結局明後日(10/21)に発足するであろう高市早苗内閣は維新は閣外協力にとどまるようだ。なぜそれを産経はおろか朝日新聞までもが「連立政権」と称するのか。昨日の政局報道に接しての最大の疑問がそれだった。
まず産経の記事を引用する。
自民・高市早苗総裁、首相確実に 自・維連立樹立で20日合意へ 維新は入閣せず閣外協力
2025/10/18 19:41
自民党と日本維新の会が連立政権樹立で事実上合意したことが18日、分かった。維新は閣僚は出さずに「閣外協力」とする。複数の両党幹部が明らかにした。両党は20日に連立政権合意書に署名する見通しで、21日召集の臨時国会で実施される首相指名選挙で自民・高市早苗総裁の選出が確実な情勢となった。
遠藤敬氏、首相補佐官へ
維新は入閣しない一方、維新の遠藤敬国対委員長を首相補佐官に起用する案が浮上している。起用された場合は内政を担当し、国会運営にも関与する見通しだ。副大臣や政務官は維新からは登用しない。
高市総裁はこれまでの協議で、維新側に「閣内協力」を求め、複数の閣僚ポストを用意する意向を示した。一方、維新幹部は「維新側から閣僚ポストを要求したことは一切ない」と説明。維新の吉村洋文代表は18日の朝日放送番組で協議は「政策実現が目的だ」と述べ、閣内協力にこだわらない考えを表明していた。
過半数の233まで後1
両党の政策協議では、維新が提示した12項目の政策要求のうち、憲法改正や外交・安全保障、エネルギーなどの基本政策で一致した。吉村氏が「連立の絶対条件だ」とする国会議員定数削減も自民は受け入れ、臨時国会に関連法案を提出する方針だ。維新が求めていた食料品の消費税率0%への引き下げと企業・団体献金の廃止も、自民が実現に向け努力する方針を示すことで折り合った。
首相指名選挙を巡り、衆院では、自民の衆院会派の議席数(196)に自民出身の衆院議長を含めた197に維新の35が加われば計232で、過半数の233に近づく。立憲民主党は野田佳彦代表への投票で調整している。上位2人の決選投票になった場合も、国民民主党は玉木雄一郎代表と書き、公明も野党党首に投票しない方向のため、高市氏が選出される見通しだ。
(産経新聞より)
URL: https://www.sankei.com/article/20251018-ZZCV7SBQ2NMERPN45VUHDJHDXY/
維新が閣僚を送り込まない内閣を、なぜ産経は「連立政権」と称するのか。これは印象操作ではないか。そう思って朝日新聞のサイトを見たが、朝日もまた「連立政権」と書いていた。以下は有料記事の無料部分だが、記事の末尾に今月4件目の無料プレゼントのリンクを張る。下記は無料部分へのリンク(朝日新聞デジタルと有料契約をされている方は下記リンクからでも全文が読めると思うが)。
高市氏、維新・遠藤氏を首相補佐官に起用へ 維新は「閣外協力」方針
2025年10月18日 18時12分(2025年10月18日 20時43分更新)
臨時国会の首相指名選挙での選出が確実な情勢となっている自民党の高市早苗総裁は18日、内閣発足に向けて日本維新の会の遠藤敬国会対策委員長(57)を首相補佐官に起用する方針を固めた。維新から閣僚は出さない方向で調整している。複数の関係者が明らかにした。両党は20日に連立政権樹立に向けて正式合意する予定。
遠藤氏は衆院大阪18区選出、当選5回。与野党に幅広い人脈をもつ。関係者によると、首相補佐官と国対委員長を兼務するという。
首相指名選挙は、21日召集…
(朝日新聞デジタルより)
URL: https://www.asahi.com/articles/ASTBL316TTBLUTFK00PM.html
私は、維新から閣僚を出さないものの、維新の国対委員長である衆院議員を首相補佐官に取り込み、自維で「正式合意」を行うからという理由で「連立政権」と表記したとのではないかと勘繰った。
両記事のタイムスタンプを見ると朝日の方が早く、また朝日が「独自」と銘打っているからもしかしたら遠藤敬を首相補佐官にするのは朝日の「スクープ」なのだろうか。いずれにしても、朝日が「連立」と書いたから産経も安心して「連立」と書いたのではないかと疑ったのである。普通は閣僚を送り込まない内閣など連立とは言わないのではないだろうかと思った。それでは自社さ政権の時は確か後半は社民とさきがけは閣外協力だったはずだが、それはどう表記されていたのだろうかと思って調べてみた。
こういう時にWikipediaでは信頼性が低いかもしれないが、Wikipedia「自社さ政権」では下記のように表記されている。
自社さ連立政権(じしゃされんりつせいけん)は、1994年(平成6年)6月30日から1998年(平成10年)6月までの自由民主党・日本社会党(1996年1月19日以降は社会民主党)・新党さきがけによる連立政権。
(略)
1996年10月20日の第41回衆議院議員総選挙の時点で自社さ体制は限界に近づいていた。左派から見れば転向と映った社会党の方針転換、同年1月に決まった社会民主党への党名変更に反発し、新社会党など一部議員・組織が分裂していった。また、9月には社さ両党から多くの議員が離脱して民主党を結成した。
そして、社さ両党は総選挙で大きく議席を減らし、壊滅的な打撃を受けた。また、閣外協力の自由連合は全議席を失った。自民党は議席を増加させ、野党第1党の新進党から離党者を取り込んだため、衆院での過半数を回復した(1997年9月)。総選挙後に成立した第2次橋本内閣では、社さ両党は閣外協力に転じた。
(略)
1998年6月には、第18回参議院議員通常選挙を前に自民党は社さ両党との閣外協力を解消した。
上記引用文を見ると、社民党とさきがけが閣外協力に転じた第2次橋本内閣の時代も「連立政権」の時期に数え入れられていた。どうやら閣外協力止まりでも「連立政権」というらしい。私の疑問は「下衆の勘繰り」に過ぎなかったことがわかった。しかし、閣外協力だと内閣から閣僚を引き揚げる必要がないので、連立としては弱い形であるとはいえる。
こんなものを「連立内閣」と呼んで良いものかどうか疑問を持ったのは何も私だけではなかったらしく、前記朝日新聞デジタルの「コメントプラス」で米重克洋氏も「『連立』と呼んでよいものか」と書いている。
でも閣外協力でも連立政権といえるのだったら、「自維N連立政権」と呼んでも全然間違いではないどころか、むしろ「N」を入れない方が不自然だろう。
「N」の話は別の記事に回すとして、公明党の連立離脱に続いて、維新も「閣外協力」にとどめることで、高市内閣は不安定さをさらに増したといえる。
前記朝日新聞デジタルの記事の無料プレゼントのリンクを以下に張る。
リンクの有効期限は20日午前7時31分。