原発のことばかり書き続けて3か月以上。「人の噂も七十五日」の諺は私には通用せず、どんな人が過去に何を言っていたかは比較的よく覚えているほうだ。
それで思うのだが、「安全な原発推進派」はどこに行ってしまったのだろうか。たとえば武田邦彦。
http://takedanet.com/2011/03/post_9ba3.html
「安全な原子力推進派」は異端? 私のスタンス
「どうしたら被ばく量を減らせるか」という重要なときに基本的な話をするのは何となく気がひけますが、メールのご質問も多くありますので、原子力の推進と反対についてわたくしの考えを述べます。
原子力には推進派と反対派がいて、推進派の中でも、何が何でも推進という人と安全な原子力を推進したいという人と2種類があります。
反対派の方も、原子力は安全じゃないから反対と、人生観や思想的に絶対に反対という人たちがいます。
つまり、
1) 何が何でも推進
2) 安全な原子力なら推進
3) 原子力は不安全だから反対
4) 何が何でも反対
のグループがいるという訳です。
・・・・・・・・・
日本社会は少し過激になるところがあり、現在の原子力関係では、「何が何でも推進」と「何が何でも反対」の人達が力が強く、私が考える妥当な見方、つまり上の2と3は排斥されるのです。
わたくしは「安全な原子力なら推進」という考えです。つまり、これから原子力を推進していくためには、事故が起これば推進することができないというのがわたくしの考えです。
わたくしは原子力安全委員会専門部会で「地震で倒れるような原発をよくない」と主張したのですが、そのような考えは現在の原発の議論の中では「異端」なのです。
また、現在の原発の地震指針は、原発を守るようになっていますが、付近住民の被曝についても、付近住民を被曝からどのように守るかという点でも、汚染された状態の生活をどうするかということも全く考えられていません。
福島原発の受け入れに当たって、福島県は近くの住民に、逃げる手段を作ったり、子供のいる家庭に安定ヨウ素剤を配ったり、汚染されたときに農家がどのように生活するかということを考えてなかったと思います。
・・・
東電は原発をつくり、それを運転することが使命ですが、自治体は住民を守ることが使命です。従って自治体が「原発は安全だ」という東電の約束をそのまま受け取ること自体がおかしいのです
飛行機を例に取りますと、飛行機を飛ばすときには万全を期して墜落しないようにします。しかし、人間のすることですから墜落することもあります。
飛行機に乗ると、毎回、スチュアーデスが非常時に取るべき行動を乗客に説明します。その乗客はその飛行機が墜落したら命を失うかも知れないのですから、説明は大変にシビアです。それでも飛行機が落ちる事のことを考えて防御するというのが責任者のやるべきことなのです。
福島県の知事は東電に対して腹を立てているようです。もちろん、東電の失敗を責める必要はありますが、自分たちも住民の安全を守ることを考えていなかったということから出発しないと福島県の人は被害を大きくするのではないかと心配しています。
自治体の役割は、「そこに住む人たちの命を守る」ことです。命を守ることを東電に預けるのではなく、自分たちでパラシュートを用意する必要があったのです。
福島県とか福島市という自治体は何のために存在するのでしょうか。このような非常時でこそ、住民の命を守って欲しいものです。
これは全国の原発を持つ自治体にもいえることです。原発の安全性は国の方で保証するのですが(当てにならなくても自治体では判らない)、各自治体は原発が仮に事故を起こした時に、できる限り住民が守る計画をもっていなければならないとわたくしは考えています。
良く原発を受け入れる自治体が独自に「安全の検討」などをしていますが、それより「非常時の対策」を作るのが第一の役割と考えられます.
自治体は電力会社を信用してはいけないのです。それは電力会社が悪いのではなく、そのような役割を負っているのです。
・・・
わたくしにしてみれば、「安全な原発推進派」というのは「墜落しない飛行機は賛成」というのと同じですから、当たり前のように感じますが、それが異端になるという日本の状態を変えなければならないと思っています。
(平成23年3月25日 午後10時 執筆)
その後武田邦彦は「脱原発」に転向したと聞いたが、3月末にはまぎれもなく「原発推進派」だった。
あるいは、小沢一郎はトリウム原発を推進しようとしていたのだ、と平野貞夫が威張っていた話もあるのだが、もはや誰もこの話を蒸し返すことはなく、小沢信者にとっての「黒歴史」になりつつあるようだ。
まだ、掲示板などで原発に固執している人たちの方が正直で良い。
http://www3.rocketbbs.com/731/bbs.cgi?id=liberal7&mode=res&no=17783
理想というか夢想、そして現実 - 黒天使
再生可能エネルギーの利用を推進するのは結構だが、太陽や風力で原発を代替できるというのは幻想的というか非現実的ではないのかね。
再生可能エネルギーの限界というものを軽視、あるいは無視してるんじゃないのか。脱原発派はドイツを持ち上げるけど。
そのドイツでは「これまでの脱原発政策は失敗だった」という認識がかなり共有されているし。実際ドイツでは、太陽電池の製品はたくさん生産してきたけど、国内の太陽光発電量の実績値は全体的に見れば微々たるものなんだよね。冬の電力需要ピークにはほとんど使い物にならないし。
ドイツの風力にしても、風況の良い北部ではたくさん建設されてきたけど、そろそろ頭打ちかという見方が出てきているし。建設に対する反対も強くなってきているし。
北部以外ではそもそも風況ダメっぽいというか。低いエネルギー密度ゆえの低い効率性と経済性、天候気候に左右される不安定性、そして再生可能エネルギーといえども無縁とは限らない環境影響や住民の反対の可能性。
そういう現実の限界を直視しないのであれば、脱原発派も脱原発派としての「安全神話」みたいなものに幻惑されていることになるんじゃないのか。
原発に対して「安全神話」とか偉そうに言える立場じゃないと思うんだけど。そもそも再生可能エネルギーは、化石燃料の節約という位置付け(最近では温室効果ガスの排出削減という位置付けもある)で、その点は原発と同じ(ただし節約量・削減量では原発が上)だったはずなんだが。そっちは、もういいのかよ。忘却の彼方?
「脱原発します。再生可能エネルギーで。足りなかったら火力で。」
・・・ということになるんだろうが、それでいいのか?[No.17783] 2011/06/28(Tue) 18:27:28
長大なスレッドツリーになっているけれど、それでいいのだ。私は上記の意見には大反対だが、愚直に自らの意見を主張することが大事だ。
問題は、まず結論ありきで、結論に合わせて論理を組み立てる連中だ。小沢信者がそれに相当する。このエントリではうまくまとまらなかったので、稿を改めて小沢信者批判を行いたい。
[追記]
大事なことを書き忘れていた。自然エネルギー推進派が言っているのは、何も太陽光や風力に限った話ではなくて、むしろ麻生政権時代にFITを余剰の太陽光発電に限定したことへの批判から、事業目的の太陽光発電に加えて、他の自然エネルギーも買取の対象にする鳩山民主党のマニフェストが出てきて、それを菅内閣になって経産省が法案としてまとめたのが今回の買取法案なのである。つまり、これは基本的に鳩山民主党のマニフェストに沿った法案なのに、小沢信者がトンチンカンな批判をしているのはおかしいと主張するつもりだったのだ。なお、上記「黒天使」氏は小沢信者ではなく、小沢批判派の論者。