泉健太が立民代表になって最初の国政選挙だった昨年の参院選で立民が「選挙ブースト」を起こせなかった件について。
旋風を起こした党がその後の選挙ごとにブーストを弱めていくのなんて当たり前の話じゃないか……(ブロックされてるけど別垢で見たぞ) https://t.co/IDpNESF5Zz
— 政 治 成 分 (@Seikei_Partizan) 2023年2月16日
そんなことはない。2000年代前半の民主党は国政選挙のたびに大きな「選挙ブースト」を起こしていた。
2003年衆院選や2004年参院選が好例で、選挙前の政党支持率は民主党が自民党に歯が立たないと思わせる数字だった。時の総理大臣・小泉純一郎は2003年衆院選を前にして、当時「国民的人気がある」とされていた安倍晋三を自民党幹事長に抜擢して万全の構えを見せ、この年の衆院選は自民党の圧勝になるかもな、嫌だなあと思っていたが、結果はマスメディアの世論調査も予想しなかった民主党の躍進だった。日本テレビの出口調査では与野党伯仲の数字まで出たので驚かされたが、民主党は東京都や神奈川県などの翌日開票分で伸びず、伯仲までは行かなかった。
しかし衆院選が終わると民主党の政党支持率は元の木阿弥の低支持率になった。2004年参院選は年金未払い問題に抵触した菅直人が民主党代表を辞任した上、後継と見られた小沢一郎にも年金未払いがあったことがわかって結局岡田克也が代表になるなどしたダメージ*1の影響で今度こそ自民党が勝つだろうと思ったが、またしても民主党が選挙ブーストを起こして自民党の49議席を上回る50議席を得た。
このように当時の民主党は毎回のように選挙ブーストを起こして脆弱な組織力をカバーする綱渡り的な党運営をしてきたが、2005年の郵政総選挙で小泉純一郎側に選挙ブーストを起こす仕掛けをされたらひとたまりもなく、民主党は惨敗した。
その後の2007年参院選では対案路線をとったものの自滅した前原誠司に代わって代表になった小沢一郎が再び対決路線をとった民主党が、2003年や2004年を大きく上回る選挙ブーストを起こして圧勝し、第1次安倍内閣を総辞職に追い込んだ。その究極の選挙が2009年の政権交代総選挙だった。しかし2012年衆院選では極端な対決路線をとった野党第一党の自民党に巨大な選挙ブーストを起こされた民主党が下野した。
このように、野党第一党は選挙ブーストを起こすことが常態なのだ。しかしそれには条件がある。野党第一党が与党に対決する姿勢をとっていることが必要条件だ。もちろんそれだけでは十分条件ではなく、郵政総選挙のように与党内での権力抗争が争点になってしまうような阻害要因がないことが求められるけれども。
このように振り返ると、別に自民党内の抗争が争点になったわけでもなかった昨年の参院選で野党第一党が選挙ブーストを起こすことができなかったことの方が異常であり、その原因を「提案型路線」にあると立民自身が総括したことは妥当だったとしか言いようがない。
しかし自党の総括を受け入れたはずの泉健太が党代表を辞任しなかった、つまり責任をとらなかった。そのことが問題だと弊ブログはずっと主張している。