kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

河村たかしが好む「民のかまど」の昔話は名古屋市には当てはまらない

小沢一郎の言う「民のかまど」は単なる「小さな政府」論では? - kojitakenの日記 の続き。


「民のかまど」の話は、『小沢一郎ウェブサイト』にも出ていた。2007年9月23日付。
http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2007/ar20071023094628.html


リンク先の文章は、小沢一郎が主張した、ISAFへの自衛隊参加論に対して、川端清隆・国連本部政治局政務官から受けた批判への返答だが、文章の最後に「民のかまど」のたとえ話が出てくる。小沢一郎がよほど好んでいる話のようだ。


そして、名古屋市長の河村たかしも同じたとえ話を好んでいるらしいことがわかった。河村の著書から引用したブログ*1から孫引きする。

 今から1500年ほど前のこと。ある日、仁徳天皇が高殿という見晴台にのぼって庶民の生活の様子を眺めていたら、どこの家からも炊事の煙が昇っておらず、ひっそりとしていることに気が付いたという。これは民たちが、食事も満足にできないほど貧窮していると察した仁徳天皇は、3年間にわたって兵役を除すことにし、税もとらないことにした
 3年後。民の生活は豊かになり、どの家からも煙が立ち昇る様を見た天皇は「民のかまどは賑わいにけり」と喜んだのだが、代わりに税収のなくなった天皇の家はガタガタになっていた。雨漏りで服がびしょびしょになるほどで、「中から星が見えた」と記録には書いてある。
 皇后が「もう税をとってもいいのではないでしょうか。私たちもこんなにつましい生活をしているのですから」と言ったそうだが、天皇はまだ税をとろうとしなかった。察するに「民の悦びは我が悦びとする」とでもお考えだったのだろう。
 そんな状態がまた3年間続き、そのうちに本当にボロボロになった仁徳天皇の家を見て、民の方から「どうか税をとってください」という声もあがりはじめた。天皇はそれでもずっと辛抱を続け、最後は民衆が建築資材をもって集まったとまで書いてある。そういう声に押されてようやく、「では税をいただいて直しましょう」となったということだ。


昨日書いた小沢一郎批判が、そのまま河村たかしにもあてはまるので、そのままコピペする(一部改変した)。昨日のエントリを読まれた方は、ほぼ同文なので、以下の文章をご覧になる必要はないと思う。

このたとえ話は、現在の日本(または名古屋市)には当てはまらないだろう。

現在の日本(または名古屋市)は、大きな家からは盛大に煙が上がっているのに、小さな家からは全然煙が上がらず、大きな家はますます大きくなり、小さな家が増えるとともに、小さな家にも住めなくなった人が続出している状態だ。

そんな時に、天皇が「税もとらないことにした」ら、いったいどうなるのか。

それまで、天皇は大きな家に住む大金持ちからはより多くの租税を、小さな家に住む人々からはより少ない租税を課し、それを民に再分配して、大きな家が大きくなりすぎないように、小さな家のかまどからは煙が出るように、また、家に住めなくなる人が出てこないようにしていた。

それなのに、天皇が租税を免除したら、大きな家に住む大金持ちは税金を取られずに済んで万歳三唱し、ますます家は大きくなり、かまどからは盛大に煙が出るだろう。そして、小さな家に住む人たちは、租税の免除とひきかえに、病気になった時にかかるお金や、子供に教育を受けさせるためのお金の負担が重くなり、結局かまどから煙が出ない家がますます増える一方になり、中には金持ちの奴隷になる人たちも出てくるかもしれない。

つまり、天皇が租税を免除したら、ますますかまどで煮炊きできない民は増えてしまうのである。


河村たかしのたとえ話は、単なる「小さな政府」論に過ぎない。

名古屋市民の皆様は、河村市長に騙されてはならないと思う。