kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

西本幸雄死去

元阪急ブレーブス近鉄バファローズ監督の西本幸雄が死去。享年91。

とうとうくるべき日がきたという感想だ。2005年、大阪ドームオリックス楽天の試合を見に行ったことがあるが、お目当ての一人が仰木彬監督だった。土曜日のデーゲームだったが、スタンドでアナウンスされたのは、翌日に西本幸雄上田利治両氏が球場に来てセレモニーをやるとの告知だった。しまった、それを知ってたなら観戦は明日にしたのに、と思った。悪名高い親会社を持つ球団だが、近鉄バファローズと合併した初年度の監督を務めたのは、近鉄オリックス両球団を優勝させた仰木彬だった。そしてその仰木がヘッドコーチを務めていた頃の近鉄の監督が西本幸雄だった。

その仰木彬は同年暮に亡くなった。早いもので、今年でもう7回忌だ。

西本幸雄は最近まで元気だったと聞いていた。阪急時代からなのかどうかは知らないが、西本は宝塚に住んでいて、取材に訪れたスポーツライターを相手にあの「江夏の21球」で負けた試合のことを語り、コーヒーのおかわりをライター氏にすすめたという記事を立ち読みしたのはつい最近のことだったと思う。

私が高校生の頃の関西では、阪神ファンと読売ファンが勢力を二分していたが、「江川事件」で読売に愛想を尽かした読売ファンの同級生が何人か近鉄ファンに転じた。1978年の後期には、勝った方が後期優勝という試合(「藤井寺決戦」と呼ばれた)で鈴木啓示山田久志が投げ合ったが、鈴木が打たれて西本はかつて率いた阪急の壁に阻まれた。日本シリーズでヤクルトがその阪急を破って初の日本一に輝いたその年の11月に、「江川事件」が起きたのだった。

翌年、前期優勝した近鉄は、プレーオフで阪急に3連勝して初のリーグ優勝を遂げた。その年の日本シリーズの星取は、近鉄から見て○○●●●○●。奇しくも今年と同じだが、違うのはあの年にはホームチームが第1戦から6連勝して、最後の最後にビジターチームが勝ったことだ。その第7戦こそ「江夏の21球」として今も語り継がれるあの試合である。夕方には雨が降ったあの日曜日、模試そっちのけでラジオ中継に熱中していた近鉄ファンが結果を聞かれて「じゃかあしいわい」と怒り狂っていたが、彼も読売ファンから近鉄ファンに転じた一人だった。

1980年にも近鉄はリーグ優勝したが、この年はあと1つも負けられない後期リーグ戦の最後の3試合を全勝し、プレーオフでもロッテに3連勝した。後期リーグ戦の最後から3試合目は、後楽園球場で行なわれた日本ハム戦で、日本ハムは勝てば後期優勝だったが、その年タイトルを総なめにした新人・木田勇を打ち込んだ近鉄が勝ったのだった。8年後の「10・19」の先駆けともいえる、パシフィックリーグの天王山が全国的に注目された試合だった。ただ、「10・19」とは違ってテレビ中継がなく、私はラジオ中継を聴いていた。

同年の日本シリーズの星取は、近鉄側から見て○○●●○●●だった*1。この年の日本シリーズが語られることは多くないが、下馬評では広島有利といわれていたこのシリーズで近鉄は初戦から広島市民球場で2連勝し、しかも第1戦は前年の最終戦でやられた江夏相手に延長12回の末に競り勝った試合だった。第2戦は鈴木啓示が好投して快勝したが、この時、「敵地で第1戦から連勝したチームの日本シリーズ優勝確率は100%」と言われた。しかしそれでも近鉄は負けたのだった。競り合いになった第3戦で、勝ちを焦った西本が第1戦に先発した井本を救援に送ったのが敗因だと解説の広岡達朗は批判し、広島監督の古葉竹識は「相手は(日本シリーズに勝ったことのない)バージンだから」と語って西本を挑発した。このシリーズは今年と同じようにホームチームが第1戦から4連敗したが、第5戦でエース鈴木啓示が好投して自身2勝目を挙げ、近鉄が王手をかけた。広島に移動しての第6戦は一方的な広島の試合で3勝3敗のタイになったあと、第7戦は接戦となり、一度は近鉄が逆転して勝ち越した。しかし、ここで救援に送られた鈴木啓示が打たれて再逆転を喫し、西本幸雄は8度目の挑戦でまたも日本一を逃したのだった。これが西本最後の日本シリーズになった。

第7戦終了後、打たれた鈴木啓示がこの試合でのリリーフを予期していなかったなどと、言い訳とも采配批判ともつかない発言をしたと聞いて、私はこの鈴木啓示という男が大嫌いになった。それまでも鈴木は大試合になると決まって打たれていたので良い印象は持っていなかったが、この件をきっかけに決定的に嫌いになったのだった。鈴木は現役時代こそ大投手として称えられたが、近鉄監督としては失敗し、野茂英雄との確執でも悪名が高まった。

2006年秋、かつて読売ファンから近鉄ファンに転じたかつての級友と二十数年ぶりに会った時、彼は「僕にとってのプロ野球近鉄がなくなった(オリックスと合併した)時に終わった」と言っていた。近鉄ファンに転じたあとは近鉄ひと筋に応援していたようだ。その日は日本シリーズ第2戦が行なわれた日で、その試合は確か日本ハムが中日に勝ったはずだ。

今年の日本シリーズで中日が福岡ヤフードームソフトバンクに連勝した時、「敵地で連勝したチームが日本シリーズに負けたのは1980年と2000年の2度しかない」(今年の中日が3例目になった)ことには、マスコミが何も言わないうちから気づいていた。あのいまいましい2000年の日本シリーズとともに私が思い出していたのは1980年のシリーズのことで、特に4対3で負けた第3戦はもったいなかったなあ、広岡や古葉の発言には腹が立ったなあ、第7戦の鈴木啓示もふがいなかったなあ、などと思い出していたのだった。

また一つ、巨星が堕ちた。故人のご冥福を心よりお祈り申し上げる。

*1:近鉄仰木監督時代の3度目の日本シリーズでは読売を相手に○○○●●●●だった。藤井寺近鉄が連勝した時、過去2度の日本シリーズと同じだが、とアナウンサーに聞かれた西本が、仰木はその時のことをよく知っているから、決して油断したりなどしないだろうと言った。そして西本の時の2度とは違って第3戦にも勝ったのだが、それでも近鉄日本シリーズに優勝できなかった。加藤哲郎の暴言がよく言われるが、同様の発言をして勝った例もあれば、1986年に広島が西武を相手に△○○○●●●●で負けたシリーズの第4戦終了後の津田恒美のように、加藤哲郎そっくりの発言をして次の試合から4連敗したのに、すっかり忘れ去られている例もある。1989年は勝ったのが読売だったからマスコミが読売の「リベンジ物語」に仕立て上げてしまっただけだ。