kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

社民党の不信任案反対を無視し、共産党を批判するだけの小沢信者

内閣不信任案に対する小沢信者の反応を見ていて不思議なのは、社民党が不信任案に反対する方針であることを無視したり、やたらと共産党を批判する傾向が目立つことだ。

「右」寄りの小沢支持者(「小沢右派」)であれば、それも納得できる。「小沢右派」は、別に「脱原発」でもなんでもない。下記ブログ記事はその例だ。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20110515/1305395305


私が問題にしているのは、「小沢左派」だ。彼らは「反原発」または「脱原発」を掲げている。それなのに、元祖「反原発」政党である社民党の不信任案反対の方針を完全に無視する。日頃から小沢一郎を批判している共産党を彼らが目の敵にするのはともかく、社民党まで無視してどうするのだろう。震災前、日本で「反原発」ないし「脱原発」の政党は社民党共産党しかなかったし、両党の比較においてもより先進的だったのは社民党の方だ。その社民党が不信任案に反対するのは、菅政権には確かに問題が多いけれども、小沢一派を入れた「自自公政権」では、エネルギー政策はさらに悪くなると考えるからだろう。

実際、小沢信者は内閣不信任案が可決されて解散総選挙になり、自自公政権ができたところで、どういう閣僚の顔ぶれになるのか考えたことがあるのだろうか。川内博史経産相にでも就任して「脱原発」政策を推進するなどと考えているのだろうか。

そもそも川内博史が当選するかどうか自体が怪しい。川内は、2005年の「郵政総選挙」で自民党保岡興治に敗れ、比例で復活当選した。今度は、造反組の議員は民主党を除名されることも考えられるし、仮に党公認を受けた場合でも、比例名簿に記載されないか、記載されても順位が下の方になるだろう。内閣不信任案の可決は、事実上川内の失業を意味するのである。

少し前に、小沢信者の中でも狂信的な信者連中とは仲の悪い某有名ブログが、川内博史小沢一郎鳩山由紀夫らの不信任案賛成を阻止して「トロイカ」を復活させるべく動けと書いていたが、実際問題、川内が不信任案に賛成することは、自らの政治生命を絶つことにつながるし、そのことは当事者である川内自身が一番よく知っているはずだ。

一方、山岡賢次は違う。山岡は、政治に関する能力が全くないし、思想信条的にも右翼だ。もちろん、「脱原発」など全く頭にない。そしてこの男は、一昨年の「政権交代総選挙」のような異常な選挙でない限り選挙に当選できない国会議員だ。次の衆議院選挙では間違いなく議席を失う。だからこそ、「座して死を待つわけにはいかない」などという物騒な言葉を吐いて倒閣に死にもの狂いになるのだ。

山岡のような論外の議員は別にしても、上記のような情勢であるにもかかわらず川内が小沢や鳩山を止められないとすれば、それは「小鳩派」の実態が「小沢一郎の独裁」以外の何物でもないことを証明するものになる。

「小沢信者」の実態も同じで、たとえば植草一秀のような「指導者」が号令をかければ、それに一斉に唱和する。指導者が社民党のことなど何も言わなくなると、信者も何も言わなくなる。ある時、指導者が「憲法9条はやはり改正すべきだ」というと、信者も「9条改憲派」へと転向する。指導者が「安全な原発を推進すべきだ」というと、信者も「安全な原発推進論」を掲げるようになる。実際問題、現在でも信者の間で人気が特に高いのは、「安全な原発推進」論者である武田邦彦だ。


ここまで書いてきてあほらしくなった。いったい、小沢信者は何のために小沢一郎を信仰し、現在見られるような馬鹿げた文章を書いているのだろうか。

最近は、小沢信者の主流も変わってきた。植草一秀の存在感はもはや薄れ、Twitterでしきりに意見を発信する岩上安身や上杉隆らが中核的存在になっている。このうち上杉隆はあの「裏切りの人生」で知られる鳩山邦夫の秘書あがりの男だ。岩上安身はもう少し巧妙で、「脱原発」の流れにも食い込んで、単に「小沢信者」のようなエキセントリックな人たちのみならず、一般の人々を、「脱原発」の立場に立ったことなど一度もない小沢一郎の支持へと流れ込ませようとしている。

それだけ「小沢一郎」が商売になるということなのだろうし、小沢の「剛腕」伝説は、「小沢さんならなんとかしてくれそう」という幻想をかき立てるものなのだろう。化けの皮がはがれそうになると、誰かが出てきてそれを修復し、新たな伝説を作る。いい加減、こんな悪循環から脱しなくてはダメだ。