kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

石原慎太郎・櫻井よしこの「右からの福田批判」が始まった

福田康夫政権を攻めづらいのは、福田政権が「右からの批判」にもさらされているからだ。
報道2001」に石原慎太郎櫻井よしこが出演していて、福田政権を「右」から批判している。櫻井は福田の外交姿勢を問うたのは議論の余地があるにしても、総選挙で安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」は審判されなかったなどと、相変わらず見苦しい言い逃れをしていた。負けを認めようとせず、潔さが全くない。それでも右翼なのかといいたくなる。
石原はネオリベ新自由主義)批判をしていた。福田批判を「旧来自民党」への批判に結びつけ、その主力政治家だった小沢一郎の率いる民主党への批判につなげている。つまり、「反ネオリベ」を装ったネオコンが福田政権と小沢民主党をひとからげにして「右からの批判」をしているのだ。
石原は、コイズミカイカク批判、特に竹中平蔵批判もしていたが、こんなペテン師にダマされてはいけない。ネオコンネオリベは表裏一体のものなのだ。「きまぐれな日々」の下記記事を参照されたい。
きまぐれな日々 「ネオコン」と「反ネオリベ」は両立しない

石原がサッチャーレーガン、ことに前者を批判するなら筋は通る。新自由主義の開祖はサッチャーであり、彼女が伝統重視のイギリス保守に、自由重視のアメリカ保守の思想を取り入れ、ハイエクの経済理論を経済政策のよりどころにして始めたのが「新自由主義」なのだ。もともと、新保守主義ネオコン)と新自由主義ネオリベ)は同じだったといってもいいくらいだ。現在、もともとのネオコンのうち伝統重視をより重視する勢力を「ネオコン」(日本では安倍晋三石原慎太郎が代表的)、市場原理主義をより重視する勢力を「ネオリベ」(日本ではコイズミや竹中平蔵が代表的)という言い方が広まってきているが、より正しくは前者を「ネオコン右派」、後者を「ネオコン左派」と称するべきかもしれない。いずれにしても、根は同じなのだ。「反ネオリベ」の「ネオコン」などあり得ない。

そもそも、サッチャーに批判されたのが「旧保守」であって、日本では「旧来自民党」に当たるのだから、旧来自民党を右から批判する石原が「ネオコン」であり、新自由主義者であることは明白だ。

だから私は石原慎太郎式の福田内閣批判に対しては、これに反対し、福田を擁護する立場に立つことを明言しておく。

サッチャーを批判し、明治維新以前の日本の伝統への回帰を指向する人がいたら、真の保守主義者だと認めてやっても良いと私は考えているが、そんな人はごく少数しかいないだろう。