kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

植草一秀センセとトンデモ(3) 最低賃金引き上げとリフレとデフレと新自由主義編

最近、ネット言論で「最低賃金を引き上げ、これに対応できない企業は市場から退出させよ」という主張がしばしばなされるが、激しいバッシングを浴びるのが常だ。一方、勝間和代菅直人に進言したリフレには賛否両論だ。

これらは両方ともインフレを招く施策であり、少なくとも現在の民主党政権、特に藤井裕久財務相鳩山由紀夫首相が目指している、論外の財政再建優先のデフレ政策とは違い、模索する方向性は間違っていないと思う。

通常のインフレでは、物価に遅れて金利が上昇するため、実質的に賃金が目減りするが、最低賃金の引き上げ施策は、まず企業に泣いてもらって労働者の懐を暖める政策であり、遅れて物価が上昇するため、より労働者にとって得なはずだ。それがなぜ激しい反発を招くのかというと、勤務先の企業が潰れてしまえば元も子もないという不安からだろう。だが、そうした不良企業の存在が日本経済の拡大を妨げているのだから、企業に先に泣いてもらうのは、決して間違った政策ではないはずだ。勝間和代氏の主張するリフレ政策では、実質的な賃金の目減りが生じる。逆に言うと、よりドラスティックな政策であり、デフレ脱却に有効なのは、最低賃金の引き上げであるように私には思われる。それに耐えられない不良企業には市場から退出してもらえば良いのである。これは決して新自由主義の主張ではない。起業家というのはもともとリスクテイカーであり、それが資本主義の基本のはずである。ところが、不良企業を守るあまり、大多数の国民を苦しめてきたのがこれまでの政治だった。こんなところにも、新自由主義と市場(原理)主義が別物であることがわかる。新自由主義とは、デヴィッド・ハーヴェイの言う通り、「格差を拡大し、階級を固定化するためのプロジェクト」であり、その目的のためには市場原理に反することでも平気で実行するのである。最近、このハーヴェイの仮説は正しいという確信がますます強まってきた。

ところで、植草一秀センセは、その名著『知られざる真実 −勾留地にて−』(イプシロン出版企画、2007年)に、次のように書いている。

 インフレが生じると債務者が得して、預金者が損する。給料が50万円の時の500万円の借金と預金を考えてみよう。物価が10倍になれば給料は500万円になる。500万円の借金と預金はひと月分の給料と同じになる。インフレは債務者には利益を、預金者に損失を与える。日本の借金王は日本政府だ。政府はインフレを熱望する。

 福井総裁(注:福井俊彦日銀総裁)の村上ファンド出資問題を考える際に、こうした背景を考えねばならない。流布される情報は操作されている可能性がある。巨大な「謀りごと」が隠されているかもしれない。表面に見えない実相を知らねばならない。

植草一秀 『知られざる真実 −勾留地にて−』(イプシロン出版、2007年) 38-39頁)

ここで植草センセは、現在問題視されているデフレへの警戒ではなく、インフレへの警戒を強調しており、インフレ・ファイターであるとセンセが認定する福井俊彦村上ファンドに出資したとして問題視された2006年当時の報道について、巨大な陰謀の存在に注意を喚起している。植草センセの教えに従って考察すると、当時、「村上ファン怒」という表記で村上世彰をおちょくっていた『きっこの日記』も、悪徳ペンタゴンによって操作されていたに違いないという結論が導かれる。

当然ながら、こういう論法をとる植草センセは、勝間和代氏の唱えるリフレ政策にも反対だろうと推測される。ここに植草センセの理論は、もう一人の経済学の巨頭、池田信夫センセの教えとも共鳴することになる。

ところで、日本の借金王である日本政府がインフレを熱望しているのであれば、植草センセの名著が批判の主なターゲットにしている小泉政権や、なぜか植草センセがほとんど批判していない安倍政権なども、インフレを目指す政策を採ったはずだが、実際にはその逆のデフレ政策を採った。つまり、新自由主義は「市場原理主義」というよりは「格差を拡大し、階級を固定化するためのプロジェクト」であるとするハーヴェイの仮説の方が、わが国が誇る経済学の両巨頭、植草一秀センセと池田信夫センセの教えよりも説得力があるような気もしなくはないが、そんなことを想像するのは「悪徳ペンタゴン」の工作員にして、「隠れ自民党」または「隠れ共産党」、さもなくば「隠れ解同」であり、民主党政権の世の中になった現在、「パージ」されてしかるべき異教徒であるに違いない。