kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

植草一秀センセとトンデモ(4)兼 植草一秀と安倍晋三(1) 『脳内革命』の信奉者だった植草センセ

植草一秀センセとトンデモ」については、12月6日に書いた第3回*1の、「植草一秀安倍晋三」については、12月7日に書いた序章*2のそれぞれ続き。不愉快な記事なので気が乗らないのだが、私が植草一秀氏に対して抱く疑念を明らかにするためにも、書かないわけにはいかない。

上記以前に書いたエントリ*3で、私は「植草一秀氏は『安倍晋三氏を囲む5人の会』のメンバーだったのではないか?」と書いた。この疑問を否定する材料は誰からも提示されていない。

上記エントリでも紹介した植草一秀氏の著書『知られざる真実 −勾留地にて−』から、もう一度引用する。今回は、その前後の部分も紹介する。

 「非科学的」なことに拒絶反応を示す人は多い。「非科学的」な考え方を強要するつもりはない。私は科学で説明できないことが多く存在すると思う。動物行動学者の日高敏隆氏は『人間はどこまで動物か』(新潮文庫)に「科学とは主観を客観に仕立て上げる手続き」と述べる。また、「科学とは部族の神話と真実との区別がつかぬようにする自己欺瞞の体系」と主張するアメリカの論文を紹介する。「科学」の貢献は大きい。だが、科学が万能とは思わない。「陰陽五行」への関心はこの基本観から生まれた。

 二人の恩師が影響した。二人とも一回り上の子年生まれで、東洋の運命学の大家だった。98年の秋以来、女性の恩師に多くの指導を受けた。テレビ番組のキャスターに頼まれて恩師を紹介した。そのキャスターは多くの相談をしたようだ。テレビなどで知られた人たちも多数恩師を訪ねた。ジャニーズ事務所人気グループのメンバーともよく会い、私も親しくした。恩師に学ぶことは多く、家族ぐるみの付き合いをした。

 男性の恩師から東洋の思想を学んだ。安倍晋三現首相が官房副長官だった時に恩師が提案して安倍氏を囲む5人の食事会が発足してほぼ毎月集まった。安倍氏の首相就任に備える勉強会だった。恩師は世の中で最も早くに安倍氏の首相就任を予言した。

 2004年の事件の際も今回も、私の性的嗜好が興味本位に取り沙汰された。検察は私のイメージ低下につながる情報を意図的に流した。スポーツ紙などのメディアが検察当局と連携するかのように興味本位にプライバシーを書き立てた。そのスポーツ紙をテレビ番組が引用して報道する。著しい人権侵害が放置されている。

 人生の指南を受けていた、生きるパワーを維持するため性エネルギーをしっかり燃焼させるようにアドバイスを受けた。恩師のアドバイスに従った。健康維持にも努めた。『脳内革命』や斎藤茂太氏などの著書を読んで、性エネルギーの燃焼が健康維持に大切であることを知り参考にした。

 性エネルギーの燃焼自体を私は悪いことだと思わない。人はそれぞれに性的嗜好を持つと思うが、人を傷つけたり迷惑をかけたりしなければ、嗜好は個人の自由に属することがらだ。私の嗜好も特に変わったものでない。性エネルギーを燃焼させる際にある程度の工夫をすることは多くの人が実践していることだと思う。常に相手の了解を得て行動したし、人に迷惑をかけたり傷つけたりしていない。メディアは面白おかしく書き立てるが、私も普通の男性が持つ性的関心や好奇心を一般的レベルで持っているにすぎない。メディアは断片的な情報を針小棒大に取り扱うが、俗悪趣味のメディアの品性こそ疑われるべきと思う。

植草一秀 『知られざる真実 −勾留地にて−』 (イプシロン出版企画、2007年)167-168頁)

ここに書かれた文章に関する限り、私は植草氏の性的嗜好についてどうこう言うつもりはない。だが、植草氏が「陰陽五行」を自然科学と同列かそれ以上とみなしたり、「トンデモ本」の代名詞としてあまりにも悪名高い春山茂雄の『脳内革命』を真に受けている人物だということは指摘しておかなければならない。他に植草センセが陰陽、いや引用している日高敏隆氏は、先月亡くなった「動物行動学権威の京都大学名誉教授」だが、調べてみたら、過去にはルイセンコ学説の支持者だった八杉龍一と共著を出していたり(但し、その後ルイセンコ学説を否定する側に回ったらしい*4)、自身の弟子で、やはりトンデモの呼び声のある竹内久美子とやはり共著を出していたりするなど、かなりボーダーに近い人物だったのではないかと疑われる。それにしても、「科学とは部族の神話と真実との区別がつかぬようにする自己欺瞞の体系」とは、どのような文脈で書かれた文章だったのだろう。いくらなんでも、植草センセが書いた文脈に沿った主張ではなかったはずだと私は推測する。

たとえ性的嗜好が正常だろうが、植草センセの科学観は「トンデモ」以外の何物でもないとしか私には思えない。そして、このような人物の書く言説を真に受けるわけにはいかないと思うのである。