完全に乱世に入り、混迷状態にある日本の政治において、ますます不平等を拡大しようとする政治勢力(その最たるものが玉木民民分派)がのさばってきて頭が痛い限りだが、トマ・ピケティによると世界の不平等は2015年をピークに不平等の拡大から縮小へと向かうトレンドだという。玉木民民分派などはその世界の流れからみると時代遅れの政治勢力であって、そんなものが大人気を博しているあたりがこの国の政治の未成熟さを表しているのではないかと思う。
今ネットで話題になっているのがNHKの世論調査による各党の年代別政党支持率だ。
共産党の若年層支持率がゼロになったのではないかという最新のNHK調査。
— う(ま)ブし🏇 (@neo_yamabusi) 2025年2月10日
れいわ60代や日保40代でも同様な表記になっているから、このサンプル調査においては有意なデータが取れなかったということなんではないかと思う。が、それにしても重く受け止めるべきだろう。https://t.co/pmxguPjGRM pic.twitter.com/xqiDsl3jKZ
これについては某軍師が「18〜39歳の共産党支持率がゼロになった」と騒いでいるが、私が注目しているのは自民、立民、民民、維新の政党支持率の年代別分布だ。
安倍政権末期に、あれほど産経など右派がうれしそうに書いていた「若年層において自民党支持率が高い」現象は完全に消滅し、自民党は共産党を十何倍かに拡大したような支持率の分布になっている。つまり若年層ほど支持率が低い。
立民も同様の傾向だが、立民の場合40代は支持率の底になっている。だがそれ以下の年齢層でも支持率は低止まりしている。おおむね自民と立民は共産と同じ傾向にあると見て良い。
一方その逆に若年層の方が支持率が高いのが玉木民民分派だ。これは昨年の衆院選の前からそうだったが、その傾向が衆院選後に一気に拡大した。
これをNHKは下記のようにまとめている。
年代別で政党支持率を見ますと、自民党の支持率は、80歳以上では48.5%にのぼるのに対し、60代と70代では30%台、40代と50代では20%台と若くなるほど下がり、30代以下では16.2%となっています。
野党第一党の立憲民主党の支持率も、若い人で低くなる傾向があり、60代以上では10%台ですが50代以下で1桁となり、40代以下では2%から3%台にとどまっています。
一方、若い人ほど支持が高いのが国民民主党です。60代以上では数%にとどまる一方、50代以下では10%台となり、30代以下では自民党と同じ16.2%でした。
年代ごとに支持率の高い政党を見ますと、30代以下では自民党と国民民主党がきっ抗し、40代以上では自民党が最も高くなっています。
(※注・層別分析をする場合は各層の人数が100人以上であることを目安としています)
しかし私がもっとも注目したのは維新であって、あれほど30歳代〜50歳代での強さを誇った維新がその年齢層の支持を失って、今やもっとも支持率が高いのは80歳以上の高年齢層である。これは自民、立民、公明、共産と同じであって、維新は今や完全な「既成政党」のカテゴリに入った。
その維新の没落を象徴するのが現在話題の兵庫県知事選に関する立花・斎藤一派の悪事に深く関与したのではないかという疑惑である。昨日も宮武嶺さんのブログ記事に大々的に取り上げられていた。
兵庫県知事に斎藤元彦を押し込んだ経緯には、維新のみならず宮武さんの高校の同級生だったという自民党安倍派の「いかがわしい」西村康稔も深く関わっているが、維新や西村といった「新保守」が兵庫県の腐敗を招いた。その維新が関西以外での支持が総崩れになっている。特に首都圏など東日本で凋落が激しく、たとえば私の現在の選挙区である東京15区では、昨年維新が手塩にかけて育ててきたはずの候補者に逃げられた。金澤結衣のことである。また元熊本県副知事だった東京7区の候補予定者は熊本に移り、後任の候補予定者は昨年の衆院選で当時の選挙区(埼玉13区)に貼りまくったポスターの剥がし残しが未だにあるらしい。東京15区の比例復活議員・大空幸星(自民党)も似たようなものだが。
その維新の支持層が移った先は、間違いなく民民玉木分派だろう。
そして民民玉木分派は、維新が自民から奪えずにいた30歳未満の支持層をも奪ったとみられる。これは自民党支持時代には石破茂や岸田文雄を好まず、安倍晋三や菅義偉を好んだ人たちだと思われるから、今の民民玉木分派の支持層は、自民党安倍派と維新の支持層を合わせた志向を持つ。だから維新及び自民党高市早苗一派との相性が抜群だ。
ポスト安倍時代の政局は、昨年の今頃からは想像もつかない展開になった。
