kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか(田中良紹)

 遅ればせながら今朝になって知ったが、先週月曜日(8/1)に公開された下記記事は、政治について書かれた最近の記事の中では出色のものだ。4桁の数のはてなブックマークがついているのも当然だろう。著者の田中良紹氏の名前は2009年の政権交代前後によくお見かけしたが、1969年にTBSに入社したベテランジャーナリストの方のようだ。

 

news.yahoo.co.jp

 

 長いので抜粋して引用する。

 

 7月28日に北海道テレビが放送した伊達忠一参議院議長の発言は衝撃的だった。安倍元総理が旧統一教会の組織票の取りまとめを一手に引き受けている様子が生々しく語られたからだ。

 

 伊達前議長は北海道で臨床検査技師を務めていたが、北海道議会議員を経て2001年に参議院議員に初当選した。参議院国対委員長参議院幹事長を務めた後、2016年に参議院議長に選出され、2019年の参議院選挙には出馬せず政界を引退した。

 

 その伊達前議長は2016年の参議院選挙に、長野県で臨床検査技師をしていた宮島喜文氏を日本臨床衛生検査技師会の組織内候補として立候補させた。しかし組織票が十分でなかったため安倍元総理と面会し、旧統一教会票を回してもらうよう依頼した。

 

 すると安倍元総理は「わかりました。そしたらちょっと頼んでアレ(支援)しましょう」と言ってくれた。結果、宮島候補は当選した。ところが今年の参議院選挙で宮島候補が自民党の公認を得ていたにもかかわらず、安倍元総理から「悪いけど勘弁してくれ。井上をアレ(支援)する」と言われ、宮島氏は公認を辞退し、安倍元総理の元首席秘書官であった井上義行氏が旧統一教会の支援を受けることになったのである。

 

 伊達前議長は2019年7月に政界を引退した後の10月、旧統一教会関連団体「天宙平和連合(UPF)」の会合に来賓として出席、翌20年にも2月と8月に旧統一教会のイベントに参加し、今年2月には関連団体がソウルで開いた会合でもオンラインで演説を行った。宮島氏の当選のお礼として参加したと伊達前議長は語っている。

 

 安倍元総理は2013年の参議院選挙には、産経新聞社の政治部長であった北村経夫氏を立候補させ、旧統一教会の支援で当選させ、16年の宮島氏の次の19年には再び北村氏を旧統一教会の支援で当選させた。

 

 そして今年の参議院選挙では宮島氏の支援を断り、かつての秘書官である井上氏に旧統一教会の支援を回したのである。そのため宮島氏は出馬断念を余儀なくされた。

 

 伊達前議長の話やこうした経緯を見ると、安倍元総理は旧統一教会の支援をいわばポケットマネーのように意のままにできるのだ。(中略)

 

 このように見てくると安倍元総理は、自民党の集票マシーンとして固い宗教とイデオロギー分野での「総元締め」ではなかったかと思えてくるのである。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20220801-00308391

 

 自民党の集票マシーンとして(の)固い宗教とイデオロギー分野での「総元締め」。言い得て妙だ。最近は統一教会と関係していた政治家の名前がずいぶん挙がっているが、たとえば民民の玉木雄一郎は元世界日報の人間から3万円の献金を受けた程度だし、多くの自民党議員も玉木と似たようなものだ。統一教会との関係といえば、何と言っても統一教会票を自由に差配していた安倍晋三が飛び抜けて癒着が深い。それも、弊ブログなどが「安倍晋三統一協会」などと書きまくっていた2006年当時ではなく、下野後に関係を強め、2012年の政権復帰後はそれこそ本当にズブズブの関係になったらしいのだから、安倍と統一協会との関係の深化を全然知らなかったことは痛恨の極みだ。

 

 以下、再び田中氏の記事を引用する。

 

(安倍は=引用者註)直情径行一本で練れた感じがしない。なぜ小泉元総理が自分の後継者に選んだのか不思議だった。小泉元総理は「拉致問題」で国民に人気があったからだと言い、それ以外には「気後れしないところを評価した」と言った。

 

 確かにトランプ前米大統領とのゴルフを見ても、相手とは比べようがないほど下手なのに、まったく気後れせずにプレイしていたのはある種の才能だと思う。しかし安倍元総理が第一次政権で、自民党から除名された郵政民営化反対議員を復党させたことで小泉元総理は激怒し、2人の関係は表には見せないが微妙なものになった。

