kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

加藤紘一はいつ転向したのか?

テレビ朝日サンデープロジェクト」で、加藤紘一が米共和党の「小さな主義」の政策(新自由主義)を、ミルトン・フリードマンの名前を出して批判していた。

それは大いに結構なことなのだが、2000年に加藤自身が表明した下記の主張については、現在どう考えているのか。そこをはっきりさせてほしいものだ。
http://www.katokoichi.org/agenda/seisakujiten/contents/t-3.html

小さな政府による新しい国づくりを

【小さな政府】

明治維新からの日本は世界史の中で特筆していいほど見事に近代化を成し遂げました。そのためには中央政府が大きな権限を握り、政治・経済・社会生活はもちろん、時には個人の生き方まで国が指導するシステムが必要だったのです。

しかも国民をタテ、ヨコ、ナナメに組織化し、国の方針が徹底する体制を作り上げました。言い換えれば社会主義体制の下で近代化に突き進んできたのです。その結果、政府は権限、財政規模、仕事の範囲でどんどん肥大化し、国民は政府の顔色を窺わなければ経済活動も生活もできない状態に陥ってしまいました。

国全体がさまざまな集団に組織化され、人々は集団の一員としての生き方を強いられますから、個人が見えなくなり、それとともに無責任な風潮が蔓延してきました。そして国民は、自分の属する集団や国に過度に依存するようになっているのです。だから、権限、財政規模、仕事の範囲で「小さな政府」にし、「おかみ頼り」の雰囲気を一掃し、国民一人一人が、もっと伸び伸びすると同時に責任を持つ社会にしようというのが改革の基本です。

そのためには国のシステムだけでなく、人々の精神構造、メンタリティーも変えなければならないのですが、こうしたことを一言で「構造改革」と表現しているのです。「政府頼り」をやめましょう。

政治家も政府も国民にいろいろなことをしてあげられるようなイリュージョン(幻想)を振りまくのはやめましょう。いい製品を作って儲けるのが王道で、売れ残ったら政府に頼んで在庫品をさばこうなんて思わないでください。そんな力は、もともと政府になかったし、これからもありません、ということなのです。

(『週刊エコノミスト毎日新聞社、2000年10月17日号)

加藤紘一は、「(米共和党は)まだそんなこと(大きな政府はダメだ、という主張)を言ってるのか」と言っていたが、加藤はいつそれを言うのをやめたのか。それをはっきりさせなければならない。