kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「ここ数年もっとも共産と良好な関係を築けていた」はずの立民の「野田小沢手塚ライン」と共産とのパイプが、なぜ「急に詰まった」(\しらたき/氏のX) のか

 この件だが。

 

 

 

 衆院東京15区補選では野田佳彦共産党幹部と同じ演台に乗ったのに対して泉健太にはそのようなことはなかった。

 また何より、東京都知事選で共産党が立民の中でも明らかに保守系蓮舫を熱烈に応援したことには本当にびっくりした。

 そこからの急変だから、立民側よりも共産側に原因を求めるのが普通の考え方だと思う*1。というのは共産党というのは実質的にはトップダウンの政党だからだ。処分される前の神谷貴行(紙屋高雪)氏によると、共産党の組織内で十分な議論が闘わされているとのことだったが、その神谷氏も理不尽としか思えない除籍処分を受けてしまったから、やはり極端なトップダウン政党とみるしかない。偶然かもしれないが、三春充希氏がやっている各党の政党支持率の推移のグラフで、神谷氏除籍のタイミングで共産党の支持率ががくっと下がった。

 

 

 

 思い出すのは、本当に会談が実現するのかと言われてきた泉健太と田村智子の会談が実現した時、こたつぬこ(木下ちがや)氏が色をなして怒り、今の立民執行部(つまり泉健太)は支持できないとXをポストして、それ以後野田佳彦支持に舵を切ったことだ。こたつぬこ氏はもとは共産党系だったから、共産党内の動きをある程度知っていて、現在はそれに対する党外からの反対派という立ち位置と思われる。

 あれでネットの(というかXの)立民支持層の流れが変わり、中間派系が野田佳彦に流れる一方、藤原規眞氏に典型的にみられる通り、リベラル派から泉健太への同情の流れが生じた*2。だがそれはXでの立民支持界隈という狭い世界での話で、実際の代表選にどう反映されるかはわからない。代表選では吉田晴美の積極的な意見発信が期待されたが、あまりに急造の候補でさすがに荷が重かったのか、いまいち発信力が不足している。弊ブログが強くこだわる党運営の民主化についても吉田陣営からも特に積極的なアピールはみられない。そもそも立民支持層の人たちが問題意識を十分持っていない。民民では自殺者まで出した候補予定者へのケアは立民でも十分大きな課題のはずだと私は思うが、党内権力者たちによる候補者の将棋の駒扱いが改善される気配は、残念ながら今のところ全く見えない。

 まあ正直言ってあまりパッとしない代表選だと思う。しかし自民党総裁選はもっとひどくて、9人の候補者全員が自民党統一教会との関係の再調査を行う気などないことが明らかになるなどしている。

 

 

 立民が「共闘でろくに返せてない」のは、小選挙区制が続く限り当たり前だ。

 そもそも2015年の段階で、長期目標として選挙制度の再改変を打ち出さなかった時点で失敗している。

 野党共闘小選挙区制を軸とする選挙制度の改変が議論になったことがあるだろうか。弊ブログは、長期的な目標として選挙制度比例代表制をベースにした制度に変えることを掲げ、野党共闘はそれまでの時限的なものとすると位置づけよと前々から書いてきたが、そんな流れは全く生まれなかった。

 それは「野党共闘」に小沢一郎が絡んだからであって、それを受け入れるどころか幹部たちがオザシン(小沢一郎信者)と化した感があった共産党に最大の問題があった。なぜなら衆院選への小選挙区制の導入は小沢一郎の悲願であって、これだけは小沢は絶対に譲れない。共産党はもちろん選挙制度の再改変を主張する政党だが、小沢を介した野党共闘ではそれを棚上げしてしまった。これが大間違いだった。

 たとえば森裕子は選挙の時などの演説で、よく一手で白を黒にひっくり返せるオセロゲームを引き合いに出して小選挙区制を賛美していた。生活の党のような小政党にいるのに何を言っているのかと訝っていたら新立民に合流したので、なるほどと思った。2015年には小政党にいた小沢一郎が2020年に野党第一党である新立憲民主党に入ったのは、強硬な小選挙区制論者である小沢にとっては当然の行動だった。

 なお東京都江東区では衆院東京15区補選で野党候補を酒井菜摘に一本化した見返りは行われている。それは東京都知事選と同日に行われた都議補選に共産党候補を立てたことであって、現在の都議会江東区代表4議席のうち1議席に現職の共産党都議がいて、立民が議席を持っていないことを思えば、これは立民側から見れば異例の見返りだったといえる。というのは、共産が立っても立民が立っても当選が望みようがなかったこの補選(当選した上田令子一派の三戸安弥と自民党山崎一輝が2強の候補者だったことは明確だった)では、普通は来年の本戦を狙う立民候補で統一するのが自然だが、おそらく共産党には都議の代替わりの予定があり、来年の本選に立てたい現職区議の顔見せを都議補選でやりたい意図があって、それを立民が了承した経緯があったことが容易に推測されるからだ。この区議は、一般には反共人士の急先鋒扱いされる軍畑先輩が地域の共産党の人たちを「地の塩」と呼んで評価した時に事務所の画像をXに貼り付けていた人で、国政選挙では党の体質が変わらない限り共産党に入れないことにしている私も、都議補選では彼女に投票した。もちろん落選したが、定数4の来年の都議選では当選するだろう。

 このように、地域によっては「野党共闘」がうまくワークしているところもある。しかしそれはあくまでも例外であって、なんだ、持ち出しばかりじゃないかという声が共産党中央で急に強まったのではないかと推測される。

 仮にこの流れで衆院選本選で東京15区からも共産党の小堤東が立てた場合について、これを金澤結衣の立場から考えてみたい。そうなった場合でも、金澤が凋落著しい維新から出るのでは勝ち目はないが、野党も割れるようなら、何も江東区ではイメージが特に悪化している自民党から出るよりも、石丸伸二や上田令子一派とつるんで出た方が勝つ確率が高いと計算できる。しかし補選と同じように野党が一本化されると、保守も同じに割れると補選と同じ結果になってしまうから自民党から出た方が良いという計算になる。私が金沢の参謀だったらその両睨みで野党側の動きに注目して打つ手を決めるところだ。だから、勝つために最適な選択肢を求めたなら、金澤は既に終了している自民党の公募には応募しなかっただろう。自民党江東総支部と金澤との取引においては、2019年衆院選で比例復活当選目前までいった実績のある金澤の方が立場が強いとみる。しかし酒井に一本化されてしまうと、今度は自民党の方が立場が強くなる。このあたりで虚々実々の駆け引きが展開されるのではないかと私は推測している。

 でもこんな権力ゲームで疲弊するのは結局のところ候補者なのだ。そのもっとも悲惨な例が先日の高橋茉莉氏の自殺だった。

 各党の支持者にも無党派層の人々にも、いい加減、組織内権力が組織内の人間の人生を左右する問題の重大さを理解していただきたいものだ。

 だから弊ブログは(国政)政党の統治にも「立憲主義」を導入すべきだと訴え続けている。

 しかし現実には、その「立憲」の二文字を党名に冠する政党からも、そのような方向性への模索すら全くみられない。残念至極である。

*1:原理主義的に維新との連携を求める小沢一郎はともかく、いかに野田佳彦であってもここまで急激な凋落を続ける維新との選挙協力という、支持層にも一般有権者にもそっぽを向かれそうな方向性にいつまでも流されるとはちょっと想像しがたい。

*2:私はこの流れは大甘だと思っていて全く感心しないが。