たまたま私の住む東京15区(江東区)では、2023年の区長選をめぐる買収事件をきっかけに、区長と自民党衆院議員(元民主・みんな・民進系)が失職して権力の区博が生じたため、区長選と衆院補選が行われて区長選では都ファ系、衆院補選では立民が勝ったが、その間民民は区長選でも衆院補選でも都ファ系を応援した。衆院補選には当初候補を立てようとしたものの、立花孝志が垂れ流したデマによって公認を取り消し、候補予定者の自死を招く大失態をやらかした。そんな民民玉木分派が、まさか「手取りを増やします」との煽り文句でひたすら「減税」を訴え続けるという(以下「減税真理教」と表記する)、労働者の党にあるまじき暴挙に走ったあげくに若年の有権者の心を掴んでしまうとは‥‥
ここで私が「減税真理教」が「労働者の党にあるまじき」ことだと考えている理由を以下に説明する。
西洋史において18世紀末に起きたフランス革命によって、それまでの階級が固定された社会から人々が解放されたにも関わらず、その後の19世紀の産業革命を機に勃興した資本主義によって、20世紀初頭の第1次世界大戦の直前の時代には、フランスにおける不平等はフランス革命前よりもひどくなっていた。資本主義とは、何も歯止めをかけなければそのような暴走を起こして弱肉強食の世界を作ってしまうシステムだ。その資本主義が招いた不平等な社会構造は第1次世界大戦と第2次世界大戦によって破壊されたが、いずれの場合にも戦争が終わると資本主義によって不平等が強まった。またソ連や中国などの共産主義国は不平等のない世界を目指す建前だったが、権力者の私利私欲が強いことが人間という生物の性(さが)であることはどうしようもないので、彼ら権力者たち*1による権威主義の政治が多数の犠牲者を出して、こちらも大失敗に終わった。その両者の欠点を補い、不平等の少ない社会を作るための手段が税金だ。従って「減税真理教」が究極の目標とするであろう無税国家*2においては際限なく不平等が拡大する。民民玉木分派だの自民党高市一派だのが政権をとったら、日本はそういう社会になる。
以上の世界観はフランスの経済学者であるピケティの著書に依拠しているが、そのピケティによれば世界の不平等は2015年あたりを境に縮小傾向にあるという。しかしどの世界でも反動というものが起きる。今の民民玉木分派の人気大爆発はその「反動」にあたるというのが私の理解だ。
だから私は玉木民民分派主要打撃論をとる。
玉木の「減税真理教」に基づく政策は、それ以前の民民の政策とは齟齬をきたしており、最近ネットでそれを暴かれるとともに、一部の以前からの新自由主義者が玉木を批判するようになって、そのためにようやく民民の政党支持率に翳りがみえてきたようだ。
全体のトレンドは三春充希氏のグラフを参照するに限るので、以下に氏のXをリンクする。
2月10日現在の政党支持率の平均
— 三春充希(はる)⭐未来社会プロジェクト (@miraisyakai) 2025年2月10日
無党派 33.8 %
自民 28.3 %
立憲 9.1 %
国民 8.6 %
維新 3.8 %
公明 3.6 %
れいわ 3.5 %
共産 2.4 %
保守 1.0 %
参政 0.8 %
社民 0.4 %
みんな 0.1 %
最新のNHKの世論調査を反映しました。 pic.twitter.com/yJ7jcaUqey
2月10日現在の政党支持率の平均(10%未満拡大)
— 三春充希(はる)⭐未来社会プロジェクト (@miraisyakai) 2025年2月10日
無党派 33.8 %
自民 28.3 %
立憲 9.1 %
国民 8.6 %
維新 3.8 %
公明 3.6 %
れいわ 3.5 %
共産 2.4 %
保守 1.0 %
参政 0.8 %
社民 0.4 %
みんな 0.1 %
最新のNHKの世論調査を反映しました。 pic.twitter.com/gZhnED20vU
しかし、今選挙をやったらどういう数字になるかも三春氏は示している。
現在の参院選比例代表の推定は、自民15、立憲8、国民8、公明6、維新4、れいわ4、共産3、保守1、参政1、社民0、みんな0議席です。
— 三春充希(はる)⭐未来社会プロジェクト (@miraisyakai) 2025年2月11日
衆院選比例代表の推定は、自民57、立憲32、国民31、公明19、れいわ15、維新12、共産7、保守2、参政1、社民0、みんな0議席です。https://t.co/JFDub0adDH
衆院選比例代表の推定は立民と民民がほぼ同数、共産は新選組の半分にも満たない。
だから、あれほど共産党が強い参院選京都選挙区に新選組が候補を擁立することを発表した。現時点では新選組が共産を上回る可能性はまずないが、参院選まであと5か月もあるのでどうなるかはわからない。
また社民の参院選の議席はゼロとされている。NHK日曜討論で新選組の外交・安全保障政策責任者の伊勢崎賢治が発した暴言に社民党の大椿裕子副党首が迎合したことを弊ブログは厳しく批判したが、レバ子氏の福島瑞穂に対する下記の批判が残念ながら大椿副党首にも該当しているとしか私には思えない。
2012年以降の社会民主党は小沢一郎の事実上傘下を経て、現在山本太郎の釣り堀でしょう。日本共産党の官僚体制も酷いものですが、社会民主党の福島瑞穂絶対王政も惨々な有様です。福島は党外の有力者に追随してしまう事が多々あります。社会民主主義の理念はどうでも良いと言っているようなものです。
