小沢一郎「(事務所)」が面妖なツイートを発した。
① 最近、元大阪府知事の橋下徹先生が、野党間で次期衆院選前に「予備選」を導入する必要性を盛んに訴えておられますが、私自身も全く同感で、大いに賛同致します。橋下先生が指摘されている通り、野党が激突したら、そのまま自民が勝ってしまうことになり、これは先の衆院千葉5区補選でも明らかです。
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) 2023年5月30日
②自民党に勝つためには、橋下先生が主張されているように、野党候補を一本化しなければなりません。重要なことは、野党の候補者選びを公明正大に行うことです。それには、本選挙前の予備選を実施することが最良の方法です。わが党もこの考えで、維新と候補者の調整をする決意をしなければなりません。
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) 2023年5月30日
「(事務所)」とあるが、これは紛れもなく小沢本人が発した言葉だろう。それを小沢事務所の人間が忠実に文字化したものと推測される。
ふざけるな、の一語に尽きるが懐かしくもある。2012年頃の小沢は「私の意見は橋下市長と同じだ」と口癖のように言っていた。橋下の肩書きが「市長」から「先生」に変わっただけで、小沢の意見は11年前も今も全く変わっていないわけだ。一言でいえば全体主義者。それが小沢の正体だ。
下記は4月26日にツイッター政治おじいちゃんお化け氏が発したツイート。
僕も維新の野党第一党化を防いだのが、野田佳彦の最も優れた仕事の一つであると認識しています。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2023年4月26日
ちなみにあの時期、小沢一郎は橋下徹への秋波を送りまくっていました。 https://t.co/yvQfxPWmbl
野田佳彦が「維新の野党第一党化を防いだ」と言えるかどうかは微妙だ。確かにあれ以上解散を遅らせれば維新が野党第一党になった可能性が高いが、そもそも野田が自公に見ているすり寄る政治を行ったことが民主党自体に大きなダメージを与えたと私はネガティブにみている。しかし小沢が橋下に秋波を送りまくっていたのは事実で、あの「国民の生活が第一」転じて「日本未来の党」は民主党を分裂させたことによって事実上日本維新の会の援軍ともいえる役割を果たした。2012年の衆院選で刺客を送り合った民主党と未来の党は大半が「共倒れ」したのだった。日刊ゲンダイは未来の党は3桁の議席獲得もありうると煽り、東京新聞は紙面をあげて未来の党を応援したが、未来の党はわずか9議席しか獲得できない歴史的大惨敗を喫した。
確か、小沢一郎氏は橋下徹氏と考え方がきわめて近いみたいな発言をしていましたね。詳細はよく覚えていないのですが、ああこの人はやはり根っからのネオリベ、根っからの……うまく言えませんが「チカラの信奉者」なんだなと思ったことだけは記憶しています。
— ねむり猫〈まゆり@非国民です@あきらめない〉 (@ynogi3) 2023年4月26日
小沢と橋下の考え方は昔も今も同じということだ。
一昨年の立民代表選でも小沢は泉健太を応援した。結局当選後の泉に冷遇されたとして現在では泉を批判する立場に立っているが、橋下の「衆院選前の予備選」の呼びかけに肯定的な反応を示した点では泉と小沢は同じ考え方だ。泉も小沢も「維新も含めた大きな塊」論者だといえる。
そういえば泉も「維新八策」に共鳴し、維新の政策は立民とほとんど違わないと言って維新を持ち上げたことがある。橋下、小沢、泉の3人は同じカテゴリに属する政治家だといえるのではないか。
私が苦々しく思い出すのは、2000年代後半から2010年代にかけて社民党が小沢の衛星政党と化したことと、2015年からの「野党共闘」の局面で共産党執行部が激しく小沢に傾斜したことだ。中でも2019年4月の衆院大阪12区補選がひどかった。あの時小沢は共産党参院議員を口説いて議員辞職させて無所属での補選候補に仕立て上げ、あれを共産党の人間は「わが党からは出てこない発想だ」などと小沢を持ち上げていたが、その候補は供託金没収の惨敗に終ったのだった。なにしろ2010年6月の民主党代表選で小沢が担いだ極端な新自由主義者である樽床伸二の得票にも及ばない屈辱的な大惨敗だった。私は「小沢の口車なんかに乗るからそういうことになるんだ」としか思わなかったが。
大袈裟にいえば、小沢は自らが属した自民党や民主党系の政党のみならず、社民党や共産党にまで悪影響を与え続けた。20世紀終わりから21世紀初頭にかけて、小沢ほど日本の政治全体にひどい害毒を流した政治家はいないと私は考えている。
その小沢はもう政界への影響力を失いつつあるが、最後っ屁を放つかのように橋下徹の「衆院選前の野党間『予備選』」への賛意を表明した。「巨悪・小沢の最後の害毒」とでもいえようか。