 

 そして安倍元総理の政治能力のなさに驚いたのは、2007年の参議院選挙で大敗したのに続投を表明したことだ。それまで参議院選挙で敗れた総理は2人しかいなかったが、宇野宗祐元総理も橋本龍太郎元総理も参議院選挙で敗れると直ちに退陣した。

 

 敗北の責任を取る意味もあるが、参議院過半数議席を失うと衆参「ねじれ」が生じ、政権運営は絶望的になるからだ。その政治の裏表を安倍元総理は知らないと私は思った。すると自民党の中から引きずり降ろしが始まる。やり方は実に巧妙だった。安倍元総理を引きずり降ろすようには見せず、辞めざるを得なくしたのである。

 

 安倍元総理は、海上自衛隊がインド洋で米軍に給油活動を行うことを国際公約していた。それを可能にする法律には10月末という期限があった。秋の臨時国会で法律を延長しなければ活動を継続できない。しかし「ねじれ」が生まれたので延長は難しい。

 

 唯一の方法は、8月中に衆議院で可決して参議院に送り、参議院で棚ざらしにされても60日後には衆議院に戻し再可決することだ。ところが閣僚人事の「身体検査」に時間がかかるという声がどこからか出てきた。8月の国会開会は無理だと言われた。

 

 当時の井上義行首席秘書官が必死になってマスコミに8月国会開会の記事を書かせたが、二階俊博国対委員長は頑として開会を認めなかった。これで安倍元総理は11月1日に海上自衛隊に帰国命令を出さざるを得なくなる。安倍元総理は「国際的嘘つき」の汚名を背負うことになった。

 

 秋の臨時国会が開かれ、安倍元総理は所信表明演説を行ったが、心ここにあらずの感じだった。翌日、突然退陣表明の記者会見を開き、「このままでは政治が混乱する」と言った。国民には何が何だか分からなかったと思う。与謝野馨官房長官が「病気」と助け舟を出し、表向きは病気での退陣となった。お粗末な退陣劇であった。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20220801-00308391

 

 上記の経緯は非常に興味深い。第1次安倍内閣を潰したのは二階俊博だったということか。二階はかつて小沢一郎新進党に属していた。二階と小沢、あるいは二階と小泉純一郎との間に何らかのやりとりがあった可能性もあるかもしれない。

 

 ところがそれから5年後に安倍元総理は奇跡のカムバックを果たす。なぜカムバックできたのかを読み解く。小泉元総理の「郵政解散」に国民は幻惑され、自民党は一時的に選挙での獲得票数を増やしたが、新自由主義的政策は地方に痛みを与え、それが旧来の自民党支持者の自民党離れを生む。

 

 そこに小沢一郎氏率いる民主党が食い込んだ。「国民の生活が第一」という路線でかつての自民党支持者を取り込む。自民党の中枢にいた小沢一郎氏や羽田孜氏は自民党支持者に安心感を与え、2009年の衆議院選挙ではそれまで自民党を支持していた業界団体が農協以外はすべて民主党支持に回った。

 

 民主党無党派層に訴える風頼みの選挙をやったのではない。建設業界も医師会もあらゆる団体が支持に回ったからこそ政権交代ができた。比例の民主党の獲得票数は約3000万票、自民党は1800万票だった。そしてそれ以降も自民党の獲得票数は減り続ける。

 

 しかし自民党民主党菅直人政権の無能に助けられた。2010年の参議院選挙で民主党は1100万票減らして1845万票、自民党は480万票減らしたが1407万票で、議席数で自公は過半数を制し「ねじれ」が生まれて菅直人政権は「死に体」になった。

 

 ところが菅総理は第一次政権の安倍元総理と同じように総理を辞めなかった。そして民主党には自民党のように巧妙な手段で総理を引きずり降ろす知恵者もいなかった。その挙句、民主党は2012年の衆議院選挙で比例票はわずか962万票、政権獲得した時の3分の1に激減する。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20220801-00308391

 