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2025年2月11日
共産党が小沢一郎の事実上の傘下になったのは2012年よりもう少し早く、2010年5月には既にそうだった。鳩山由紀夫が辞意を表明したあとの民主党代表選に、菅直人の対抗馬について小沢一郎は「社民党にも理解される人を」などと言っていたが、実際に立てたのは菅直人どころではないとんでもない新自由主義者の樽床伸二だった*3。あの時に私は社民党を見放し、一時共産党に投票することが増えたが、2015年に共産党までもが小沢一郎の甘言に乗って「野党共闘」に「貢献」する小沢を持ち上げ始めたので、そんなことなら共産に投票する理由などなくなるので「比例は社民」に戻した。2019年衆院選には小堤東に投票するつもりだったが「野党共闘」が成立して小堤が降りて東京4区から井戸まさえがやってきた。その井戸が昨年民民に移籍して東京4区に戻って落選したあと、玉木に迎合して選択制夫婦別姓慎重論に転向したことを、少し前にこのブログで批判した。自称共産の「ソフトな支持者」の某ガスが「今頃になって」とか言っているらしいことを「はてな」からの通知で知ったが、未だに共産党執行部の権威主義を擁護し続ける某ガスに対しては「お前が言うな」以外の感想はない。それでも都議選だけは共産に入れ続けてきたが、今年はどうするかわからない。もし立民の候補者があの人なら立民に入れる。別の人なら共産に入れるけど。
最後にその共産について少し書いておくと、有料読者しか読むことができない三春氏の下記note記事を見ると、同党の衆院選比例ブロックの推定議席数が昨年夏にガタンと低下したあと回復の兆しが今なお見えないことがわかる。といっても昨年衆院選の8議席より1議席少ない7議席にとどまってはいるが、昨年7月には一時17議席を狙える勢いがあった。たぶん田村智子が委員長に就任した効果があったのだろうが、それを打ち消して余りある要因がその後にあったということだ。神谷貴行(紙屋高雪)氏の除籍と、そのあとも同党から除籍者が続出したことと無関係だとは私には思えない。
共産党はいい加減に今の「分派狩り」路線を改めなければならない。田村智子はいつまでも志位和夫に忖度している場合ではない。「分派狩り」路線を中止しなければ新選組が候補予定者を発表した参院選京都選挙区でも、落選はおろか新選組候補に得票が及ばない惨敗を招きかねないのではないだろうか。
下記は京都新聞の有料記事へのリンク。私も読めないが、見出しから衝撃の大きさがわかるのでリンクした。
もともと長周新聞(日本共産党からの分派である「日本共産党(左派)」の準機関紙)に応援される元号新選組と日本共産党とが相容れないのは当然だ。いくら松尾匡が「けんかをやめて」と叫んでも止められない。ここでもレバ子氏の批評は辛辣だ。
日本共産党はその是非があれ目指す社会像は最近怪しくなったとは言え「共産主義社会の建設」にあります。長谷川羽衣子らは財務省解体論を垂れ流し、山本太郎は現代貨幣理論に基づく「積極財政論」を推進している以上部分連合はあり得ても、お互い協力はできないはずです。山本はコミュニストではない https://t.co/QmsEhOP2gA
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2025年2月10日
松尾匡さんの基準は単純に消費税減税派だけが薔薇マークに認定され、ネオリベラルに反攻のきっかけを与えたものだからそのやり方は結果として、ポピュリズム以前にリバタリアンが闊歩する国会になりました。細川護煕直系で日本新党に忠実だった円が山本太郎と同じなわけがない。松尾さんの人間関係。
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2025年2月10日
その人間関係で山本太郎と日本共産党は共闘せよと言っていますが、それはどちらかが今の路線を放棄する事です。コミュニスト山本太郎はあり得ないし、現代貨幣理論が政策の柱である日本共産党は自己否定と同じです。左翼だから皆同じ考えなわけがありません。むしろ決着をつけるいい機会なのでは?
— レバ子@Labor Struggle (@laborkounion) 2025年2月10日
うーむ。「超辛口」と言われたこともある弊ブログでもここまでは書けない。思っていることは非常に近いであろう部分があるけれど。たとえば「人間関係」といえば、松尾が高橋洋一に対する批判を避けていることなどその際たるものだろう。自然科学の学者たちの間でも「人間関係」は決して無視できないが、人文・社会科学の分野になると、それが露骨に出てきてしまうようだ。
松尾のnoteをいくつか読むと苦々しさが込み上げることが多いが、時間が来たのでここまでにしておく。