kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

政治改革の成否と石川真澄の言いたかったこと

なにか、石川真澄の著書を紹介するエントリについた一連のはてブコメントを見ていると、論点がどんどんそれていっているようなので、ここで、90年代の世論やマスコミの論調から弾き出された石川真澄の主張を整理しておく。

1990年代に政治改革の議論があり、その論点の中心が選挙制度の改変だったことを覚えておられる方は多いだろう。小選挙区制の導入は、それまでにも鳩山一郎田中角栄によって試みられたが、野党、マスコミ、それに世論の反発を受けて一度も実現しなかった。マスコミの中でも特に強硬に反対したのが朝日新聞だった。

その朝日新聞石川真澄記者は、社会党マルクス・レーニン主義路線に強硬に反対し、1989年の冷戦終結直前に「資本主義と社会主義の競争には勝負あった」と発言したジャーナリストだったから、左翼とはいえないだろう。その石川記者は1990年代の選挙制度改変(小選挙区制の導入)に強く反対した。

ところが、1989年の参院選と1990年の衆院選に勝利した社会党は、小選挙区制の導入を阻止できず、それどころか最後には協力してしまったのである。朝日新聞でも、早野透だとか現在テレビで活躍している星浩などの、政治改革(小選挙区制)を支持する記者が社論をリードするようになった。

こういうのを、「結果を出せなかった」というのである。「55年体制」の時代の社会党は、それなりに結果を出していた。自民党政府は、アメリカと交渉するのに、社会党の反対を盾にとった。アメリカの主張を日本政府がのんでしまうと、国内で社会党の勢力が伸びて、政権交代が起きてしまいますよというわけである。

しかし、小選挙区制の導入後、野党の主張が政策に反映されなくなった。その最悪の例が、2007年に参院選自民党が大敗する前の小泉政権と安倍政権の時代であり、自民党政権は好き勝手に新自由主義新保守主義の政策を行った。さすがにその反動が起きて、2007年の参院選と2009年の衆院選民主党が勝利して政権交代が起きた。もちろん民主党政府の政策にも新自由主義色が強いが、国民新党社民党が政権に参加して民主党と綱引きをやっているし、野党・共産党も政権に対して是々非々の姿勢をとっている。これが「翼賛体制」にならないように監視しなければならないのは当然だが、少なくとも2001〜07年の最悪の時代と比較するとずいぶん光が見えるようになったとはいえるだろう。

だが、本当は中曽根康弘が総理大臣に就任する前に、社会党が政権を担えるような政党にならなければならなかった。それが故石川真澄記者が言いたかったことだと私は思う。石川氏が書いたように、社会党の議員たちが社会主義マルクス・レーニン主義)の実現など不可能だと考えていたのなら、政権を担っていた保守本流が修正資本主義の政策を掲げたように、社会党社民主義の政策を掲げなければならなかった。よく、二大政党制においては、二つの政党の政策はともに中道に寄ると言われるが、日本では社会党が中道に寄らずに逆に左に寄り、その結果政権交代は起きなかったし、それどころか社会党の弱点を新保守主義者である中曽根康弘に突かれて、日本の政治が保守側に大きく傾く結果を招いた。もし社会党社民主義路線に早くから転換して、中曽根のような新保守主義者の台頭に対しては社民主義保守本流(修正資本主義)が手を組んで対抗していれば、社会党の衰退はなかったし、新保守主義の政策がやすやすと実施されることはなかったのではないか。これが石川真澄の主張である。二大政党制が良いとは私は必ずしも思わないが、社会党左傾化が逆に日本の政治の右傾化を招いたという石川真澄の主張(と私は解釈する)は決して間違っていないと思う。

1995年に自社さ連立政権が成立すると、今度は社会党は一気にそれまでの路線を次々に転換した。このことは、従来の路線自体が、社会党議員たち自身の信念や思想信条に基づくものでなかったことを示す。社会党が路線を転換すると、当然ながらこれが従来の支持者の失望を招いて社会党の支持率が低下し、その受け皿となった共産党への支持が一時拡大したが、結局共産党も党勢を伸ばし切れなかった。そして、今やもう民主党がその気になれば憲法改正だってできるところにまで来てしまっている。いくら、共産党の主張を支持する人たちが一定数いたって、改憲が実現してしまえば、それは「結果を出せなかった」ことになる。今となっては、2007年の参院選や2009年の衆院選、さらには来年の参院選で当選するであろう民主党の若手議員(大新聞のアンケートに対する回答を見る限り、彼らにはリベラル派が多いし、世論の動きに敏感であるという特徴がある)を動かすしか手段のないところにまで来ているのだ。

私は今夏の衆院選では、選挙区では民主党候補、比例区では共産党に投票した。民主党に対しても共産党に対しても、評価すべきは評価し、批判すべきは批判するのは私にとっては当然の行動だ。そして一つだけいえるのは、イデオロギーへの強いこだわりは、「経世済民」を実現するためには決してプラスにはならないということだ。小選挙区制導入反対を最後まで貫いたのは、左翼イデオロギーへのこだわりの強かった社会党ではなく、マルクス・レーニン主義の放棄を社会党に迫った石川真澄だったことがそれを証明している。