 2010年6月に菅直人が発した消費税率引き上げの発言は最悪だった。あれがなければ普通に勝てたはずの参院選を負けに変えてしまったのだから。それ以後も、翌年の東日本大震災に伴って東電原発事故が起きるまでの期間には、菅政権には見るべきところが何もなかった。3.11の直前、弊ブログではなくもう一つのブログでだったと記憶するが、私は菅政権の採点として「0点」をつけた覚えがある。

 しかし菅政権の唯一の見どころは東電原発事故対応だった。そしてその段階になって民主党内で「菅下ろし」を始めた連中がいた。それが小沢一郎とその一派であり、小沢と結託したのが陰謀論者にして統一協会との関係も深い鳩山由紀夫だった。東日本大震災と東電原発事故の対応が大変な時にあんな党内の権力抗争をやるのかと呆れたが、民主党がその後も長く有権者の不信を買い続けた最大の原因は、2011年春から夏までの権力抗争であろう。あれはそれこそ「どっちもどっち」と見られたため、2012年衆院選では民主党も惨敗したものの、菅下ろしを仕掛けた側の「日本未来の党」は、東京新聞が紙面を挙げて応援したにもかかわらず、日刊ゲンダイが喧伝した3桁議席の可能性どころか獲得議席わずか9議席の歴史的大惨敗を喫したのだった。このあたりの認識は、著者とは少し違うかもしれない。

 余談だが、2012年衆院選での未来の党の惨敗には、某暴犬ことbo***-****tukareと名乗るおよそ信じ難いほど低能な某「共産趣味者」も狂喜乱舞したものだ(笑)

 

 にもかかわらず民主党には危機感がない。しかし自民党は減り続ける獲得票を見て危機感を抱いた。どんなことがあっても選挙に勝つ方法を考える。集票力が確かな宗教票とイデオロギー票を取り込める人物をリーダーに担ぐことだ。安倍元総理に再び光が当てられたのはそのためだと思う。

 

 2012年の自民党総裁選で安倍元総理が勝つ可能性は大きくなかった。自分が所属する派閥のトップである町村信孝氏が出馬し、国民に人気のある石破茂氏も出馬した。森元総理は石原伸晃氏を応援した。しかし終盤で町村氏が病に倒れ、それが総裁選勝利につながる。町村氏の病気がなければ、安倍元総理勝利はなかったかもしれない。その場合は自民党を出て維新と合流することになっていた。

 

 しかし運命は安倍元総理に微笑む。自民党を出ることなく、自民党の集票マシーンの中の宗教とイデオロギー分野で票の差配を取り仕切ることになった。そして危機感のない野党のおかげもあり、解散権を自在に行使することで、6戦6勝という選挙結果をものにした。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20220801-00308391

 

 あの2012年後半の悪夢は忘れようにも忘れられない。なんで町村信孝が突然病気になるんだよとか、なんで古賀誠谷垣禎一を裏切ってシンキローなんかとつるんで、安倍よりももっと無能で軽薄な石原伸晃なんかを担ぐんだよ、などと思った。私はあの時の恨みを決して忘れないから、古賀誠がその後どんなにまともな発言をしようが、古賀みたいな奴は一切信用しないことに決めている。

 

 この選挙結果が経済政策でも外交政策でも他から文句を言わせない強固な体制を作る。ひ弱な第一次政権の時とは打って変わって安倍元総理は政治家らしく悪さを増した。それが一方ではひずみをも大きくする。

 

 自分の後継者を作らなかったことは安倍元総理の欲望が尽きていないことを示している。その欲望によって自民党内にひずみが生まれた。そのひずみが解消されないまま、旧統一教会によって人生を狂わされた山上容疑者の突然の銃撃によって、安倍元総理がポケットマネーのように意のままにしてきた旧統一教会の集票の実態に光が当たり、国民の目に晒された。

 

 この突然の事態は突然であるだけに誰も対応できない。自民党の底流にあった闇が浮かび上がってきたが、誰もどうしてよいのか分からない。世界はウクライナ戦争によって先進国と新興国との対立が鮮明となり、下剋上が始まったかに見えるが、日本政治もまた銃弾が安倍元総理の存在を消し去ったことで、大いなる混迷が襲い掛かってくるように思えるのである。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20220801-00308391

 

