kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

GDPが中国に抜かれたことより1人あたりのGDPが低いことの方が問題

日本のGDPが中国に抜かれたとマスコミは騒いでいるが、中国の人口を考えれば遅かれ早かれ中国に抜かれるのも、中国がいずれアメリカを抜くのも、いずれも当然だろう。

問題は、日本の国民1人あたりのGDPが次々と先進各国に抜かれていることだ。

1993年には世界で2位だったのが、その後年々順位を下げたわけだが、1993年といえば細川連立内閣が発足した年だ。実質的に小沢一郎がコントロールしていたといわれるこの政権は、その前の宮沢政権とは異なり、新自由主義色の強い政権だった。以降、自社さ政権になってからの橋本龍太郎政権や2001年からの小泉政権など、日本経済を強烈に破壊した政権が次々と現れ、彼らの悪政が大きな原因となって日本の1人あたりGDPの順位はどんどん低下していった。国民1人あたりGDPの上位には、ノルウェーフィンランドスウェーデンといった北欧諸国が名を連ねていて、日本はその後塵を拝している。

北欧諸国は、実は厳しい競争社会である。国は、競争力の低下した産業には冷淡で、それどころか産業構造の転換のために政府支出を行っている。セーフティネットが手厚いので、競争力のなくなった業種で働いていて失職した労働者も、再チャレンジがしやすい*1

論壇の論調を見ていると、「みんなの党」シンパの経済学者などは、そこまでの「大きな政府」は必要なく、産業構造の転換は民間が(つまり私企業が)行うべきだという立場に立っているようだ。それに対し、北欧に範をとる論者の方が、政府支出によって産業構造の転換に積極的に対応すべきだという立場に立っているように見える。私は後者の立場に近い。ゾンビ企業の存続をいつまでも許すことは、それだけ労働者が低賃金にあえぐ状態が長く続くことを意味するから、そんなゾンビ企業は市場から退出させるべきだと考えているからだ。ところが、そんな意見をブログに書くと、「新自由主義と一緒だ」といって反発を食う。

昨年、それまで私のブログでお追従を言っていたあるコメンターが、このひとことによって私のブログから離れていった。私は「去る者は追わず」がモットーだから、離れていくこと自体はいっこうに構わないのだが、その人間はユダヤ陰謀論系小沢信者のブログで私を中傷するコメントを書き始めた。そのことをブログでつついてやると、以後そこにも現れなくなったが、どうせまた別の名前を名乗ってどこかでくだを巻いているに違いない。

ゾンビ企業は退出させてしまえなんて言ったって、俺の仕事がなくなったらどうしてくれるんだという気持ちは私にだって理解できなくはない。しかし、ブラック企業の存続ほど社会に有害なものはなかろうと私は言っているのである。新自由主義とは、「富める者をさらに富ませるためのプロジェクト」だから、為政者は「頑張った者が報われる社会」などと言いながら、ろくでもない業種ばかりを伸ばしたり、ゾンビ企業の延命に手を貸したりする。小泉政権時代に伸びた業種といえば、昔でいうサラ金だとか、グッドウィルフルキャストなどの人材派遣業だった。「頑張った者が報われる社会」どころか「食うために必死になっている者を食い物にする社会」だったのだ。こんな国が、国民1人あたりのGDPで北欧諸国に次々と抜かれていったのは、あまりにも当然だ。

だが、自民党の政治家や経済右翼のテレビコメンテーターらは、いまだに「頑張った者が報われる社会」を連呼し続けている。大阪の読売テレビが土曜朝に日本テレビ系で全国放送している辛坊治郎司会の極右番組はその代表格だ。

彼らには「恥を知れ」と言うだけだが、話を冒頭に戻すと、中国に抜かれたと騒ぐことのほか、必要以上に韓国を意識することもおかしい。韓国の労働市場は日本よりさらに悲惨で、非正規労働者の比率も日本よりはるかに高く、韓国人労働者の多くは格差と貧困に苦しんでいる。そんな中にあって、韓国のトップの企業は確かに競争力が高いが、トップ企業だけを見て韓国を語るのは、トヨタだけを見て日本を語ることと等しい。韓国の国民一人あたりのGDPは、日本よりずっと低いのである。

日本の工業技術は、まだまだ世界をリードする力を持っていると私は思う。それをいかに活かしていくかという発想で物事を考えるべきだろう。

*1:日本のように、「再チャレンジ」をキャッチフレーズにしていた競争力のない総理大臣が、参院選で惨敗しながら権力の座にしがみついたり、腹をこわしてやむなく総理大臣の座を降りながら、いまだに国会議員を辞めようともせず「再チャレンジ」の機をうかがうなどという不条理な国は珍しいのではないか。