あの統一教会ズブズブ野郎・安倍晋三が銃殺されたあとの、元NHK記者・岩田明子と、学者の面を被った電波芸者・三浦瑠麗のあり方があまりにも対照的だ。
私はどちらも同じくらい大嫌いだが、岩田からは頭の良さを、三浦からはどうしようもない頭の悪さを感じる。両人とも東京大学ご卒業のようだが、法学部一本槍だった岩田と引き比べて、理工系を志しながら農学部に転じたもののそこでもものにならず、権力に媚びることだけでなぜか政治学の世界で出世しやがった三浦の「地頭の悪さ」は歴然だ。
岩田は毎日のように安倍晋三とスマホでメールをやり取りしていたらしいが、岩田自身の権勢も安倍の存在あってのことで、その安倍が死んでいなくなった途端に権力構造が激変し、同じNHKという組織に居座り続けたなら悲惨な末路が待ち受けているだけであることをよく認識していたに違いない。だから、安倍が殺された同じ月の末日に自ら早期退職を選んだ。さっそく『文藝春秋』10月号に何やら寄稿したらしい。今後はテレビ等には出てこないで、ライターとして稼ぐつもりなのかもしれない。なんて悪賢い奴なのかと腹が立つが、それでも後述の三浦の醜態と比べればはるかにましだろう。
三浦は「惰性力が止められた」ことを、あるいは理屈ではわかっているのかもしれないが十分に体感することができておらず、テレビでもTwitterでも統一教会と自民党の擁護に傾斜しては猛烈な批判を浴び続けている。三浦の本職の学者は偽装に過ぎない(と私はみている)から、本業でも早晩相手にされなくなるに違いない。何より、三浦は言葉だけは次々と出てくるが何を言っているのかわからない。私は長嶋茂雄を連想した。あの言語能力では(「動物的勘」ではなく)言葉が物を言う世界で生きていけるはずがない。
政界に目を向けると、岩田の同類よりも三浦の同類の方がはるかに多い。
たとえば安倍の国葬を早々に打ち出した岸田文雄や、その岸田に何度も電話をかけて国葬凶行、もとい強行を強要したとされる麻生太郎はその代表例だが、ことに麻生の脅迫に屈した岸田の政局勘の欠如は深刻だ。「空気を読めない」岸田のせいで、今後の日本の政治は混迷を続けるだろう。
また、野党第一党の党首・泉健太も岸田と同じくらいどうしようもないが、泉については何度も書いているので今回はこれ以上書かない。