この件に関しては新選組構成員・さとうしゅういち氏の指摘が全面的に正しい。
簡潔にして要を得た良い文章なので短い記事を以下に全文引用する。
実は円の実質実効為替レート(日本円がどれくらい強いかの指標)は1995年を頂点に下がってきており現在は1970年代前半並みです。主な原因は日本だけ給料が上がらず世界は給料も物価も上がっているから。
20年ぶりどころか50年ぶりの歴史的円安です。
労働条件の引き上げ、くらし底上げの財政出動。そして、中長期の福祉・教育、エネルギー、食料への投資。こういう思いきった転換が必要ですね。
上記の指摘が正しく、立民が言っているらしい「岸田インフレ論」は誤りだ。上記記事の通り、至ってシンプルな話だと思う。
何度か書いたことがあるが、私はスワローズが連覇した1993年秋に2か月間アメリカに長期出張で滞在していたので、当時の実感と現在伝えられる状況とを比較して、本当に上記記事の通りだと思う。
1993年当時、アメリカのハンバーガーや、当地のスーパーで売られていたカリフォルニア米のあまりの安さに驚いたものだ。しかし、今では日本の物価の安さに惹かれて世界中から日本に観光客がやってくるという。
1995年といえば日経連が「新時代の日本的経営」を発表した年だ。何もあの提言ばかりのせいではないが、日本はあの頃に政策を決定的に誤り、「身を切る改革」とやらに熱狂した。小泉・竹中の悪夢の時代である。「コイズミカイカク」には社民党までもが賛同したため、当時ブログ主のさとう氏は共産党を応援したと記憶している。中でも恥さらしだったのは、当時の民主党代表・鳩山由紀夫であって、鳩山は国会で小泉に「抵抗勢力に対する共闘」を申し出るぶざまさだった。
弊ブログは一貫して、給料を払えない企業には市場から退場してもらうべきだというのが持論で、このことをしばしば記事に書いてもきた。ある時、その主旨の記事がさる常連コメンテーターを怒らせ、当該の人物は私を新自由主義者と認定し、故ヘンリー・オーツ(大津某, 2015年没)なる事実上のネオナチ人士が運営していた汚らしいユダヤ陰謀論ブログのコメント欄で私の悪口を書くに至った。現在も某(暴)犬に日々キャンキャン吼えかかられて鬱陶しいが、ブログにはこういう雑音がつきものだから仕方がない。
平河エリ氏が発信した下記の一連のツイートが言う通りではなかろうか。
零細企業が給料を上げることは現実的に非常に難しいため、最賃引き上げなど含めて給料の引き上げを狙うとしたら、必然的に零細企業の統廃合や新陳代謝は論理的に必須。
— 平河エリ / Eri Hirakawa 🌈 (@EriHirakawa) 2022年6月13日
私は昔から「産業は自由競争、個人に対しては手厚いセーフティネット」が持論。廃業しても生活が破綻しないことも必要。
「給料を上げる」と「零細企業を補助する」は論理的に両立不可能。
— 平河エリ / Eri Hirakawa 🌈 (@EriHirakawa) 2022年6月13日
給料を上げるための補助を出すなら、それはもはや、給料ではなく個人に対しての給付でしかない。
成長企業に対する「投資」や、地域社会に必要なビジネス(例えばバスなど)に対する「補助」は必要だけど、基本的にビジネスは自由競争を前提にするべき。
— 平河エリ / Eri Hirakawa 🌈 (@EriHirakawa) 2022年6月13日
儲からないなら畳みやすくする(個人保証を外すなど)ことが、むしろ給料の引き上げのためにも必要だと思います。
日本は、個人は保護しないのに法人は過剰に守る傾向にあるのでは。これは商工会が政治的影響力が強く、平成期以降の労働組合が弱いことと関連している。
— 平河エリ / Eri Hirakawa 🌈 (@EriHirakawa) 2022年6月13日
法人はやり直しがきくが個人の人生は立て直せない。逆であるべき。
2008年初めに『週刊東洋経済』が北欧特集を組んだことがあったが、当時北欧の社民主義が結構もてはやされた。その北欧諸国は、給料が払えなくなった企業には積極的に市場からの退出を促し、その代わりに個人に対するセーフティネットを手厚くする政策をとっていたと認識している。