kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「10・19」から21周年

テレビ朝日報道ステーション』のオープニングで、「10・19」の数字が踊っているのを見て、1988年(昭和63年)に川崎球場で行われたプロ野球ロッテ−近鉄ダブルヘッダーからまる21年の記念日であることを思い出した。

あの日、帰ってきてテレビをつけたら、第2試合が行われていた。長い月日が経つので記憶が曖昧で、見始めたのが1対1の場面からか、3対3の場面からか、あるいはその間からだったかも不確かだ。だが、せっかくリードした近鉄が追いつかれて失望したことと、それを打ち破ったブライアントのホームランを見た記憶があるので、おそらく7回途中から見始めたのだと思う。

ブライアントの一発で得た1点のリードを背負って、エースの阿波野秀幸が登板したが、ちょっといやな予感が頭をよぎった。こういう時のエースの登板は、得てして良くない結果を招くからだ。1983年の日本シリーズ第6戦では、それまでの5試合3勝2敗のうち2勝を挙げていた西本聖を胴上げ投手にしようとした巨人・藤田監督の温情があだになり、西本が打たれて同点となり、延長戦で西本と双璧をなしたエース・江川卓がサヨナラ負けを喫する最悪の敗戦へと舞台を暗転させてしまった(後年の1991年の日本シリーズ第6戦で、広島の山本浩二監督が同じ誤りを犯して川口和久が打たれた。ちなみに83年巨人と91年広島の相手はともに西武)。勝負に温情を交えてはだめなのだ。悪い予感は当たり、阿波野は高沢に同点ホームランを浴びた。

テレビの実況中継は、近鉄バファローズの地元・大阪の朝日放送川崎球場に乗り込んで行っていたが、これが注目を集めて、『ニュースステーション』がこの映像を流し続けたのだった。プロ野球人気がすっかり下火になった今では考えられないことだが、当時は誰もがこの措置に納得した。そして、延長10回表に勝ち越すことができず、この時点で近鉄の優勝がなくなり、試合のなかった西武の優勝が確定したのだが、優勝の可能性がなくなった10回裏の近鉄の守りは忘れられないものだった。

近鉄バファローズはその2年前にも西武とデッドヒートを演じたが、1試合を残して西武に優勝をさらわれていた。そのシーズンも大接戦だったが、引き分けで優勝を逃した1988年はそれ以上の大接戦となった。そして、今度はわずか半イニングというのか、10回裏の守りを残して優勝を逃したのだった。

「10・19」には、翌年の近鉄のリベンジという続きがあり、さらにそれには日本シリーズでの「3連勝4連敗」という暗転が続き、それぞれにドラマがあったのだが、それはくどくどとは語るまい。ただ思い出すのは、人々がプロ野球に熱中できた時代だったということで、1988年から1989年、昭和63年から平成元年というと、日本はバブル経済の頂点にあったのだった。