kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎に大阪からの出馬を勧めた池戸万作には先見の明があった。山本と某組は「維新主要打撃論」に方向転換すべきだ

 衆院選は「負けに不思議な負けなし」が立憲民主党に当てはまり、「勝ちに不思議の勝ちあり」が自民党に当てはまる。しかし日本維新の会自民党と同じではなく、「勝つべくして勝った」としか思えない。

 今回の衆院選で私がもっとも大きなショックを受けたのは、大阪維新の会の結党以来ずっと嫌い続けてきた維新の躍進だった。この周回遅れの新自由主義政党がまたぞろこの国に住む人々の生活を悪くしていくのか(それを具現化したのが今の大阪だ)と思うと、心の底からうんざりする。

 コメント欄を見ていると、国民民主党(民民)が維新との連携に動こうとしているぞ、というのがあったけれど、それは民主党時代から前原誠司や今回選挙区で負けた小沢一郎らが志向し続けていたことだ。ただ民民にはかつての民主・民進の「リベラル派」はいないから少しは状況が違う。ただ、自民党がなかなか細野豪志の入党を受け入れない*1のと同じように、民民からすり寄ってくる連中は徹底して冷遇するだろう。例外は筋金入りのネオリベラリストである前原誠司くらいのもので、積極財政を唱えているくせに維新にすり寄る玉木雄一郎あたりはかつての小沢一郎と同じような対応をされ、結局玉木の思う通りには事が運ばないのはないか。一時は結党当時の人気を当て込んで立民入りした連中に至っては、仮に今頃から維新にすり寄ったとしても徹底して冷遇されることが目に見えている。そんなことは、自民党入りした民主・民進系の政治家とのアナロジーから自明だろう。比例復活できる長島昭久などまだ恵まれているくらいで、多くは比例復活も覚束なくなり、政治生命を終えていく。それがオポチュニストの末路というやつだ。それでも構わないのならどんどん維新にすり寄れば良い。そのあとどうなろうが自業自得だ。

 今朝ふと思い出したのは、例の「東京8区騒動」に絡んで池戸万作のツイートを眺めていて、彼がしきりに「山本太郎は大阪の選挙区から立候補すべきだ」と言っていたのを知ったことだ。比例ブロック近畿で某組が1議席を獲ったことを思えば、実に良い着眼点だった。

 池戸は、大阪を中心として維新が勢力を急伸させていることを十分認識していたと思われる。その認識を欠いていたのが山本太郎だ。本来、維新のような新自由主義勢力こそ山本太郎は主たるターゲットとしなければならない。某組の経済政策の指向性からいえば当然そういう結論になる。

 山本がそれをせずに、東京8区からの出馬に強くこだわったことは大きな誤りだった。そもそも山本は小沢一郎の悪影響を強く受けすぎた。小沢は2012年に「私の考えは橋下市長と同じだ」と口癖のように言っていたが、橋下は時折それらしい素振りを見せて小沢をじらすものの決して色よい返事はくれず、それどころかあっさり石原慎太郎と組んでしまった。故岸井成格ナベツネから聞いたところによれば、小沢はひそかに石原にも「組まないか」と話を持ちかけていたが、小沢は橋下との話がつかない場合に備えて「プランB」として石原にも狙いをつけていたのだ。これを知った石原が激怒して橋下と組んだというのがナベツネが岸井に語った真相らしい。

 そんなペテン師・小沢の言うことばかり聞いているような人間だから、小沢が菅直人らに対する怨念を持っているのと同様に、「立民主要打撃論」に走ってしまった。厄介なことに立民の方にもそんな山本へのシンパが少なからずいて、手塚仁雄などはその代表格だろう。手塚は今回、某組の候補を下ろしてもらったおかげでようやく選挙区で辛勝した。