 安倍晋三が「後継者を作らなかった」ばかりか、次々と「ポスト安倍」潰しをしていたことは、ずいぶん前から指摘されてきた。これは独裁者にありがちな心理で、寝首をかかれないための行動だ。

 それが日本社会のニーズと自公政権の政策との間に大きな歪み(ひずみ)エネルギーを溜め込むことになったというのが私の年来の主張だが、著者は自民党内にも歪みが生まれたという。その歪みの存在が山上徹也の銃撃によって突然明らかにされたというのが著者の見立てだ。自民党内の歪みエネルギーはまだ解放されるに至っていないから、党内の特に安倍派では国会議員たちがあがいているし、彼らに忖度するNHKや彼らの圧力を受けているテレビ朝日、あるいは自グループの偉いさん自身が安倍派の国会議員になって統一協会と癒着していたフジテレビなどは、いまだにこの件に関するまともな報道をやっていない*1

 しかしエネルギーの解放を抑えてきた安倍晋三という重石は、山上徹也によって粉砕されてしまった。今後徐々にそのエネルギーが解放されることは確実だし、もともとは安倍晋三とは異なる集団に属していた岸田文雄はそれを利用するに違いない。

 とはいえ、安倍派が分不相応に巨大化してしまったことが大いなる不安定要因になり、日本の政治は今後嫌でも混迷する。まず安倍派で主導権を握って岸田と対抗しようとする動きが起きるだろうが、派内で「なんであんな奴がトップになるんだ」という声が挙がって派内抗争が起きる。また安倍派のアナクロイデオロギーは広く国民の支持を受けられるようなものではないので(だから清和会は長年保守傍流にとどまってきた)、長い目で見れば今後清和会は間違いなく崩壊していくだろう。その崩壊の過程で、いろいろな混乱が起きるものと思われる。

 

 上記記事についた「はてなブックマーク」コメントより。

 

安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか(田中良紹) - 個人 - Yahoo!ニュース

いい評論。“自分の後継者を作らなかったことは安倍元総理の欲望が尽きていないことを示している”自民党の総理経験者で派閥の長としてこのへんは異様。

2022/08/02 06:47

b.hatena.ne.jp

 

 上記が人気筆頭のブコメだが、既に書いた通り寝首をかかれることを恐れて後継者を作らないことは独裁者にはありがちな行動だ。独裁者のあり方としては特に「異様」だとは私は思わない。ただ、安倍晋三が日本の総理大臣の中でも珍しいくらい独裁的性格が強かったとはいえるだろう。そういえば、安倍自身が自分は畳の上では死ねないだろうと言っていたという。自らが異常な独裁者であるという自覚だけは安倍自身にもあったようだ。

 

安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか(田中良紹) - 個人 - Yahoo!ニュース

とても参考になる面白い記事。やっぱり無能だよな、安倍さん。統一教会日本会議神社本庁といったカルトの総元締めとしては有能だったが無能な働き者で日本がどんどん疲弊しても無対策だったのもよく分かる。

2022/08/02 03:31

b.hatena.ne.jp

 

 ブコメとしてはこちらの方が人気筆頭のものより共感できるので、スターを進呈した。

 安倍は自民党の集票マシンやカルトの総元締めとしては有能だったかもしれないが、日本社会をダメにして日本国民の暮らしを悪くした点では無能もいいところのダメダメ宰相だったとは私も思う。

 

安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか(田中良紹) - 個人 - Yahoo!ニュース

安倍チャンが死ぬ前どころが総理総裁であった時に(旧)統一教会とズブズブだった事が報道、糾弾されていれば(タイミング的に)撃たれる事も無かっただろうが政治家として死んでいたかもしれない…

2022/08/02 07:31

b.hatena.ne.jp

 

 私はブログで安倍晋三の政治生命を絶つ(=政治的に殺す)べきだ、とずっと書いてきた。そのために、"AbEnd"(AbeをEndさせるという意味)という造語も作った。しかし、安倍はこの造語の元になった古い計算機の用語である "ABEND"(= abnormal end; 異常終了)をしてしまった。

 もう何度も書いたが、安倍晋三は政治的な意味において殺されなければならなかった。それができなかったことは残念至極だ。

*1:テレビ朝日は最初はやっていたものの、モーニングショーで有田芳生が「政治の力」発言を行って玉川徹がフリーズした日を境に、突然不熱心になった。