kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

朝日新聞が「脱原発」の社説特集を組んだまでは良かったが...

今朝(7/13)の朝日新聞は一面で論説主幹の「提言 原発ゼロ社会 いまこそ 政策の大転換を」と題した論説主幹・大軒由敬の論説を掲載し、14面と15面(東京本社発行最終版)では4本の大型社説を掲載している。

このスタイルは、同紙主筆若宮啓文が好むもので、2007年5月3日の憲法記念日には今回と同様に社説7本を一気に掲載した。

大軒由敬は、原発をゼロにするのは20〜30年後がメドだろうが、「20年後にゼロ」という目標を思い切って掲げてはどうか、と書く。国民世論の真ん中あたりに位置取りしたつもりなのだろう。

4本の社説は、「脱原発への道筋」には「高リスク炉から順次、廃炉へ」、「廃棄物の処理」には「核燃料サイクルは撤退」、「自然エネルギー政策」には「風・光・熱 大きく育てよう」、「新たな電力体制」には「分散型へ送電網の分離を」とのタイトルが付けられており、これらは今では普通に議論されていることだから、東電原発事故の前や事故直後にこれらの「社説特集」が組まれたならともかく、現時点では朝日が旗幟を鮮明にしたこと以外には特に言うことはない。「即時原発停止」でないから怪しからんなどと、小沢信者みたいなことを言うつもりはない*1

ただ、問題含みなのは15面の下の方にある「推進から抑制へ 原子力社説の変遷」という欄で、それによると、第2次大戦後20年ほど、原子力の民生利用に希望を託す見方が世界の大勢だった頃には推進論だったが、1979年のスリーマイル島原発事故や1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に「推進から抑制」へと転換したと主張している。

ここで朝日が「黒歴史」にしようとしているのは、"Yes, but" という標語で、70年代前半に活発になった原発批判論に水をかけ、石油危機を受けては広告料欲しさに東京電力原発の巨大広告を載せ、1976年には大熊由紀子・朝日新聞科学部記者(当時)の長期連載「核燃料」を掲載した事実だ。さらに、スリーマイル島原発事故の起きた1979年夏には、論説主幹の岸田純之助がリーダーとなって、原発立地自治体の支局の記者を集めて "Yes, but" の社論を徹底させる研修会を行った。

それらの厳然たる事実にほおかむりする朝日の記事は、まるで「新人議員時代から自然エネルギーに熱心だった」として、ベトナムなどに原発を売り込んでいたことについて多くを語ろうとしない菅直人みたいだ。

朝日がこの「社説特集」を今日掲載したのは、その菅直人が何やら記者会見をして、原発の依存度を段階的に下げていくというようなことをしゃべるらしい、その日に合わせたものなのだろうか。

「社説特集」で「脱原発」の姿勢を明確にするのは悪いとは言わないが、自らにとって都合の悪い部分を「黒歴史」にしてしまおうという姿勢では、朝日新聞はますます見放されていくばかりだろう。

*1:小沢信者というのは面白い人たちで、たとえば「きまぐれな日々」へのコメントで、「ブログ主はどのくらいのスパンで原発停止を考えているのか。仮に10年スパンでの原発停止を考えているなら、だからと言って、20年スパンで停止を言っている人たち(今朝の朝日社説特集などはその例)を排除するな」と書いてきた小沢信者がいた。それに対して、「私は10年スパンでの停止を考えているが、20年スパンでの停止を主張する人たちを排除するつもりはない」と返答したところ、他に「即時停止を求める」とコメントした人(非小沢信者)に対して、その小沢信者は「10年スパンで停止しろと言っているブログ主や社民・共産両党、それに飯田哲也氏らを批判しろ」と煽っていた。最初のコメントとでの自らの主張に反することを、平然と自分でやらかしたのだ。要するに、菅直人や社民・共産らを批判して、「左側」の支持を小沢一郎「だけ」に集めることだけが彼ら「小沢信者」(「小沢左派」)の目的であって、そこに至る理屈はすべてがあとづけなのだ。だから、左記のような自己矛盾を平然と犯す。そもそも小沢一郎は何年スパンで原発を減らすかどころか、「脱原発」そのものさえ明言していない。