kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「働かせ方改革」が日本経済の息の根を止める

昨日知った下記ブログ記事は、安倍政権が強引に成立させようとしている「働かせ方改革」法案の問題点の核心を突いていると思った。

Space of ishtarist: 働き方改革は、日本経済の息の根を止めるか?―ブラック企業合法化の末路―

働き方改革は、日本経済の息の根を止めるか?―ブラック企業合法化の末路?
ブラック企業が合法化される

5月31日の衆院本会議で、「働き方改革法案」が可決されました。安倍首相が本国会の目玉と位置づけるこの法案が通れば、労働基準法は骨抜きにされ、ブラック企業が合法化されることになります。

ブラック企業合法化」というと驚かれるかもしれません。しかし、働き方改革法案という名の労働基準法改正案の原文を読んでもらえれば理解できます。

第四十一条の二 賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)が設置された事業場において、当該委員会がその委員の五分の四以上の多数による議決により次に掲げる事項に関する決議をし、かつ、使用者が、厚生労働省令で定めるところにより当該決議を行政官庁に届け出た場合において、第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者(以下この項において「対象労働者」という。)であつて書面その他の厚生労働省令で定める方法によりその同意を得たものを当該事業場における第一号に掲げる業務に就かせたときは、この章で定める労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定は、対象労働者については適用しない


これは「高度プロフェッショナル制度」の条文です。この法案には、成果に応じた働き方などといった文言は一切ありません。一定の条件を満たす労働者を、労働基準法の保護から外すというのがその本質なのです。そう整理すると、「ブラック企業合法化法案」がもっとも的を射ていることがわかってもらえると思います。


この法案は当初、年収1075万円以上の人間にのみ適用されることになっています。しかし第一次安倍政権の頃から、財界の主張は年収400万円以上への適用拡大でした。そしてこの年収要件は省令によって―すなわち選挙によって選ばれた議員による国会審議を通すことなく―変更可能です。

財界の要求通り、高度プロフェッショナル制度の適用が拡大された将来の日本社会では、ブラック企業がいまよりもずっと蔓延することになるでしょう。

労働規制の弱体化に繋がる可能性が高い労働基準監督署の民間委託が今年8月から始まること。労働時間の短縮に繋がるかのようにデータを捏造し、その事実が発覚したのに働き方改革法案をなお押し通そうとする安倍政権の姿勢。それらを見る限り、政策としてブラック企業の合法化を狙っていることは疑いありません。100時間ぶっ続けで働かされるような会社でも違法性がなければ、訴える先がない。そんな「美しい時代」がひそかに幕を開けようとしているのです。

日本経済を殺すのは誰か

もちろん、労働者として権利どころか生命を脅かす危険なものであることは、これまでも十分に指摘されてきました。しかし、この制度によってどのようなマクロ経済的な効果があるのか、その議論はほとんどなされていません。

その背景には、労働生産性と経済成長が直結するという、日本人特有の固定観念があります。言い換えれば、働けば働くほど経済が発展すると、右から左まで信じ込んでしまっている。だから、「働き方改革」による生産性向上は必要であると、なんとなく思ってしまう。

逆にこのロジックに乗っかってしまったリベラル側の「知識人」は、これ以上の労働強化を拒否するために、「経済成長を諦めましょう」という主張をしてしまう。例えば藤田孝典は次のようにツイートしています。

これやると経済成長する、あれやると経済成長する、とかもううんざり。何やっても30年近く経済成長していないし、これから先も基本的には成長しないって。これ以上経済成長を求めれば、長時間労働でさらに人が死ぬよ。

しかし本当の因果関係は「日本人が働かされすぎだから、経済停滞してきた」。私が著書『人権の経済システムへ』で論証したように、過去二十年間の日本経済は、「過労デフレ」の時代だったのです。

年間30兆円近くサービス残業の被害総額、ブラック企業による不当なダンピング、非正規雇用の増加、官製ワーキングプアなどによって給与総額・労働分配率が抑えられ、結果、消費者にお金が回らない。そうすれば企業の売上も伸びようがなく、経済成長全体が抑えられる。お金を持っていない人にモノを売りつけることはできないのですから、考えてみればこれほど当たり前の話はありません。


そう整理すると、政府が今「働き方改革」の名の下でやろうとしていることが、どれほど日本経済にとって危険なことか、簡単に理解できます。安倍政権は、企業が法的に正当な賃金さえ払っていない現状を放置しながら、「商品が売れないデフレ経済状況は、労働者の働き方が非効率なせいに違いない」と考え、労働をいっそう強化し、不払い労働を合法化する法案を押し通そうとしているのです。労働者から消費に使うお金も時間も奪っておいて、それでこそ経済が成長すると政府は信じているのです。

