kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ

沖縄返還交渉をめぐり、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で交わされた核密約文書が、なんと佐藤栄作の遺族によって保管されていた。読売新聞のスクープだ。以下引用する。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00775.htm(注:リンク切れ)

核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認

 沖縄返還交渉を巡り、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で交わされたとされる有事の際の核持ち込みに関する「密約」文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。

 密約の存在を裏付ける決定的な証拠が発見されたことになる。

 外務省はこれまで文書の存在を否定してきた。日米間の密約の存否の検証を行っている外務省の有識者委員会の判断にも大きな影響を与えるのは必至だ。

 佐藤家で発見されたのは、ワシントンで行われた日米首脳会談で極秘に交わされた「合意議事録」の実物。読売新聞社が入手した「合意議事録」の写し(英文2枚)は、1969年11月19日付で、上下に「トップ・シークレット(極秘)」とある。文末には佐藤、ニクソン両首脳の署名がある。

 文書では、米側が「日本を含む極東諸国防衛のため、重大な緊急事態が生じた際は、日本と事前協議を行ったうえで、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする。米国政府は好意的回答を期待する」とし、有事の際の沖縄への核持ち込みを両首脳が合意したことが記録されている。日本側は「そうした事前協議があれば、遅滞なくその要求に応える」と明記されている。また、「米国政府は重大な緊急事態に備え、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち嘉手納、那覇辺野古、及びナイキ・ハーキュリーズ基地をいつでも使用できる状態に維持しておく必要がある」と記している。

 文書は2通作成され、1通は日本の首相官邸、もう1通は米国のホワイトハウスで保管するとしてある。佐藤氏は首相退陣後、自宅の書斎に私蔵していた。

 佐藤氏が75年に死去した際、東京・代沢の自宅にあった遺品を遺族が整理していたところ、書斎机の引き出しから見つかった。

 机は首相在任時、首相公邸に置かれ、退任後は、自宅に持ち運ばれた。関係者によると、元首相は生前、文書の存在について寛子夫人(故人)も含めて家族に漏らしたことはなかった。佐藤元首相の二男の佐藤信二通産相は「(元首相は)外遊の際はアタッシェケースに書類を入れて持ち歩いていた。69年の訪米の際も、帰国してその文書をアタッシェケースから書斎机に移したのだと思う」と証言する。

 密約の存在は、返還交渉で密使を務めたとされる若泉敬京都産業大教授(故人)が1994年に著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)で暴露した。

(2009年12月22日16時01分 読売新聞)

例によって、きまぐれな日々 佐藤栄作のノーベル平和賞を剥奪せよ にも若干のアクセスがきていた。手前味噌だが、全文引用する。

7日付(注:2007年10月)の読売新聞が、1969年11月に佐藤栄作首相(当時)とニクソン米大統領(同)が交わした、沖縄に核兵器を持ち込むことについて定めた密約を示す公文書(キッシンジャー元米国務長官の覚書)の存在が明らかになったと報じた。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071007it01.htm (注:リンク切れ)

この密約は、記事にもあるように、京都産業大学の故若泉敬教授が、著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋、1994年)の中で指摘したために知られていたことだが、これまでも政府はその存在を否定していた。

呆れたことに、動かぬ証拠の存在が報じられたというのに、町村信孝官房長官福田康夫首相も、この密約を認めないつもりだ。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071010k0000m010077000c.html (注:リンク切れ)

この毎日新聞の記事によると、9日、町村官房長官は「従来、日本政府はそうした密約はないと言っている」、福田首相は「今まで何度も言われてきたことだが、わが国としてそれ(密約)を認めているということではない」といそれぞれ発言した。

これは、誰が読んでも「本当はそういう密約があったんだけど、政府はそれを認めないことにしてるんだよ、わかってるでしょ、皆さん」というニュアンスの発言だ。要は、見え透いた嘘をついているということである。

実際には核兵器持ち込みの密約があったばかりか、核兵器が持ち込まれていて、「非核三原則」(「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」)はそもそもの最初から守られていなかったことは火を見るより明らかだ。

そこで思い出されるのが、1974年に佐藤栄作ノーベル平和賞を受賞したことだ。アメリカのベトナムへの「北爆」を支持していたこの男がノーベル平和賞を受けたことに対し、当時から批判が強かったが、受賞理由に確か「非核三原則」が挙げられていたと思う。

それが有名無実であったことが明らかになった以上、ノーベル賞委員会は佐藤のノーベル平和賞を剥奪すべきだと思う。

なお今回は、キッシンジャー元米国務長官の覚書が明るみに出たものだが、このキッシンジャーも佐藤の前年、1973年にノーベル平和賞を受賞している。佐藤が「北爆」の支持者なら、キッシンジャーは「北爆」を行った責任者であり、ともにノーベル平和賞どころか国際戦争犯罪人として裁かれる方が適当な人物というべきだろう。このようにバイアスのかかったノーベル平和賞なるイカサマの賞自体を廃止するのがもっとも良いと当ブログでは考えている。

蛇足ながら、佐藤栄作岸信介実弟であり、岸の孫・安倍晋三ともども、とんでもない腐敗一族だというほかない。

(『きまぐれな日々』 2007年10月10日付エントリ)

佐藤栄作の遺族は、速やかに故人のノーベル平和賞を返上すべきだろう。