kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

統一教会と自民党との癒着構造の今昔/朴正煕軍事政権の頃には癒着する側にとっての必然性があったが、今では惰性で癒着し続けて信者に巨額の被害を蒙らせる「巨悪」だ

 松竹伸幸氏のブログ記事に興味深い指摘があった。

 

ameblo.jp

 

 記事はいつものように短いので以下に全文を引用する。

 

 私の学生時代というか、正確にいうと学生運動時代というのは、勝共連合統一協会)との闘いの時代だった。新左翼が勢いを失った大学に原理研究会があらわれた。それまではマルクス主義内の正統性を争う闘いだったのが、マルクス主義の「原理」が間違っているとする勢力との闘いが開始されたわけだ。そして彼らは深く浸透していくことになる。

 

 その点では、安倍さんの死をきっかけにして、再び統一協会に光が当たることは歓迎である。統一協会と日本の政治の関係をオモテに引きずりだしてほしいと思う。

 

 問題は、その視点である。統一協会がカネやヒトを供出して政治に潜り込み、独自の思想を日本で実現しようとした。そういう視点は、一面では正しいとは思う。

 

 しかし、それだけだと、数年前、日本会議議員連盟をつくって、日本の政治を動かしていると話題になったのと同じである。あれれ、日本政治を牛耳っているのは、日本会議ではなくて統一協会だったんですかという感じになってしまう。

 

 この二つの団体には、似ている政治思想もあるが、まったく異なるところもある。朝鮮半島に対する日本の植民地支配をどう見るかは決定的に違っているところだ。

 

 日本会議がそれを肯定的に見ていることは言うまでもない。一方、統一協会にとっての日本は、朝鮮半島を植民地支配した罪深い国である。統一協会が世界のなかでも日本においてのみ、霊感商法などでだましてでも金集めをするのは、植民地支配の贖罪のために日本人が財政的な協力をするのが当然だと考えるからだ。日本人女性信者が韓国人男性と結婚するのも、同じ思想から生まれている。

 

 その統一協会60年代、70年代から日本で公然と活動し、影響力を広げられたのは、言われているように、「反共」の一致点で自民党政権と韓国の軍事独裁政権がスクラムを組めたからに他ならない。植民地支配問題は、自民党政権にとってやっかいな問題だったろうが、そこは目をつぶったのだろう。統一協会日本会議を日本政治の黒幕みたいに描くやり方は、支配の延命のためにはイヤなことも取り込む自民党政治の奥深さというか、ぬえのような性格を捉え切れていない。

 

 現在、日本でくり広げられている統一協会批判は、この時代の追及がベースになっている。しかも、いまや韓国は、当時のような反共軍事独裁国家ではない。だから、統一協会と日本政治の関係というのも、新しい要素を持ったものになっているのではなかろうか。調べたわけではないから、ただの憶測だけれど。

 

 冒頭に書いたように、安倍さんの死をきっかけに、この問題に光があたるのはいいことである。しかし、走る方向を正確に見定めないと、現代にふさわしい追及とはなっていかないかもしれない。関係者の努力に期待したい。(了)

 

出典:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12754999252.html

 

 思い出されるのは高校生時代の1979年のことだ。

 私は図書館に行っては『世界』などで韓国の朴正煕軍事政権が批判された記事を愛読していた。当時の友達にもしょっちゅう朴の悪口を言っていた。

 ある秋の土曜日、その友達から「おい、朴が暗殺されたぞ」と知らされた。朝のニュースを見ていなかった私はそれを知らなかったのでびっくり仰天した。

 実は安倍晋三暗殺の知らせを知って真っ先に思い出したのが、この朴正煕の暗殺事件だった。安倍は右翼の山上徹也に殺されたが、朴を殺したのは政権のナンバー2だった。暗殺手段も同じで、ともに銃を用いた射殺だった。暗殺犯の金載圭は翌年死刑に処された。韓国では民主化運動が起きたが、翌1980年に全斗煥がクーデターで政権を握り、1988年まで政権の座にあった。韓国で民主化運動が再び活発化したのは、全政権末期の1987年になってからである。

 1987年といえばベルリンの壁崩壊の2年前で、ソ連崩壊の4年前に当たる。つまり、私が政治への関心を強めた1970年代後半から、それに続く80年代の大部分の時期までは、統一教会統一協会)と「反共」の共通点で強く結びつく必然性があった。上記引用文中青字ボールドにした部分が、そのポイントだ。

 一昨日弊ブログが批判した社民党員のまことん氏は、このあたりの経緯を、あるいは理屈ではわかっておられるのかもしれないが、少なくともリアルタイムではご存知ないに違いない。だから「今更感」などと安易に書き飛ばしてしまったものと推測する。

 しかし今は冷戦時代ではなく、韓国は保守政権が返り咲いてしまったとはいっても、早くも支持率が暴落しているらしい。今の韓国は少なくとも日本のように保守反動政権の長期支配を許している情けない国ではない。冷戦時代における統一教会と朴正煕の関係とは現在は全く異なり、今や統一教会は韓国内でも異端のカルト教団に過ぎないと思われる。

 そんな統一教会自民党安倍派とが未だにべったり癒着していることに「今更感」を持ってしまうと表明するとは、見識を疑われても仕方ない。これが今の社民党のレベルなのかと、大いに失望した。

 松竹氏のブログ記事中で赤字ボールドにした部分に関していえば、自民党政治統一教会に操られているとするのは陰謀論に過ぎない。2006年に発覚した安倍晋三の祝電をきっかけにブログで取り上げるようになった頃にどうだったかは覚えていないが、現在は「癒着」「ズブズブ」「共依存関係」などという言葉は愛用しているものの「操られる」等の表現は用いていない。操られ云々は程度の低い陰謀論に過ぎず、人々に受け入れられないのはそんな主張なのだ。現実に起きた暗殺事件の犯人・山上徹也の境遇は悲惨そのものであり、人々に大きな衝撃を与えたのは当然だ。それは、冷戦が終わって長年経つにもかかわらず、統一教会自民党とがwin-winの関係にあるために惰性力で続いている腐れ縁でしかなく、日本の多くの家で家父長制が崩壊したり、選択的夫婦別姓への賛成論が飛躍的に高まっている現在において、制度が人々のニーズに合う方向に改められるのを妨害する「巨悪」だ。「今更感」どころではない。

 そんなことよりも自分たちの生活が守る方が大事だと言うなら、それは社会民主主義の思想とは全く相容れない考えだ。山上のようなカルト宗教の被害者たちが苦しむのは自己責任だと言っているに等しく、むき出しの新自由主義の思考だといっても過言ではない。

 少なくとも、惰性で続いてきた結果山上徹也の暴発にまで至ってしまったこの問題を、軽々しく「今更感」などで片付けてしまうことは全く許されないのである。