kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

共産党支持者と原発

はるか昔の80年代後半だったが、友人が共産党に入り、その友人から私に共産党入りの誘いを受けたことがある。私は断り、共産党には入らなかったので、共産党のことはよく知らない。

ただ、共産党支持者というと一枚岩という印象を持っていたのだが、それは錯覚だったことを東電原発事故に対する反応で思い知った。


事故後、共産党の吉井英勝議員が電源喪失による事故の危険性を指摘していたとして注目され、これに注意を喚起する共産党系ブログが多かったが、共産党支持系ブログの中には、東電原発事故をきっかけに大きく盛り上がっている「脱原発」の動きに冷淡ないし批判的なところもある。中には、事故後「脱原発」の姿勢を明確にした共産党に対し、「次の選挙での投票先をどうしようかと思っている」と、そこまで原発の継続にこだわっている人たちまでいる。


あるブログのコメント欄より。

「とにかく政権交代が必要」
「とにかく脱原発が必要」


「改革の痛みに耐えろ」
脱原発の痛みに耐えろ」


「欲しがりません勝つまでは」
「欲しがりません脱原発するまでは」


似たような感じになってますね。
ワンフレーズで思考回路停止。右へ倣え(いや、この場合は左なのか?)。

まったくです。
政権交代で熱狂した時と状況は良く似ていますね。ネット上の顔ぶれもしかり。唯一違うのは共産党がそれに加わってしまったことでしょうか。
政権交代熱狂に疑問を挟んだら「自民の補完勢力」になることなど、脱原発に疑問を挟んだら「原発推進派」になることと、まあ良く似ています。
一方では「菅が悪い、菅が悪い」とそればっかりで、政権交代などしてなけりゃ菅氏が首相になることもなかったわけですけどね。


後者のコメントは「小沢信者」を念頭に置いたものだろうが、こういう人たちには、今回の東電原発事故の影響とか、事故前から営々と続けられた被曝労働の問題とか、積みあがる一方の放射性廃棄物の問題とか、札ビラで過疎地の人たちのほっぺたをひっぱたき、地域内でのいがみ合いや痛ましい自殺その他を引き起こした電力会社や政府のやり方(「電源三法交付金」の問題を含む)などなど、もろもろの問題をどう評価するのか聞いてみたい。


一方で、以前から原発問題を地道に取り上げてきた共産党系ブログもある。玄海原発の次に問題になるのは四国電力伊方原発だと思うが、いま私は昨年に書かれた下記ブログ記事を読んでいるところだ。


SIMANTO114の田舎暮らし


これは、2002年に南海日日新聞社から出版された斉間満著『原発の来た町―原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』を紹介した連載記事だ。著者の斉間満氏は、高知新聞社が愛媛進出を企てて創刊した新愛媛新聞社の記者を経て、愛媛県八幡浜市伊方町を購読エリアとするローカル紙「南海日日新聞」の社主になったが、2006年10月17日に亡くなられたという。まだ半分くらいしか読んでいないが、元伊方町長・井田與之平氏(1890-1990)の妻、井田キクノさんの自殺*1は、鎌田慧著『原発列島を行く』(集英社新書、2001年)に書かれているよりももっと深刻で、ほとんど四国電力による殺人みたいなものではないかと思ったほどだ。


こんな本を地道に紹介してきた共産党系ブロガーもいる。一口に「共産党系ブロガー」といっても、こと原発問題に関しては立場はさまざまだ。そういえば、「共産党」と聞くだけで条件反射的に悪口を言い始める小沢信者にしたって、環境・エネルギー問題に関する立場はさまざまで、自然エネルギー推進の社民党に近い者もいれば、武田邦彦らの「地球温暖化陰謀論」に入れ込んで、自然エネルギー推進派を「原発容認のスローな脱原発派」、つまり一種の原発容認論者だとして断罪する者もいる。「小沢左派」にはほとんど例を見ないが、「小沢右派」には原発推進論者だっている。


原発の賛否と思想の左右には、ある程度の相関はあるけれども幅は非常に広い。「右」側でいえば、河野太郎のような市場原理主義主義者が「脱原発」派であるのは、市場原理主義の教義からいえばむしろ当然だが、デヴィッド・ハーヴェイ流に「新自由主義=格差を広げて階級を固定するためのプロジェクト」と定義すれば、新自由主義原発の親和性は高いといえる。市場原理主義新自由主義の違いを考察するのに、原発問題は良い例になると思う。


私は「政治には結果を出すことが何よりも求められる」という立場だから、「右」の脱原発派だって利用できるものであればどんどん利用すれば良いと思う。しかし、そのことと彼らの思想を肯定するかどうかはまた別の話であり、同じ「脱原発」だからといって批判すべき場面で批判を手加減してはならない。手加減なんかをする態度からファシズムが成長していく。

*1:前掲書34-37頁