kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

白川勝彦氏も小沢一郎と「小沢信者」に違和感を表明

昨年1月のブログアクセス記録を見ると、妙にアクセス数が多かったのだが、思い出してみると石川知裕代議士逮捕に始まる「小沢政局」だった。それから1年、また「小沢政局」になっている。

昨年1月、私は石川知裕及び小沢一郎寄りの論陣を張っていた。当時、「小沢信者」と揶揄されたことさえある。しかし現在は、その「小沢信者」という表現で狂信者を揶揄・批判する立場に立っている。

菅直人小沢一郎の抗争など、菅・小沢双方とも肩入れする気が起きない。小沢一郎の場合、昨年6月の民主党代表選で新自由主義者樽床伸二を担いだことで、完全に心が離れた。菅直人の場合は、総理大臣就任後の無策と失政に呆れていたが、100%見放したのは昨年12月にたちあがれ日本と組もうとした時だ。それまでは菅内閣は単に「不支持」だったが、これ以降「倒閣」へと私はスタンスを変えた。

小沢一郎菅直人の両人とも、与謝野馨と親和性のある政治家だから、馬脚を現しただけともいえるのだが、年末政局以来、「もうトロイカの時代ではない」という確信を強めた。ちなみに鳩山由紀夫を私が見捨てたのは古く、2002年9月の民主党代表選後に論功行賞の党人事を行ったり、独断で自由党との合流話を推進したりして民主党の党勢をどん底まで落とした時以来、鳩山由紀夫など全く信用していない。この時は、代表選からわずか3か月で鳩山は辞任し、2002年12月に再度代表選が行われ、菅直人岡田克也を破った。当時の民主党は、コイズミカイカクでは手ぬるいと批判する、自民党より過激な新自由主義政党であり、その点では小沢一郎自由党も同様だった。つまり、トロイカの3人は当時揃って新自由主義のスタンスを取っていたわけだが、安全保障政策面で、もっとも強硬な軍事タカ派改憲論者である鳩山由紀夫を私は特に嫌っていた。それに、小泉にすり寄る傾向がもっとも顕著だったのも鳩山由紀夫だった。

現在の政局に話を戻すと、菅対小沢の抗争の話題がマスコミやネットに出るたびに「またか、やめてくれ、もう満腹だよ」としか思わない。それは、政権交代前に西松事件小沢一郎を擁護していた、鳩山由紀夫支持者の元衆院議員・白川勝彦氏も同じらしい。


http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1323


以下引用する。

今回の「小沢問題」

10年12月21日

No.1451


また「小沢問題」が、政局の中心になってきた。いよいよ衆議院解散・総選挙を目前にした約2年ちょっと前の小沢問題では、私は小沢氏を断固として擁護した。それは「検察を使って政敵を抹殺しようとする自公"合体"政権の卑劣な行為」であったからだ。しかし、民主党はその本質を理論立て、闘い切れなかった。そして、小沢氏は辞任せざるを得なかった。

今回の小沢問題は、これと同じなのだろうか。自公"合体"政権は、既になくなった。小沢氏は、政権の実力者である。民主党政権が抱えている問題である。民主党は、こういう問題をどのように解決するのか、その政権能力が問われているのだ。小沢氏は、この問題を解決しなければならない当事者の一人である筈だ。ところが、小沢氏はこの問題を政局の中心にしている。
裁判で審理される問題であるから、裁判でハッキリさせたいと言っているのだ。小沢氏は人権の問題だと言いたいのかもしれない。少なくとも、小沢信者たちはそういっている。基本的人権に関する問題だと言いたいのかもしれない。政権の実力者が「基本的人権を守って欲しい」とは、何とも奇怪な話である。小沢氏の基本的人権を抑圧している権力とは、いったい“如何なる権力”なのだ。政権を掌握したのだから、そのことは明らかにして欲しい。

小沢氏は、ときどき問題の本質を捻じ曲げる。昨年の予算編成の時、道路特定財源の存続を「多くの国民が要望している」といって、官邸にのり込んでこれを存続させただけでなく、もっとひどい制度を作った。私は唖然とした。民主党が国民の期待を裏切った、最初で最大の背信行為だ。民主党政権の凋落は、この時から始まったのだ。この時、小沢氏の背信行為に断固として闘う民主党議員は、ほとんどいなかった。

今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。


赤字ボールドは引用者によるが、まさにこの部分が、今回の「小沢政局」で私が小沢一郎に感じる違和感の最たるものである。

菅直人仙谷由人朝日新聞星浩)が、「小沢切り」さえやれば政権の人気が浮揚し、内閣支持率が回復すると当て込んでいるのも噴飯ものだが、小沢一郎小沢一郎で、自らの問題を権力闘争に利用している。つまり、互いの陣営が同じ材料を自らに有利な「政争の具」としようとしているようにしか、私には見えないのである。これでは、「政争の具」ならぬ「政争の愚」である。白川勝彦氏が「小沢信者」という表現を用いていることも衝撃的だった。私よりよほど小沢一郎寄りだと思っていた白川氏の目にさえ、今の小沢一郎や小沢信者は異様に映っているということだろう。

とにかく、現在のようなことをしているから、菅直人小沢一郎も国民から見放されるのである。「菅政権なんか『小沢切り』を断行したところで支持しないが、小沢一郎の『政治と金』はそれとは別に大きな問題だ」というのが民意である。

国民不在の抗争にうつつを抜かす民主党の諸君は、何を勘違いしているのか。猛省を求めたい。