kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

2022年7月8日、安倍晋三の銃撃死とともに「崩壊の時代」が終わった

 たまにしかブログを更新できない状態はまだまだ続くが、安倍晋三の「国葬」が近づいてきたので、安倍が殺害されてからここまで、ずっと考えてきたことを少し書いてみる。

 安倍銃撃の一報で既に「心肺停止」との報道だったので、事実上の即死だったに違いないとその時に思った。そしてこのあとの日本政治に不可逆的な変化が生じることは間違いないと確信した。とはいえそれがここまで鮮やかな形で示されるとは想像を超えていた。

 その日から今日まで私が変わらずに念頭に置いているのは1945年の敗戦を境にした日本政治の変化であって、敗戦もまた不可逆的な変化をもたらした。一方で戦後の政治には戦前・戦中の政治の尻尾も残っていて、それが岸信介であり、安倍晋三だった。その安倍が撃たれて死んだことによって、現代に全く合わなくなった戦前からのアナクロな尻尾の大部分は終焉に向かうと思われる。

 統一教会は、自民党が長年引き摺ってきた前述の尻尾の部分と思想を共有している。それは、「家庭連合」という現在の彼らの団体名にもよく表れている。2012年の自民党の第二次改憲案は統一教会改憲案と酷似していると指摘されている。下記に今年8月9日の舛添要一のブログ記事へのリンクを示す。

 

ameblo.jp

 

 こんなカルト教団と同じ思想に基づく自民党改憲草案がまかり通って良いはずがない。これまで安倍晋三が強引に推進してきた改憲への流れは白紙に戻されなければならない。統一教会への徹底的な批判が今後も必要不可欠である所以だ。

 ただ、日本の政治状況は先が全く読めない。

 一つだけいえるのは、岸田文雄泉健太のような、党内に働く政治力学ばかりに気を取られるリーダーには務まらない時代だということだ。中でも岸田は、防衛費の倍増だの原発のドラスティックな推進だのと、ろくでもないことばかり考えている無能きわまりない宰相であり、有害無益もいいところだ。最大派閥の安倍派がそもそも派の存在意義が問われる深刻な状況に置かれているから岸田下ろしは簡単には起きないだろうが、そのうち岸田は政権運営に行き詰まって政権を投げ出すのではないか。

 その先がどうなるかはわからない。わからないことを書いても仕方がない。

 弊ブログは故坂野潤治の言葉を引用して、2012年以降の日本は「崩壊の時代」に入ったと書いてきた。崩壊の時代がいつ終わるのかについては、はっきりした意見を持つことはできなかったが、今ならはっきりいえる。

 2022年7月8日、安倍晋三の銃撃死とともに「崩壊の時代」は終わった。1937年夏から8年間続いた前回の「崩壊の時代」よりも今回は少し長く、約10年間暗黒の時代が続いた。

 しかし、「崩壊の時代」を支配した政治勢力の退場が求められる新たな時代は、もう始まっている。