 そんな山本太郎に池戸万作が大阪からの出馬を勧めたことは先見の明があった。大阪で独裁政治を行い、全国一ひどい新型コロナの死亡率を叩き出すなどしているネオリベの悪政に対抗できるのは、自民でも立民でもなく某組だろう。自民や立民がいくら「新自由主義からの脱却」を唱えても、ともに党内にネオリベ人士を少なからず抱えているからだ。今回の衆院選で某組が維新の経済政策に対する対抗言論を打ち出して、松井一郎や吉村洋文らと華々しい論戦を繰り広げれば、反維新のアーリーアダプタとして某組がもっと躍進できた可能性があった。山本はみすみすその絶好のチャンスを逃したといえる。

 弊ブログはふだん山本太郎の悪口ばかり書いている。その大きな理由の一つは党名に元号を冠していることだが、その前から山本があまりにも「オザシン」的思考を持ち続けていることが私には許せなかった。山本が政界入りするずっと以前から私は「反小沢」であって、それは小沢が自民党内で頭角を現した1989年から30年以上も続いている。1993年の衆院選は、さすがに自民党に投票まではしなかったが、開票速報で自民党を「少しは」応援した唯一の選挙だった。なぜかというと、小沢が自民党を出て自民党と戦っていたからだ。なんで自民党の権化みたいな奴が自民党と戦って「改革の旗手」面してやがるのかと猛烈に腹が立ったものだ。そんな小沢を信奉する山本太郎を嫌うのは当然のことだ。

 しかし、仮に山本や彼の某組が、維新のネオリベ政策に対する対抗言論の旗を掲げて経済政策で維新と戦うのであれば、話は大きく変わる。山本が池戸の意見に耳を傾けなかったこと、それに山本の支持者から山本を諫める声がほとんど聞かれなかったことは残念だ。

 かつて山本の支持者の一部は「山本太郎が間違ったと思ったらそれを指摘して批判する」と言っていたが、現実にそれを実行している人間はほとんどいない。池戸万作は該当するが、山本太郎に遠ざけられているだけだ。多いのは「山本太郎さんは賢いから間違えない」という信仰告白をする人間であり、それがエスカレートするとネットで立民や枝野幸男の攻撃ばかりする、いわゆるヤマシンになる。

 もっとも、山本太郎が最良の機会を逃したとはいっても、まだチャンスはある。経済政策で某組に近い立場の政党としては共産や社民があるが、支持層がどうしても限られる。山本太郎は長く小沢一郎の政党にいたから「民主・民進系」の括りに入れて良いと思うが、「敵は大阪にあり」として維新との対決姿勢を前面に立てることによって党勢を拡大させる余地はまだまだ残っている。山本と某組がそのように方向転換するのであれば、弊ブログの論調は一変するだろう。但し、党名に元号を掲げることだけはもういい加減に止めてもらいたい。

 直近の「東京8区騒動」のあとに山本太郎が発した言葉にはっきり表れたような「立民主要打撃論」的な物言いは不毛の一語に尽きる。現在の立民が持っているパイは限られたものであり、共産党と共闘を組んでも自公に及ばないことが今回の衆院選ではっきり示された。そのパイの取り合いをすれば、勝算がさらに立たなくなることくらい誰が考えてもわかるだろう。

 しかし、たとえば大阪にも維新に不満を持っている人たちは大勢いるだろうし、そのうち一部は共産や自民や立民を支持しているかもしれないが、そのいずれも支持できない無党派のアンチ維新もいるだろう。

 何より、山本太郎と某組の政策の指向性から言って、山本の対極に位置する政党は明らかに維新のはずだ。それを大きくアピールした方が絶対に良いと思うのだがどうだろうか。

 山本太郎と某組は、今こそ「維新主要打撃論」に方向転換すべきだ。

*1:柿沢未途は選挙戦当日にあっさり追加公認されて自民党入りしたが、これは柿沢が新自由クラブから自民党入りした親父を持つ世襲政治家であるから過ぎない。