングが入った一杯を、醤油と味噌の合わせスープでいただく「吉田のうどん」。これに、お店独自の「すりだね」と呼ばれる唐辛子や山椒、ゴマなどが入った薬味をお好みで入れて食べるのが定番のスタイルです。
「吉田のうどん」と讃岐の「ばあちゃん系うどん」と同じく讃岐の「タピオカうどん」とで「腰の強さ比べ」でもやったらどうかと思う今日この頃。
*1:大阪生まれ・兵庫県育ちの私自身も香川でうどん屋めぐりをしていたのだが、そこは「郷に入っては郷に従え」の教えに従っているだけだと屁理屈を捏ねて自分のことを棚に上げていた(笑)。
*2:もっとも、池上製麺所は1950年代の創業だそうだから、田尾和俊氏は「初期の『池上』」をリアルタイムでは知らないはずだが、かなり遅くまで丼を持ち込むスタイルだったのだろうか。
*3:大阪・兵庫・岡山、遠くは愛知などが目立った。さすがに首都圏からは少なかった。
*4:他に見つけたブログ記事を挙げておく。https://sanukiya.at.webry.info/200612/article_4.html 2006年12月12日の記事。ブログ主は「讃岐屋」を名乗っているが北海道出身で(だからサッカーのコンサドーレ札幌を応援している)、2008年12月に転勤で米子市に引っ越し、以後鳥取県民の方のようだ。やはり店舗移転の原因は路上駐車だった。
*5:もっとも、勝谷が讃岐うどんブームを盛り上げたわけではなく、既に盛り上がっていた流れに勝谷が乗っかっただけであることはいうまでもない。
*6:このあたり、特定の政治家を信奉する「信者」(山本太郎信者、小沢一郎信者、枝野幸男信者、安倍晋三信者などなど)を連想してしまい、それにも気持ち悪さを感じる。