一昨日、というより昨日(23日)の午前0時0分にいただいたコメントより。
「思想・表現の自由」は特段立憲民主党の専売特許でもなんでもないと思いますけど。それを立民の専売特許であるといわんばかりの言い方をされると大いに違和感があります。
たとえば私は、高校生時代には「こんな性格でなければ」なりたいと思った職業が新聞記者でした。ですから、表現の自由の一形態ともいえる「報道の自由」には今もうるさいですし、音楽や文学の趣味もあるので「表現の自由」そのものにも特にうるさい部類の人間です。表現の自由よりも社会主義ないし共産主義思想を優先させることを強要する、旧ソ連を中心とした「社会主義リアリズム」など、副ブログである読書・音楽ブログで(古い記事だとたぶんこのブログでも)何度批判したかしれやしません。
現在論点になっているのは「表現の自由」が人権の侵害などとバッティングする場合でしょう。このあたりは人によって意見が分かれて当然でしょう。たとえば「報道の自由」についても、ナチスを肯定的に論じる言論が「自由」であって良いか否かということが、しばしば議論されます。
私はやはり今の日本においては、経済的な「自由」ばかり追及する立場と、富の不平等などに起因する不自由さの軽減や解消を追求する立場の対立の方が、より深刻な対立点だと考えます。そしてその観点から、東京東部の一部選挙区において、前者の立場の候補者が、本来後者の立場に親和的な人たちから多くの票を奪って勝ったことに衝撃を受けました。
今回、都議選の江東区選挙区と江戸川区選挙区の選挙結果から浮き彫りになったのは、立民はいうまでもなく共産までもが「自由は守る会」なる過激なネオリベラリズムの政治団体の候補者に票を削られまくって敗北したことだと私は認識します。
SNSでは東京都以外から共産党員あるいは支持者が「共産党は惨敗した」と書いただけで「共産党信者」たちから袋叩きにされる事例も見られるようですが、あの「反共」の軍畑先輩でさえ「地の塩」と高く評価した江東区の大嵩崎(おおつき)かおり候補(この人は昨年の都議選候補出馬のために辞職するまでは、江東区共産党のエース区議でした)が敗退した無念をどう思うのかと問いたくなります。都議選の選挙戦が始ま直前に新小岩駅前で街宣しているところを出くわしてビラを受け取った江戸川区の原純子候補についても同じことがいえるでしょう。
江東区と江戸川区以外には「自由を守る会」の強力な候補者はいなかった。だから両区以外の共産党候補は運が良かったのだと私は思います。たとえば三戸安弥が三多摩の選挙区から出ていたら、今回の江東区選挙区と同じような選挙結果になったんじゃないですかね。私はきっとそうなったに違いないと思っています。
立民はいうに及ばず、共産までもが「過激なネオリベ政治勢力である『自由を守る会』に思いっきり票を削られた」ことが、今回の都議選において私が受けた最大のショックでした。
繰り返しますが、自民支持層の右半分(安倍晋三や高市早苗になびくような人たち)と共産支持層の一部に見られるような頑迷な権威主義者たちを除いて、誰にとっても共通の思想である「表現の自由」は、決して立憲民主党の専売特許なんかじゃありません。
酒井氏が区長選に出馬した時のリベラル分裂騒動時もそうですが
三戸「経済活動の自由を守る(表現の自由についてはあまり関心がない)」
三戸に逃げた立民右派「表現の自由を守ってほしい(経済活動の自由はどうでもいい、むしろ国家による自由を求めてる傾向)」
という絶妙に噛み合わない状況なので、三戸は相当苦労すると思います。「右派リベラルの民民スタッフvs極右の新規支持者」と似た状況ですね。三戸の場合は自業自得です。「自由を守る会」なんて名乗ったら有権者の多くはAFEE系の表自戦士だと誤解するでしょう。(非立民系のAFEE賛同者なら他に推したい候補も無いのでまあええか。金沢結衣氏(AFEE)も江東区を去ったし。)
江戸川区の場合は最悪です。「自由を守る会」を勘違いして上田に投票した有権者によって、「表現の自由を守るための約束(AFEE)」に署名した田之上候補(立憲推薦)が次点で落選したのですから。
