kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

伊良部秀輝死去

元ロッテ・ヤンキース阪神伊良部秀輝アメリカで死んだらしい。ネットには「自殺」との文字も見られる。

伊良部がアメリカで所属したヤンキースは、全米30球団の中でもっとも嫌いなチームだから*1、サンディエゴ・パドレスを袖にしてヤンキースに行った伊良部が登板する時には「打たれろ」と思って応援しなかった。1998年のワールドシリーズでは、そのパドレスヤンキースが対戦したので、伊良部が登板して打たれてくれれば良いと思っていたが、伊良部はシリーズでベンチ入りさえできず、ヤンキースパドレスを4タテしてあっけなく優勝を決めたのだった。

だが、ロッテで剛球投手としてデビューし、日本に帰国して阪神でシーズン半ば頃まで活躍した頃の伊良部まで否定するものではない。古くは 1989年に近鉄が逆転優勝した時、オリックス打線を抑えて、近鉄のマジックを「1」にしたのは伊良部だった。2003年の阪神時代には、伊良部の登板する試合のテレビ中継を見たことがあるが*2、球威より投球術の巧みさが光っていた。しかし、その頃から不節制だったのか、夏場には調子を落とし、そのまま日本シリーズでも打ち込まれて2敗を喫した。そうそう、私が最後に伊良部のマウンド姿をテレビで見たのは、この時の日本シリーズだった。第2戦、第6戦とサンドバッグ状態だったっけ。だけど、あれは夏頃からずっと不調だった伊良部に2試合もまかせた星野仙一の采配ミスだ。第6戦で伊良部先発と聞いた時、あのシリーズでダイエーを応援していた私は、これで流れが変わるかもしれないと期待したのだった。おそらく阪神ファンは、伊良部先発と聞いてがくっときて、「やられるんじゃないか」と思ったことだろう。2008年の北京五輪における岩瀬(中日)の起用とイメージがだぶる。なお星野は中日監督時代にも似たような失敗をやっている。

投手の宿命で、どうしても打たれたシーンばかりが思い出されるが*3、それは「3割打者」が強打者とされる野球という競技の独特の性質ゆえだろう。ほとんど悪口を書き連ねたような文章になってしまったが、実は私は伊良部秀輝という野球選手に対しては、そんなに悪い印象は持っていない。ただ、不器用な人だったのだろうなとは思う。沖縄で混血児として生まれ、関西で育ち、甲子園に出場するために香川県の高校に入った伊良部。わがままを通してヤンキース入りしたものの、そのヤンキースを追われた。阪神ファンだったという伊良部自身の希望で阪神入りしたものの、監督が星野仙一から岡田彰布に交代して迎えた2年目は全くやる気を失ったのか、何試合か打たれたのを最後に一軍での登板はなく、あっさり阪神を退団した。クビになったのか自分から辞めたのかは忘れた。その後ロスに移ったのも知っていたが、ロスに移住するくらいならロスに近いサンディエゴのパドレスに入団しとけば良かったんじゃないかと思ったものだ。

波瀾万丈の人生だった。合掌。

*1:過去に私がヤンキースを応援したのは、来日して読売とオープン戦を行った時だけである。ヤンキース阪神ともオープン戦を行って敗れたが、ざまあみろと思った。

*2:確か甲子園球場で中日を相手に完投勝利をあげた試合だったと思う。

*3:打者の場合は打ったシーンが思い出されることが多い。