kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

読売新聞に載った故小尻知博・朝日新聞記者(赤報隊事件犠牲者)の追悼記事

紹介するのが遅くなったが、読売新聞(大阪本社版) 4月26日付の紙面に、この5月3日でまる20年が経過した「赤報隊事件」についての記事が出ている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20070426p102.htm
以下引用する。

「銃の暴力許せない」…小尻記者の両親訴え

 ◆朝日阪神支局襲撃、来月3日で20年

 朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)襲撃事件で犠牲となった小尻知博記者(当時29歳)の父信克さん(79)と母みよ子さん(75)が読売新聞の取材に、今月17日に発生した長崎市伊藤一長・前市長(61)が銃で殺害された事件について、「銃弾による暴力は絶対に許せない」と怒りをあらわにした。すでに時効となった阪神支局襲撃事件は真相が闇のまま来月3日で発生から20年。両親は二つの事件を重ね合わせ、「2人とも理不尽に命を奪われて、さぞ無念だったろう」と心を痛めている。

 17日夜、広島県呉市の自宅でテレビを見ていた両親は突然、飛び込んできた市長銃撃の臨時ニュースに身を硬くした。息子の勤務先が襲われたことを知ったのも、同じ時間帯に流れたニュース速報だったからだ。

 阪神支局事件後、両親は臨時ニュースのたびに動揺するが、今回のショックの大きさは20年前のあの日以来だったという。

 当時、「大丈夫、きっと大丈夫」と声をかけ合いながら、広島から東へ向かったことを思い出したみよ子さん。「遠く離れた場所で事件を知った私たちもつらかったが、その場に居合わせたご遺族はどれほどつらかったでしょう」と遺族を思いやり、「知博は『ぼくで最後にしてほしい』と思っているはずなのに……」と声を震わせた。

 信克さんは「遺族の悲しみや憤りは決して癒えない。長崎の犯人も、知博を撃った犯人も、せめて真実を包み隠さずに明らかにしてほしい」と憤る。

 阪神支局事件が時効になった2002年5月以降、2人は急に体調を崩した。自宅から坂道を上り、瀬戸内海を見下ろす墓へ毎朝歩いて参るのが日課だったが、最近は車で行くのもやっと。それでも、誰かが供えてくれた新しい花をしばしば見つけ、「事件は忘れられていない」と力づけられるという。

 事件当時2歳だった小尻記者の一人娘、美樹さん(22)は今春、放送局に就職。2人は「棺(ひつぎ)に向かって『お父さん、起きて』と言っていた孫が、同じメディアの世界に入ってくれたことが本当にうれしい」と話す。

 ■朝日新聞阪神支局襲撃事件

 1987年5月3日、朝日新聞阪神支局に男が押し入り、散弾銃を発射。小尻記者が死亡、同僚が重傷を負った。警察庁は、同年1月から88年8月にかけて発生した同新聞東京本社や社員寮への銃撃、静岡支局の爆破未遂などとともに警察庁指定116号事件とした。

(2007年4月26日 読売新聞=関西発)


ナベツネ独裁で評判の悪い読売新聞も、大阪本社版には良い記事が載ることがある。
あの「産経新聞」でさえ、大阪本社版は東京本社版とはだいぶ違って、権力批判の記事が載ることが結構多く、昨年初め頃のヒューザー耐震偽装ライブドア事件が話題となった頃は、朝日よりましかと思ったほどだ。

読売の話に戻って、ここで紹介した4月26日付大阪版の記事で評価できる点が二点ある。
まず、ライバル朝日新聞社に向けられたテロを、ジャーナリズム全体に対する「言論の自由への挑戦」としてとらえていること。
次に、中央のマスコミがなぜか「個人的な怨恨による犯行」として矮小化しようとしている長崎市長射殺事件も、言論の自由に対する挑戦としてとらえ、赤報隊事件と重ね合わせていることだ。
以上の点で、読売新聞の少なくとも大阪本社には、抑圧されているとはいえ、真のジャーナリズム魂を持った記者がまだまだいるということだ。このことは、ポストナベツネの時代に、読売新聞が甦る可能性を持っている証拠として記憶にとどめておきたい。
なお、赤報隊事件が起きた時、統一協会からと疑われる脅迫文が朝日新聞社に送られてきたことを指摘しておきたい。
これが本当に統一協会から送られてきたものかどうかは不明であるが、昨年5月13日、安倍晋三内閣官房長官(当時)が、統一教会系団体の大会に祝電を送っていたことを想起しておきたい。

最後に、同じ読売新聞から、小尻記者の命日の翌日、5月4日付記事を紹介する。
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20070504p301.htm

以下引用する。

暴力に屈しない決意新た、小尻記者を追悼
 ◇朝日新聞阪神支局襲撃から20年

 朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)に散弾銃を持った男が押し入り、小尻知博記者(当時29歳)ら2人が殺傷された事件は3日、20年を迎えた。近くで開かれた集会には、実家を右翼団体の男に放火された元自民党幹事長の加藤紘一氏も参加。集まった市民や関係者らは、言論に対する暴力には決して屈しない決意を新たにした。

 「事件を風化させない」。阪神支局1階に設けられた拝礼所には、小尻記者と親交のあった人たちが訪れ、遺影に手を合わせた。

 この事件を含む警察庁指定116号事件は2003年3月に完全時効を迎えたが、小尻記者の記事をきっかけに発足した「釣り糸から野鳥を守る会」代表の吉川恵子さん(49)は「意見が異なるからといって、暴力で封じ込めようとする愚かさ、卑劣さを若い人たちに伝えていく」と力を込めた。

 同県尼崎市内のホールで開かれた「第20回言論の自由を考える5・3集会」(朝日新聞労働組合主催)。

 市民ら約700人を前にキャスターの筑紫哲也氏はこの20年間の言論を巡る状況について「右翼と世の中の差がどんどん縮まっている」と指摘。加藤氏は「意見のぶつかり合いの中から価値観は生まれてくる」と議論の大切さを強調し、伊藤一長・前長崎市長殺害事件にも触れて「同様の事件を阻止するには、多くの人が怒りと関心を持ち続けることが必要」と述べた。

     ◇

 広島県呉市の小尻記者の実家ではこの日、両親と妻裕子さん(47)、一人娘の美樹さん(22)ら約40人が参列して法要が営まれた。父信克さん(79)は「何十年たっても悔しい気持ちは変わらない」と、なお事件の真相究明を願う思いを語った。

 小尻記者とともに襲撃された犬飼兵衛・朝日新聞諏訪支局長も参列。読経の間、遺影を見つめていた。

(2007年5月4日 読売新聞=関西発)