働き方改革法案は、日本経済の滅びの道です。経済が死ねば、社会保障制度も教育制度も破綻します。こどもに満足な教育を与えることはおろか、育てることすらできない。日本国民の命と生活を犠牲にし、日本を滅ぼそうとしているのはいったい誰なのか。いま、私たちの生活と労働が苦しいのは誰の責任なのか。いまこそ現実に即して考えなおすべきときではないでしょうか。

(『Space of ishtarist』 2018年6月5日付記事)


「過労デフレ」とは言い得て妙だ。溜飲が下がるとはこのこと。私は経済学にはズブの素人なので、これまで「労働政策だって広義の経済政策だろうが」という奥歯に物の挟まったような言い方しかしてこなかったが、こういう記事に接したかったのだった。

安倍へ安倍へと草木も靡くこの時代には、「ゆるふわ左翼」を標榜し、「高プロ反対」を一応は装いながらも、なぜか高プロに言及する時に決まって金融緩和の必要性を力説して(時流に乗って)安倍政権を(間接的に)擁護し、結果的に「高プロ」に対する批判を弱めてしまうという馬鹿げた、かつ卑劣きわまりない言説を弄する「物理学者」(菊池誠のことだ)までいる。しかし、「高プロ」こそは金融緩和の効果を打ち消して余りある極悪立法なのだ。これは、四半世紀以上前から経団連など財界首脳がご執心の「労働者を搾取できる限り搾取する」労務管理を合法化する悪魔の法律だ。

記事にある「労働生産性と経済成長が直結するという、日本人特有の固定観念」や

このロジックに乗っかってしまったリベラル側の「知識人」は、これ以上の労働強化を拒否するために、「経済成長を諦めましょう」という主張をしてしまう。

ことについては、多くの日本人がリベラル派(括弧の有無を問わない)に至るまで骨の髄まで「サプライサイド経済学」とやらの刷り込みを受けてしまって、需要側には全く思いを致さなくなっているのではないかと思わずにはいられない。

そして、「リベラル」派の間には、何かと言えば金融緩和を目の敵にしたがる傾向が後を絶たない。
 
ここでは、東大経済学部卒のさとうしゅういち氏が書いた『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事を2件挙げておく。

橋本~小泉がデフレ下で構造改革(規制緩和)でデフレ悪化を招いた(備忘録) : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2018年6月3日)

構造改革(規制緩和)というのは供給側の改革で、やればやるほど物価は下がる。デフレ要素だ。

日本は1990年代後半のデフレ期に橋本龍太郎(故人)が構造改革(規制緩和)に突き進んだ。
同時に消費税増税で財政も引き締めたからデフレは悪化した。
橋本は参院選で惨敗し退陣したが、残念ながら構造改革新自由主義の問題点はさほど省みられなかった。
その後、小渕政権は財政は拡大したが主に大金持、大手企業の優遇で派遣法緩和も行った。総体として財政拡大のデフレ打ち消し効果が減殺した。そして、小泉政権
1990年代後半から2000年代前半にかけてすさまじいデフレが続いた。
少子化も加速した。
この時期に、保育や介護、あるいは高齢社会を見据えた交通や住宅などに投資をしていれば大分あとが楽だったろう。デフレもひどくはないし、暮らしの不安も大分軽減されていたと思う。
そもそも構造改革とは物価が暴騰するのと不景気が併存したイギリスで生れた論調で日本には当てはまらない。1990年代にはドイツがシュレーダーで政府支出を斬りまくったが、これもドイツの政府支出比率は日本よりはるかに多い状態であった。前提を無視した流行の真似も惨事の背景にあったと思う。

安倍晋三はちなみに金融緩和は悪くないが、「財政」は「お友だち(加計学園原発武器企業)優遇」で高プロ」など労働規制緩和路線なのが問題である。


「のびしろ」をむざむざ放棄する脱成長論には反対 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2018年6月6日)

脱成長については本社社主は主張していません。

今あるべきは、環境福祉型のケインズ主義とでもいうべき方向でしょう。
日本はアメリカさえよりも税による再分配は弱いから再分配の余地はあります。
再分配は経済にもプラスということはOECDも認めていますし、最近ではラガルド体制のIMFも認めています。

環境や介護などの技術面でも中国や韓国などアジアを含む諸外国に遅れをとりつつあり、逆に言えば日本にはまだ「のびしろ」はあります。
「のびしろ」を放棄するかのような脱成長論には反対です。