毎回のように書くが私はMMTを知らないし、それどころか警戒して近づかないようにしている。そんな私が下記の一連のツイートを引用するのは、ある固有名詞が出てきたのに目を引かれたからだ。
18.
— 織原 然 (@orihara_zen) 2020年7月17日
因みに、この「公共貨幣(政府紙幣)」の危険性については私自身(というか、ツイッターではほとんど私しか言ってないのだが)「国債と貨幣の民間金融機関での取引が行われない」為「貨幣の信用」が自国内部の国際貨幣取引で保障されるものではなく、「他国の通貨とのスワップにより保証される」
19.
— 織原 然 (@orihara_zen) 2020年7月17日
可能性がある貨幣、となると私は考えています。理論の基は商品貨幣論の聖地みたいな米シカゴ学派が信奉している「ミクロ経済理論ををマクロにも適用しようぜ(マネタリズム)」というミルトン・フリードマンも所属した阿保みたいな理論です。詳しくは後日改めて説明します。(約束したんで…)
21.
— 織原 然 (@orihara_zen) 2020年7月17日
因みに、この公共貨幣・政府紙幣にしましょう、という意見は完全賛同じゃないかもしれませんが、政府の財政ファイナンス(国債の民間金融機関取引を無視して貨幣を調達する施策)を要請した「薔薇マークキャンペーン」の松尾匡さんや桂木健次さんなどは、半ば賛同しているものと思われます。
22.
— 織原 然 (@orihara_zen) 2020年7月17日
つまり、まぁ、れいわ新選組に大西つねきさん、という山本太郎さんとは意見を真逆にする人物を送り込んだのは恐らく薔薇マークキャンペーン側だということだと私は予想していますがね。そして、背後には恐らく「日本経済復活の会」でしょう。まぁ、予想ですけどね。
へっ。
お断りしておくと、山本太郎自身に確たる「意見」があったかのような上記ツイートの書き方には、私は同意しない。彼はいろんな考え方に簡単に影響されやすい人であるように私には見える。
上記に引用したツイートのスレッドのうち、最後のツイート(実際にはもっと延々と続く)に「日本経済復活の会」が言及されていることに目を引いた。この日記にも何度か書いたが、10年以上前にこの会に誘われたことがあったが、小野盛司なる会長をはじめとして極右人士が屯していたことと、その教義にもどことなく胡散臭さがあったために敬遠して近づかなかった。彼らの教義を端的に表しているのが、小野盛司の著書のタイトルにもなっている「お金がなければ刷りなさい」というフレーズだ。
池戸万作は、この「日本経済復活の会」の幹事だ。彼らの多くがそうであるように、池戸もまた極右人士であることはいうまでもない。
この会には多数の国会議員も参加しているが、揃いも揃って極右であることはリンク先から確認できる。ただ、このリストはかなり古くて、所属政党が「民主」「生活」などと記載されている。城内実の所属が「自民」になっているから、城内が自民党に復党した2012年5月よりはあとだが、民主党が維新の党の一部と合流して民進党になった2016年3月より前の時点のリストであることがわかる(生活の党が自由党に改名したのは2016年10月)。
一目瞭然、「『右』も『左』もない」を唱えていた人たちが泣いて喜びそうな人士が勢揃いしている。河村たかし、城内実、平沼赳夫、亀井静香、松原仁、東祥三、喜納昌吉、川内博史、小林興起、姫井由美子、松木謙公、山田正彦ら。あの秋元司もいる。西村康稔までいる。
彼らをバックとする池戸万作(あるいは会の他の同志の何人かとともにかもしれない)が目をつけたのがMMT理論だったのだろう。私は「フェア党」党首の大西恒樹も「日本経済復活の会」のメンバーだとばかり思い込んでいたのだが、この記事を書くためにかけたネット検索ではエビデンスはみつからなかった。大西は、別のルートからMMT、あるいはその俗流的解釈に飛びついて、池戸らとのコネクションができたのかもしれない。
経済学者の松尾匡はおそらく正統的なMMTの流れから来て(池戸や)大西との接点ができたのだろうが、簡単に大西と結びついたのは軽率だった。前にも書いたが、松尾と大西は昨年10月に大阪で「対談」している。このあたりの軽率さは、昔、河野太郎と盟友関係を結んだ飯田哲也を思い起こさせる。飯田もリアルの政治に踏み込み、最初は大阪維新の会の推薦を受けて山口県知事選に立候補して山本繁太郎に敗れ、次には日本未来の党から衆院選に立候補したものの、公示日に名簿登載順位をめぐってトラブルを起こす醜態を晒したあげくに落選した。飯田はこれで学者としての信用を失墜させてしまった。
日本未来の党にせよ、今回トラブルが起きた元号新選組にせよ、小沢一郎系の政党であることが興味深い。
二階俊博と小池百合子と山本太郎に一時期とはいえ、それぞれ付き合っただけでも小沢一郎は大人物であるとは思う。(普通出来ない)
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2020年7月18日
そういう見方もできるのだけれど、逆にいえば何でも取り込んでしまうともいえるわけで、その「何でも」の中に不適切なものや怪しげなものまで取り込んでしまう危うさが小沢系の政治勢力にあるとはいえないだろうか。2012年に小沢が「私の考えは橋下市長と同じだ」と口癖のようにいっていたことが思い出される。昨年来、山本太郎が(俗流)MMT人士を取り込んだやり方の源流には、「小沢流」の影響があるのではないか。実際、オザシンといえば陰謀論が連想される。
大西恒樹の騒動は、「日本経済復活の会」や彼らと同じ体質を持つ人間たちが、元号新選組を乗っ取ろうとしたところから起きたものだろうが、彼らにつけ込まれる資質は、「保守ど真ん中」を自称し、2013年には天皇直訴事件を引き起こし、自らの政党に元号や「新選組」を冠した山本太郎本人にあったというほかない。