そのうち「きまぐれな日々」でも取り上げようと思っているのだが、昔は保守派の中にも品格のある人がたくさんいた。たとえば昨年12月に亡くなった衛藤瀋吉(えとう・しんきち)氏はそんな一人だ。
衛藤氏が逝去された時に、追悼の文章を掲載したブログがいくつかあった。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/takeo1219jp/20071223
以下引用。
大沼保昭氏は中公新書として上梓した『「慰安婦」問題とは何だったのか』の中で衛藤氏を『右派の重鎮(p.113)』と述べていますが、衛藤氏が異なる思想・立場の人物と協同して元慰安婦への償い事業に従事する柔軟性も併せ持っていた存在であることは記憶されてよいと思います。特に戦後生まれの保守派知識人が居丈高な発言を続ける現在においては。
以下引用。
これらの論文では、小林直樹、坂本義和、福田歓一、石橋正嗣から、村松剛、源田実など、当時の左右を代表する論客の主張に謙虚に耳を傾けながら、日本は武力に頼らない総合的な安全保障力を高めるべきであり、国際紛争には“非介入の論理”を貫くべきであるという姿勢が一貫して主張されております。それでもどうしようもない有事には、魂のチカラを強調されました。
(中略)
衛藤先生は、自衛隊の海外派兵には断固、反対のお立場を貫かれた。イラクは始めから反対をされた。
中国や朝鮮半島の人から、“謝罪しろ、謝罪しろと際限なくいわれれば、それは腹も立つでしょう”。
でも、やはり“何度でも日本は間違っていたと言うべきだ”と説かれた。往時の日本共産党から、ブルジョワ・ナショナリスト衛藤と面罵された先生は、北京大学客座教授を勤められている。
お父上は瀋陽の図書館長であり、そこから瀋吉の瀋となった。
先生は真の日中の友好について、一生を通じて説かれたと僕は思っています。
衛藤氏などは、今だったらネット右翼から「サヨク」として攻撃されるかもしれない。
でも、昔から悪質な右翼論客はいた。その代表が渡部昇一だ。こいつが1980年に「週刊文春」に書いた「神聖な義務」という文章をご参照いただきたい。
http://www.livingroom.ne.jp/db/h003.htm
あまりにむかつくのでこの文章に対するコメントはしない。
ただ、特筆すべきはこの渡部昇一と統一協会の関係だ。渡部は、「諸君!」1983年11月号に掲載された世界日報の広告「私達も世界日報を推薦します」に登場したのをはじめ、2001年1月の世界日報創刊25周年には、「この四分の一世紀の間、(世界日報は)日本のクオリティ・ペーパーであった」とのメッセージを、他の4人とともに述べた。