kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

読売新聞は東京電力と原発を何が何でも守りたいらしい

東京電力原発事故に伴う損害賠償に関する政府案について、民主党内でも異論が出たらしいが、大新聞の論調も割れている。

12日付の毎日新聞社*1は、「責任追及が不十分だ」として政府の支援策を批判している。社説の終わりの部分を引用する。

 国民の理解を得るためには、まず東電への徹底した責任追及が必要だ。利益を求めて東電株などに投資していた株主らに相当の負担を求めることも必要だろう。さらに、役員報酬を含めた人件費の抑制、資産売却などリストラの徹底も不可欠である。政府は、東電の経営を監視するため、第三者委員会を設けるが、実効ある体制作りを求めたい。

 菅直人首相は「原発政策を国策として進めてきた政府にも大きな責任がある」と認めている。ところが、今回の支援策は、原発を抱えた民間会社としての東電存続を前提にすることで、全国10電力体制のあり方や原発政策の見直しには触れずに済む仕掛けにもなっている。

 そうした課題を先送りすることなく議論を重ね、原発震災後の電力政策を打ち出すことが、「政府の責任」といえるだろう。


朝日新聞も、11日付社説*2で「東電温存にこだわるな」と書き、12日付社説*3では「脱・原発依存に道筋を」と題して、下記のように書いている。

 ただ、立命館大学の大島堅一教授によると、70〜07年度に一般会計から出されたエネルギー対策費の97%が原子力関連につぎこまれてきた。こうした予算を新エネルギーへと振り向ければ、技術開発や普及支援、人材の確保などを進めることができるはずだ。

 電力会社が送電網を独占していることが、新規参入を難しくし、代替エネルギーの普及を阻害しているとも指摘されている。既存の電力体制を見直し、発電と送電の分離なども真剣に検討するべきだ。

 そして、新エネルギーや省エネ型の商品・サービスを提供する新しい産業や事業者の参入を奨励し、必要な規制緩和をはかる。政策が民間の自律的な成長へと連動していけば、成果は上がってくる。


ところが、読売新聞の社説*4は毎日や朝日とは全然違う。タイトルからして「東電が賄えぬ分は国が責任を」となっている上、こんなことを主張している。

 問題は、国の負担が極めて限られている点だ。

 原子力損害賠償法では、地震津波による事故について、国が発電所1か所あたり最大1200億円を補償することになっている。今回の賠償策では、国の負担は基本的にこれだけだ。

 政府は、国にも賠償の責任があると再三、強調してきた。ならば前面に立ち、さらなる負担に応じるべきではないか。

 賠償法には、「巨大な天災地変」が原因とされれば、国が全面的に負担するとの規定もある。

 農業や水産業への風評被害も含めると、賠償総額は兆単位に膨らむのは確実だ。この大半を東電と電力業界任せにするのでは、責任ある態度と言えまい。


同じ政府案への批判でも、毎日の批判と読売の批判ではベクトルの向きが正反対だ。読売は、東京電力原発を何が何でも守りたいらしい。

脱原発」を全国紙では真っ先に打ち出した毎日と、「脱原発」色を強めている朝日に対して、読売は「原発推進派」の面目躍如といえようか。「反原発」や「脱原発」なのに読売新聞をとっている人がおられたら、即刻購読をやめた方が良いし、最近のマスコミは原発を悪者にしていて気に食わないという方が万一おられたら、読売を購読すれば良いと思う。

ところで民主党内で政府案に対して出された批判は、テレビの報道を見る限り、読売的な視点から出されたものらしい。おそらく、電力総連出身か旧民社の議員あたりが言い出したものだろう。

そういえば、菅首相の突然の「浜岡原発停止要請」から明日でまる1週間になるが、いまだに小沢一郎のコメントが伝わってこない。小沢に「脱原発」を期待する小沢信者と、小沢に原発推進政策の継続を期待する電力総連や電機連合に身を引き裂かれて、コメントを出すに出せないのかもしれないが、早い話が小沢一郎とは肝心な局面では全く役に立たない政治家だということだ。