三戸と上田は本気で「表現の自由を守る活動」をしなければ、「自由を守る会」に未来はありません。2024年衆院選で浮かれた玉木と同じ状況です。
いや、上記のコメントはいささか視野が狭すぎるのではないでしょうか。
有権者の大部分は「AFEE」なんて知りませんよ。恥ずかしながら私も昨年知りました。三戸や上田令子がそんなことで苦労するはずなんかありません。
上記コメントから読んで、昔岡山県の倉敷市に住んでいた頃のことを思い出しました。私は倉敷市民ではありましたが、現在の江東区民としての立場と同じく、よそから入ってきた人間でした。会話の相手は岡山市民でしたが、彼には倉敷市に対する強烈なライバル意識がありました。彼は「岡山県の県庁所在地は倉敷だと思っている人が多い」と被害妄想気味に言いました。それを聞いた私は、「そんなことないよ。世の中で一番多いのは倉敷が何県か知らない人だよ」と思いました。口には出しませんでしたけど。また彼は広島に対する強烈な敵愾心もあって、私が関西出身ということもあって、岡山(県)は中国地方ではなく関西に入れてほしいとも言いましたが、関西人が岡山や広島に対して持っている差別意識を知らないんだなとも思いました。あれには結構いやらしいところがあって、それで私はプロ野球でも地元のタイガースよりもカープ寄りの心情を持っていました。それはともかく、その時は倉敷市と広島県の悪口をさんざん聞かされました*1。
上記の事例と同じ視野狭窄を感じました。そんな視野をお持ちだから、三戸の新自由主義や歴史修正主義を批判することに主眼があった高野勇斗区議のnote記事を読んで、千葉早希恵候補のAFEEへの回答をどう思うかというコメントを書かれたのではありませんか? 正直言って、私はあれを読んで「あちゃあ」と思いましたよ。選挙戦中でしたからね。
話題を変えて都議選で当選者を出せなかった新選組に関するコメント。
下記は「生存ユニオン広島」さんのブログ『広島瀬戸内新聞ニュース』より。
れいわ新選組は山本代表が期間中都議選応援に全く入らず。それはいくらなんでも無理でしょう。
再生の道にも微妙に支持層を崩された。れいわ新選組支持者で石丸支持という人もリアルで多く嫌な予感はしてました。
ボランティア中心では市町村議や地方の県議まで。国政は比例まで。三万票近く必要な都議選は無理でしょうし衆院も比例復活できても小選挙区は無理。普通に専従職員を置くべきでしょう。
そういえば、「選挙ドットコム」の動画で、昨年の衆院選から現在までの間に、新選組から参政党に票が流出していると指摘されていました。
しかし、新選組については下記のニュースがいただけませんでした。以下朝日新聞デジタルより。
れいわ「特定枠」で公認
2025年6月24日 5時00分
れいわ新選組は23日、7月の参院選の比例区で新顔の伊勢崎賢治氏(67)の公認決定を発表した。政党の判断で優先的に当選させることができる比例区の「特定枠」で擁立する。
(朝日新聞デジタルより)
これは全く支持できません。2019年参院選で新選組の最大のウリはこの「特定枠」の使い方でしたが、今回はそれをチャリにしたばかりか、私の立場からすれば有害きわまりない人物である伊勢崎賢治のために「特定枠」を使うことになってしまいます。しかも前回用いられた木村英子氏の特定枠を今回は外すようです(舩後氏は引退)。
これではどうしようもありません。こんな政党は絶対に支持できません。
私は「自由を守る会」がむしろ経済活動の自由しか守る気の無い(表現の自由に対して冷淡である)「羊頭狗肉の政党」であることを批判していくべき、だと思います。
「政治からの自由(主に思想・表現の自由※)・政治による自由(個々に対する社会保障)、立憲民主党は2つの自由を両立します!」、これをアピールしてほしいです。
不健全図書→8条指定図書への名称変更&事実上の規制緩和と、社会福祉の充実という実績は都議会立憲の誇りである、私はそう思います。
※ただしヘイトスピーチ規制については「規制反対」といえる状況ではない、高野区議から頂いた回答を呼んだ私はそう思いました。私自身は「刑事罰には反対だが、民事上の不法行為に該当すべきもの。」と考えていますが、私自身の考えも変わるかもしれません。